部長motoいっぺい
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2002年04月30日(火) 風邪の法則

はじめに

娘の水疱瘡に関して、数名の方々からお見舞いのメールを頂きました。
本当にありがとうございました。



病気ネタをふたたび。

嫁が風邪をひいた。
先週末息子が咳をしていたので、息子にうつされたらしい。
僕も今日のどが若干痛いのと、くしゃみが頻繁にでることからどうやら風邪をひいたらしい。
息子はめったに病気をしない健康優良児であるが、その息子にかかる風邪菌というのはやはり性質が悪いものらしい。


ところで、僕達夫婦には風邪をひく時の法則がある。

それは、



















嫁が風邪をひくと、僕もそれ以上の風邪をひく!

という嫁にとってはやっかいな法則である。



自分も調子が悪い時に、それ以上の具合が悪い人の面倒を見なければならないというのは、めちゃめちゃ悔しいらしい。
↑嫁談

どちらの病状が重いかについては、最終的には




















体温計一本勝負!

となる。





今回に関してはこの風邪の法則が成り立たず、まだ僕の方が調子が良いため、スクールバス乗り場まで息子を送ったり、ゴミを出したりする朝の仕事を僕が行った。
幸か不幸か娘は水疱瘡のため、今日までプリスクールをお休みすることから、娘の通園のことは考えなくても良かった。

また、今日は娘の水疱瘡の状況確認のため、もともと病院の予約を入れていたことから、嫁はついでに自分も診てもらい、薬を処方して帰ってきたようだ。

僕は日本にいる時には、少々の風邪は買い薬で対応していたのだが、こちらの薬局に行って自分の症状にあう薬を買う自信がなかったため、



















出張者にエスタックイブの購入を依頼しました。

では、早めに寝て風邪を治すことにします。


2002年04月29日(月) フロントガラスの破損

壊れ物シリーズをもう一つ。

先日オフクロとカナダ見物に行った時に、車のフロントガラスにヒビが入った。
駐在2号のワンポイント英会話:フロントガラス=Wind Shield(ウィンド・シールド)


アメリカのフリーウェイには結構小石が落ちているため、フロントガラスの破損はそれほど珍しいものでもなく、テレビコマーシャルでもフロントガラス屋の宣伝をよくやっている。


実はフロントガラスにヒビが入るのは今回が初回ではなく、車を買って二ヵ月後にも一度やっている。
その時は、フリーウェイ走行中に小石が飛んできて、ガラスにぶつかったことが原因であった。
それ以来、なるべくダンプトラックの後ろは走らないように気をつけている。

しかしながら、車購入8ヶ月にして二回目の破損。


今回の原因はずばり



















不明

である。


ホテルの地下駐車場に一晩とめておいて、翌朝にヒビが入っていたのだ。
ヒビが入るほど大きな石があたった覚えも無く、もしや車上狙いでは?と疑っても見たが何もとられた形跡はないし、そもそも車上狙いであればフロントガラスではなく、鍵に近い横の窓を割ろうとするであろうことから、その線でもない。

となると、唯一疑われるのは、




















以前にガラスを替えたときの作業ミス!


ということで、ダメモトで以前にガラスを交換した店に行ってみた。














「何もあたっていないのに、数ヶ月前に替えたガラスが割れたんだけど」

「そう?ちょっと見せて」

といって、店員は割れた部分を点検に行った。

すると

















「これはきっと見えない部分に何かが当たって割れたんだよ。よくあるんだよねぇー、こういうケース」

と平然と言い放った。




まあ、作業ミスによる保証は2ヶ月であり、交渉してもタダで交換してくれるわけでもないことが分かっていたため、僕はそのまま引き下がり再度フロントガラスを交換してもらうことにした。




【結論】

アメリカでは、言ったモン勝ちの世界であるが、



















言っても勝てるとは限らない。


2002年04月28日(日) 電気の故障(後編)

バナー作ってみました。
だからなんやねんといわれると辛いかも・・(汗)


↓お読みで無い方はこちらを先にどうぞ。
電気の故障(前編)
電気の故障(中編)




オーナーの娘(といってもいい年のおばさんのはずだが)にメールを送ったところ、翌日の夜8時くらいに電話があった。

オーナーの娘とは、英語でも意思の疎通はできる。


「コンセントがダメになったんですって?」


「そうなんですよ。誰か修理屋さんを呼んでもらえませんか?」


「分かったわ!ウチの主人をこれから行かせるけど良いかしら?」


「・・・(汗)」










実は彼女の旦那(オーナーの義理の息子)が来るのはこれが初めてではない。
以前に
ガレージドアが壊れた時に、一回我が家に来ている。

真面目で几帳面そうな旦那ではあったが、ガレージドアの壊れ具合を見ようと、ガレージオープナーに触った瞬間に、直ってしまったというゴッドハンドの持ち主である。
↑案の定、後日完全に壊れて、修理業者に交換させることになったが・・


今回も役に立たないゴッドハンドが来ることになるのか・・・(諦)

と思った僕に彼女はこう告げた。




















「彼は電気会社に勤めているから、多分なおせると思うわ」

















日米問わずこの手の言葉を信じる人は、よほどのお人好しであろう。

とりあえず来てもらって、その後修理業者を呼んでもらえばいいや

と僕は考え、彼に来てもらうことにした。


20分後、彼がやってきてテスターなんぞを使い故障原因を探り始めた。
↑だから、早く修理業者を呼べってば・・

すると、驚くべきことに




















ほんとに直して帰っていきました!

疑って悪かったミスター・ゴッドハンド
君こそ、本当の電気屋だ!
↑マジで手際よかったっす


2002年04月27日(土) 電気の故障(中編)

↓お読みで無い方はこちらを先にどうぞ。
電気の故障(前編)




というわけで、オーナーに連絡することになった。

以前にも鍵の増設などでオーナーに電話で連絡したことがあったのだが、前編で書いたとおり意思の疎通が難しいため、以前に僕はE-mailでの連絡を提案していた。

ところが・・・




















E-mail持ってないぞ、このババアオーナー(涙)


という予想通りのオチであった。
E-mailによる連絡という名案がこれで消え去るかと思われたのだが、


神は僕を見放さなかった
↑そんな大げさなものかというツッコミはなしということで。







ある日、僕のところに一通のE-mailが届いた。

「私はオーナーの娘です。何かあったら私に連絡してね。じゃあね!」









ありがとう文明の利器よ!

というわけで、オーナーとの連絡にはオーナーの娘を通して行うことに既に決まっていた。



今回の電気の故障についても、すぐにオーナーの娘に連絡をとり、僕は返事を待つことにした。


以下次号


2002年04月26日(金) 電気の故障(前編)

かのイチローも、アメリカに来た早々に洗礼を受けた

電気製品の故障





我が家も例外ではなく、これまでにいくつか被害にあっている。
一番被害が大きかったのが、
ガレージドアであり、最短の故障は買って三日目のトースターの故障である。


そして今回




















一階のコンセントの約半分が使用不能!
↑駐在2号ワンポイント英会話:コンセント=OUTLET







この故障により
・炊飯器
・トースター
・テレビ
・ステレオ
・電話
・コンピューター(DSL)
が使用不能になった。




昨日、一昨日の日記がお休みなのは、仕事が忙しかったせいでもなく、日記をサボったわけでもなく、単にインターネットにアクセスできなかったためである。

「コンセントの故障」となれば、普通はブレーカーを疑うだろう。僕も嫁から故障を聞かされたときには、真っ先にブレーカーに行ったが、何の不具合も見つからなかった。



これまでのアメリカでの経験から長期戦になることを覚悟して、昨日は
HOME・DEPOTで延長コードを購入し、生きているコンセントからテレビへの仮配線を行った。電話やコンピューターもDSLモデムとともに別の部屋に移設し、とりあえずの生活環境を整えた。





アメリカでの借家において、なにか不具合が発生した時の対処方法は主に次のようになる。

・不動産管理会社に連絡して、修理業者を派遣してもらう
・オーナーに連絡して、修理業者を派遣してもらう
・自分で修理業者を呼び、請求書をオーナーに送付してもらう
・自分で修理して、部品代を家賃から相殺してもらう


上記のいずれになるかに関しては、家の契約方法やオーナーとの信頼関係による。

我が家のケースは、家に発生するトラブルに関してはオーナーと直接交渉することになっている。
僕はオーナーとは直接会ったことはないが、一つ知っているのは



















いい年のおばあちゃん・・・(汗)

ということだけである。




オーナーとは電話で連絡をとることになっているのだが、おばあちゃんの英語というのがこれまた分かりにくい・・(涙)


日本人でさえ、ジジイやババアおじいさん、あばあさんとの会話において、意思が通じないことを経験した人も多いであろう。それに加えて、異国の言葉である。

例えるならば





















沖縄のお爺さんと青森のお婆さんの会話

といえば、分かってもらえるだろうか。




ジジババにこちらの思うところを伝える困難さは、万国共通なのである。

(続く)


2002年04月23日(火) 娘の水疱瘡

娘が水疱瘡にかかった。
↑駐在2号のワンポイント英会話:水疱瘡=Chicken Pox


水疱瘡の子供を外に連れて歩くわけにもいかず、嫁は娘と一緒に家に釘付けである。

日本では許される(と僕だけが思っている?)であろう、子供に留守番をさせて買い物に行くことも、ここアメリカでは極悪非道の幼児虐待者となってしまうため、買い物は僕が会社から帰ってからとなる。

買い物は帰ってからすればよいものの、困ったのは息子のスイミング・スクールである。息子自体は水疱瘡ではないのでプールに行くことに何の問題も無いが、娘を家においていくわけにはいかない。車に一緒に乗せて行っても良いが、車の中に置き去りにした時点でアウト!である。



ところが・・・である。





実は日曜日に息子の友達の誕生日があり、嫁は娘と家にいざるを得なかったため、僕が息子を誕生日パーティー会場まで連れて行った。

そこには、嫁の友達である
めちゃめちゃいい人キャサリンさんが彼女の息子を連れて来ており、そこで僕は娘が水疱瘡にかかったことを話していた。

すると・・

今日、息子がキャサリンさんからの手紙を持って幼稚園から帰ってきていた。
その手紙には、




「あなたの息子を明日プールに連れて行ってあげるわ。そうすれば貴女は家を離れないで済むでしょ?」

と、めちゃめちゃありがたい提案が書かれていた。


本当にありがとうキャサリンさん。



















でも、ウチの息子の名前のスペルが違ってますよ・・・


2002年04月22日(月) I-94紛失事件(後編)

↓お読みで無い方はこちらを先にどうぞ。
I-94紛失事件(前編)
I-94紛失事件(中編)




「笑い事じゃない!」

と一喝された僕は、戦法を和やか路線から真面目路線に直ちに切り替えた。











「貴方が言うようにオフクロがなくしたのかも知れない。でも僕には分からない」

「現実にI-94は無いのだから、どうしたら良いか教えてください」

と彼にお願いした。


すると入国審査係官は、

「とにかくお母さんに探させなさい」

と繰り返した。









そうこうしているうちに、オフクロが嫁と子供達を連れて事務所に入ってきた。
子供達は気持ち良く寝ているところを起こされて半べそをかいていた。

僕はオフクロに

「I-94をとにかく探せって言ってるんだけど」

と告げた。


オフクロは、

「昨日ホテルでも探したんだけど、やっぱり無かったのよ」

「空港ではもらったものをそのままジップロックに入れて、かばんの中にしまったから無くす訳はないと思うんだけど」

と僕に言った。

僕は係官にオフクロの言葉を通訳して伝え、そのかばんとジップロックを開けて見せた。

係官もさすがにこれ以上無駄だと思ったのか、半べそをかいている子供達を見て多少は可哀想だと思ったのか、I-94紛失者に対する手続きを開始してくれた。




「再発行するI-94に必要事項を記入して、手数料6ドルを払いなさい」
























最初からそう言わんかい!

と思ったものの、当然口にはださず、とりあえず作り笑顔を浮かべて

「THANK YOU!」

と僕は言った。





オフクロは早速書類に記入を始めたが、老眼鏡を掛けていなかったのでうまく書けない。あわててかばんの中を探し始めたが、なかなか見つからないため、僕が代理で書き始めた。


すると係官は、

「書類は彼女に書かせなさい」

と冷たい事を言ったので、僕は


「メガネが見つからないんだから仕方がないじゃないか!」

と抗議した。

すると、

「質問に答えるところ(入国を断られたことがあるかないか?など)は、自分で理解して書かなければならない」

というので、僕は



















全部訳して彼女に伝えてYES/NO(もちろんNOのみ)を聞いたうえで代理で記入した
↑これなら文句あるまい



というわけで、オフクロは何とか米国再入国を果たすことが出来た。

(完)


【追記】

本日無事オフクロが日本に帰国しました。
またいつもの生活に戻りますが、業務多忙時期につき更新がままならないこともあるとは思いますが、気長にご愛読の程よろしくお願いいたします。


2002年04月20日(土) I-94紛失事件(中編)

↓お読みで無い方はこちらを先にどうぞ。
I-94紛失事件(前編)



カナダ見学(敢えて旅行と呼ばないほどの短いステイ)を終え、僕たちは帰路についた。

子供たちはおばあちゃんに振り回されていろいろなところに連れていってもらったため、疲れて車の中で寝ていた。

そして問題の米加国境がやってきた。




米国入国ゲート係官
「お母さんのI-94は無いの?」

「アメリカについた時にもらい損ねたみたいなんだけど・・」
↑相当無理あり

「ん?とりあえず入国管理事務所に行ってね」

「子供が寝てるけど、みんなで行かないとだめですか?」

「うーん。。係官次第だね。トライしてみたら?」

というわけで、とりあえずオフクロと2人で入国管理事務所に入っていった。



















入国管理事務所係官
「家族全員来てないの?」

「子供が寝てるので、嫁と一緒に車の中にいるんだけど」

「家族全員事務所に来ないとダメだよ」
↑このあたりから、既に雰囲気が悪くなり始めていた・・・



僕が係官に説明をしている間にオフクロが嫁と子供を車に呼びに行くことにした。














説明開始

「どうしてお母さんのI-94は無いの?」

「アメリカについた時にもらい損ねたみたいなんだけど・・」
↑くどいようだが相当無理あり

「そんなことある訳ない!入国の時に必ずもらっているはずだ!」
↑ある意味ごもっとも

「そんなこと言ったって、もらったものを全部パスポートと一緒にきちんと袋に入れたっていってるし」

「いや、パスポートにスタンプも押してあるし、絶対にもらっているはずだ。俺が保証する。」

「でも、ないものはないし・・(苦笑)」



















「笑い事じゃない!(怒)」

「これは入国に関する重要な書類の話なんだ!」


続く





2002年04月18日(木) I-94紛失事件(前編)

勘の良い方は、タイトルを読んだだけで

をを!(驚)

と驚かれると思う事件が発生した。

旅行好きのオフクロの、わがまま希望により、我が家は土日に遠路遥々カナダに旅行に行くことになった。
僕たちの住むまちでさえ、まだ廻りきっていないと言うのにカナダに行こうなどと言い出すのだから、付き合わされる方はいい迷惑大変だ。

ともあれ、5人乗りのフォレスター君に大人3人子供2人の定員乗車をして、米加国境に向かった。

国境が近くなり、オフクロのパスポートを確認すると、なんと


















I−94フォームがパスポートに挟まっていない!


あまり知られていないかもしれないが、I−94とは米国に入国する時にパスポートに挟まれる緑色の紙である。
米国旅行者はパスポートにこの紙が必ず挟んである。

最悪の場合カナダには入国できるものの、アメリカに戻れない可能性も否定できないようなシロモノである。

その紙がない。

そこで僕は、



















強行突破することにしました(笑)





















カナダ入国係官
「なんでI−94がないのですか?」


「オフクロが米国入国の時に係官が渡し忘れたのでは?」
↑相当無理あり

「うーーーん(疑)」

「まあ、いいや」
↑相当いいかげん(笑)

「でもアメリカ再入国の時に、ビザ適用除外申請をしなければならないので、6米ドルかかるから現金で用意しておいてね」


『6ドル程度で米国再入国できるのなら安いものだ』と僕は思い、僕たちはカナダに入国することが出来た。

この時点では米国再入国時に起こる出来事については知る由もなかった(続く)



2002年04月15日(月) 時間がないので小話

オフクロが我が家に来ている。
彼女はなんだか知らないが、忠犬ハチ公のように(笑)僕が帰るまでメシを食わずに待っているようだ。
↑単にビールの栓(ひねって開けるタイプ)が開けられないからという指摘あり


ここのところ忙しくて、遅く帰るのが続いているため、今日はあらかじめ家に遅くなることを電話した。すると、


「HELLO」


と外人(←お前が外人だというツッコミは別として・・)の声がしたので、電話番号を間違えたのかと思い、切ろうとしたら



















「あ、パパ?」

という娘の声がした。

いやあ、びっくりした。
↑ちょっと親ばか?


2002年04月10日(水) オフクロ到着

というわけで、日記を更新する間もなく、オフクロの晩酌に付き合わされています。
彼女のことですから、きっと笑えるネタを提供してくれると思いますので、更新をしばらくご猶予ください。

では。


2002年04月09日(火) COSTCOショック

最近は赴任直後の回想録から、日記らしい日記になっていますが・・
今回も今日あった出来事から。


オフクロが来るというので、僕はこれまでにデジカメでとった米国生活をプリントアウトすべく作業を開始した。昨年末からプリントアウト作業を怠っていたため、約4ヶ月ぶりということになる。

プリンターは赴任直前にHPの新しいものを購入した。HPにしたのは、動作電圧が米国の電圧にも対応していたためである。
↑余談:ノートパソコンや携帯型プリンターは海外対応がほとんどであるが、デスクトップ・パソコンやプリンターは対応しないものが多い。

HPを選んだのには米国でインクカートリッジ等の購入が容易であるであろうとの判断もあった。

普通であればこの手のものは、OFFICE DEPO / OFFICE MAX / STAPLES等の事務用品店で購入するのであるが、僕はCOSTCOのメンバーであり、COSTCOでインクカートリッジを売っているのを覚えていたため、先週の土曜日に49ドルで購入していた。

ご存知の方も少なくないと思うがCOSTCOというのは、倉庫をそのまま売り場にして、まとめ売りをするかわりに安く売るという店である。最近は日本にもコストコの名前で進出し、僕の覚えている範囲では幕張に出店している。
↑駐在2号のワンポイント英会話:米国ではCOSTCOはコストコとは呼ばず、コスコと発音する。



ところが、今日別件でFRED MAYERという日本で言えばJUSCOのような店に行ったところ、同じカートリッジが



















34ドルで売っていた(撃沈)












教訓1:COSTCOとて全てのものが安いと思うべからず

教訓2:買い物をした後に、他の店で値段をチェックするべからず


2002年04月08日(月) オフクロ登場

突然ではあるが、ウチのオフクロが我が家を訪れることになった。

オフクロというと
あの旅行好きのオフクロである。

僕達の渡米後8ヶ月にして、ついに登場である。ある意味まあ、よく8ヶ月も我慢できたものだと思うが(笑)

僕としては最近仕事の方が忙しいし、観光シーズンにはまだ早いので、夏を過ぎたあたりで来てもらうのが一番都合が良かったのだが、なにしろ

行きたくてウズウズしている彼女は誰も止められない!



今回はオヤジは仕事で〈66歳越えて仕事するのもどうかと思うが)来れないらしく、オフクロ一人での渡米である。オフクロは旅行経験は豊富ではあるものの、彼女が英語をしゃべっているのを聞いたことが無い。

僕は電話で、

「どうやって入国審査通るつもり?」

と尋ねたところ、




















「ケセラセラよ!」←それも自信たっぷりに・・・

と言い放った。

さてどうなることやら。



【補足】
偶然日本にとんぼ返り帰国中の駐在1号と同じ便になるようなので、一応アシストをお願いしておきました。でも、お互い顔を知らないんだよね(笑)


2002年04月07日(日) 小学校入学式

明日からDay Light Saving Time(サマータイム)が始まります。
家の時計という時計を全部1時間先送りするので、年に2回ほど余分に手間がかかりますが、会社が終わってからの時間を有効に使えるため、僕は結構好きなシステムです。


ところで、

海外には海外で生活する日本人子女のために、日本人学校や日本語補習校というものが設置されている場所があります。
独断と偏見で言わせてもらえば、現地の言葉を習得したいというニーズが多くある地区(英語圏等)については、週に1回(土曜日が多いのかな?)の補習校、それ以外は日本の学校と基本的に同じシステムの日本人学校という感じで設置されているように感じます。

僕達の住む地区には日本人補習校があり、ウチの息子は今年の1月から幼稚園部に通い始め、3月に卒園しました。赴任したのは夏ですから、4ヶ月ほどは日本の学校に通わなかったのですが、これは現地校で月曜日から金曜日まで英語によるストレスを受けて息子が疲れているであろうことを考慮したためです。
↑ホントは両親が面倒くさがっていたというツッコミ多数あり・・・(汗)






今日、日本語補習校の入学式がありました。この前アメリカの学校に入学式はない!と書いたばかりですが、さすがに日本の学校だけあって、入学式がバッチリありました。
日本の小学校の入学式はきっと4月8日の週からでしょうから、ちょっと早めの一年生です。

日本人補習校には入学式はあるものの、3年生以上は始業式もそこそこに初日から勉強です(2年生は入学式に同席)。これは侘び寂びの問題というよりは、土曜日にしか授業をもてないという時間の制約によるものが多いと思います。

教科書は日本で最も多く使われているものを準備しているそうです。
↑それにしても最近の教科書はカラフルですな。


ともあれ、今日から

ピカピカの一年生



でもって、今日はお祝いにお寿司を食べに出かけました。
50ドルのギフト券を持っていたのですが、一家で合計150ドルも食べてしまったため、100ドルも払ってしまいました・・・(泣)

明日から財布の紐を締めなければ・・・


2002年04月06日(土) メジャーリーグの思い出

昨日、今シーズン一回目のメジャーリーグ観戦に行ってきました!

僕が初めてメジャーリーグを「ナマで」見たのは、確か1995年の初めての海外出張(ロサンゼルス)の時でした。

当時、ロサンゼルス・ドジャースでは野茂がトルネード旋風を巻き起こしている真っ最中で、帽子を買って帰った覚えがあります。
ゲーム自体は、野茂の登板の日ではなかったのですが、国家斉唱に始まり7回にはテーク・ミー・トゥー・ザ・ベースボールを皆で歌っているのを見て、感動しました。

2回目のメジャーリーグ観戦はアメリカ中部出張の時で、一緒に観戦した現地の会社の人が嬉しそうに

「IT’S JUNK FOOD!」


といいながら、ポテチやポップコーンなどをどっさり買い込んできたのを覚えています。


時は流れて、昨日野球を観戦しながらぼんやりと思ったのは、

「去年の4月頃はイチローがマリナーズで活躍し始めた頃で、その頃にはまさか翌年自分がアメリカにいるとは思わなかったなぁ・・(トヲイメ)」
↑お前は活躍しているのか?というツッコミは固くお断りします

というものでした。

ちなみに昨日もそうでしたが、これまでに僕が観戦したゲームは、全てご当地チームが勝ってます。

僕ってツイてるのかな?


2002年04月03日(水) お休み

今日は以前同じ課だった先輩が出張に来ていたため、一緒に一杯ひっかけました。
久々に、夜遅くまでいろいろなことを語ってしまいました。

というわけで、日記はお休みです。


2002年04月02日(火) 幼稚園入園

フィッシングツアーと話が前後するが、9月の頭に息子の幼稚園初日があった。
あえて、入園式と書かずに初日と書くのには訳がある。

というのは・・・
↑すでに想像がついた方も多いと思いますが(笑)






















入園式なんてありゃしない!


要は、ただの一日目。

嫁は

「侘び寂びの無い国ねぇ・・」

とこぼしていた。




ともあれ、わが息子が初めて純英語の世界に投げ込まれる日である。
僕も気が気でなく、息子を見守っていた。


すると、担任のミス・アンジェラが

「男の子と女の子と別れて、一列にならんでくださーい!」

と子供たちに指示を与えた。

息子はその指示を理解できるわけもなく、ポケーっとしていたので、僕は

「並びなさいって言ってるよ」

と息子に言った。
↑あーあ、こりゃ大変だと改めて思った瞬間







子供達は一列に並んで、教室に入っていった。
僕達も後をついて教室に入った。


すると、金髪ではあるが明らかに東洋系の顔つきの女の子が教室の中にいることに、嫁が気づいた。

その子の近くにはその子のお母さんがいて、僕達に気づいて近寄ってきた。

「ハジメマシテ、ヤマモトデス」

僕と嫁は同じ事を同じタイミングで思った。





















その顔は山本さんの顔じゃない!
↑だって、コテコテの金髪外人顔だったんですもの・・


2002年04月01日(月) フィッシングツアー(その4)

ガレージドアの一件は駐在1号宅へヘルプを求め、とりあえずは一件落着した。
で、翌日のフィッシングのお話。


同じボートになった、日系のおじさん(ジョン)が、乗るや否やこんな提案をしてきた。


「一人一本の釣竿を担当するんじゃなくて順番を決めて、掛ったら順番に釣るようにしよう」


文章にすると分かりづらいが、ボートに仕掛けられた釣竿を皆で監視し、ヒットした時に一番手の人間がその釣竿をとる。二番手以降の人は一番手の人が釣れるまで「待ち」が続くというシステム。

一見不合理のようであるが、彼いわく皆が楽しむにはこれが良いという。
確かに同じ船に乗っていて、かつ釣具やセッティングは全て船頭が準備するのだから、ヒットするかしないかはその釣竿の前にいる人の実力でもなんでもなく、ただの運任せ。一人一本の釣竿を担当する方式だと、運・不運による差がつきすぎてしまう。

僕達は彼の提案に賛成し、チームで釣りを楽しむことになった。

順番は昨日の釣果によって決定された。すなわち、昨日「ボーズ」だった僕が一番手となった・・(恥)





スタートしてから、小一時間くらい経った時であろうか、一本の釣り棹がヒットの兆候を示した。
僕はすかさず棹を取り上げ、必死でリールを巻いた。




初めての鮭との闘い。




リールが巻き戻されそうになり、僕は必死でリールを押さえた。すると船頭さんが、

「巻いちゃダメだ!糸が切れちゃうぞ!」

と僕にアドバイスをした。





ごもっとも・・・

釣りファンの方には当たり前のことなのだろうが、なにしろ釣り経験ゼロなものだから、こんな基本的なことも知らなかった。



巻いたり戻されたりを繰り返しながら、徐々に鮭が船の方に近づいてきた。
僕が船の脇まで鮭を引き寄せたところ、網で船頭がすくい上げてくれた。




















一匹ゲット!(22ポンド)


最高の感激。もしかして釣りファンになっちゃうかも・・と思った一瞬であった。






ジョンおじさんも一緒に喜んでくれた。

「GIVE ME FIVE!」
↑駐在2号ワンポイント英会話
日本で言うところの「ハイタッチ」を求める言葉。「FIVE FIVE!」もあり。



結局その日はみんな仲良く一本ずつ釣ることができた。







最終日の午前中もジョンおじさんと同じボートになり、僕はその日も小さめ(11ポンド)の鮭を一本釣って家路に着いた。


嫁はよもや僕が鮭を釣って帰るとは思っていなかったらしく、たいそう驚いていた。

僕は実家に電話をして、鮭のさばきかたと保存の方法を母に聞いた。

母いわく、





















「さすがカナダだねぇ・・入れ食いなんでショ?」

とめちゃめちゃ失礼なことを言っていたが、さばき方は教えてくれた。




その日は味噌なべにして鮭を食べたが、今まで食べた鮭の中で一番おいしかった。