風紋 もくじ / この前 / この後
あ。
とても久しぶりに演奏会を聴きに行った。私の住んでいるところからは少し行きにくく、行ったことのない街へ、いろいろな電車を乗り継いで行った。途中、乗り継ぎに失敗して駅のホームで20分待ちをする羽目になったりと、うぉぉぉ…とか、ここで走れば良かった…とか、下調べをしてくればよかった…と思いながらの道中であったが、電車の窓から外を見ると、それぞれの街がそれぞれの味をもっているのだなということに気がついた。同じようでよく見ると違うのが面白かった。どの街もそれなりの良さがある。 帰り道、ちょっと寄り道をして買い物をした後、乗り慣れた電車で帰った。 時間は午後5時頃。何も見るものがないので、自然と窓の外を見ていた。 不思議な空の色だった。青?赤?混じって紫?という感じの色。あっちを向けば深く濃い青色で、こっちを向けば穏やかな中に強さを秘めた、ピンクのような赤色がところどころに。あちこち見回していると、ところによって表情が違うようで、しかし一貫した雰囲気を醸し出しているような空。「こんな空だったよ」と言葉で述べるのがとても難しいけれど、「こんな空を見たんだよ」ということをとても伝えたくなるような、そんな空だった。 そういえば最近、ゆっくり空を味わったことがないな、ということに気がついた。少し余裕を失っているかもしれない、私。 やがてこの中から太陽の赤色が少しずつ消えて闇になっていくんだろうな、そして私はこのように空が刻々と表情を変える時間がとても好きだったんだということを思い出した。思い出して少しほっとした。 いま、「色の名前」(近江 源太郎, ネイチャープロ編集室、角川書店、2000年。この本)を改めて読むと、「日本語では夕焼け空を『茜空』とよび、夕映えの色を夕色、さらに薄暗くなった色を暮色と表現します」とのこと(p.27)。恐らく「夕色」と「暮色」の間くらいの時間だったのかな。 最寄り駅に着くと、だいぶと暗くなっている。でも完全に「夜」「暗い」のではないように思った。さっきの空を見ているからか、まだ完全に闇になっておらず、わずかに明るい部分を残しているのが愛おしく思った。 あ〜、寒いっ、と思いながら、コンビニエンスストアでトーラクのニューヨークチーズケーキを買って(こちら。最近私がとても好きなおやつのひとつ)、帰途についた。 ほんとは買い物のついでに喫茶店でケーキでも食べたかったが、人が多くて疲れたので家で楽しむことにしたのだ。 演奏会についてはまた書くかも、書かないかも。 追記:いま、カウンターを見たら11139でした。あまり最近カウンターを意識しなくなっていたのですが、読んで下さってありがとうございます。11111はどなただったのだろう。
お昼過ぎ、電車の中で、小さい花束を持った若い男性を見かけた。 駅前の、そこそこ人通りの多い道に立っている1本の樹の枝に、小さいお守りがかけてあった。 あれ、どうしたんだろう?と注意を惹かれた。なぜこんなところにお守りがかかっているのだろう? この場所にお守りが落ちているのを見つけた人が、とりあえず近くの樹の枝にかけたのかもしれない。落とし物は交番に…とは言うものの、お守りであれば、そこまでのことはせずに、とりあえず近くに置いておくのがよいのかもしれないから。 あるいは、個人的にどうしてもこの枝にお守りをかけたかった人がいるのかもしれない。何かの理由で。 …ま、まぁ、可能性としては前者の方が高いような気もするけれど。 そこそこ人通りの多い道だから、いろいろな人が通るのかもしれない。何だか、街全体を守ってくれているもののようにも見えたのだけれど。 書きながらふと気がついたのだけれど、花束もお守りも、何となく「強い思いが込められたもの」のように思う。いや、本当は花束やお守りの他にも、強い思いが込められたものはたくさんあるし、日常のさりげなく何気ないものの中にも強い思いが込められたものはたくさんあるのだろうけれど(例えば小石ひとつにしても)、花束やお守りというものは、ぱっと「あぁ、何か強い思いが込められているのだな」と思わせる何かがあるように思う。 たまには、そんなことに思いをめぐらせてみるのもよいかもしれない。 立春。
もくじ / この前 / この後 |