風紋

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2004年12月31日(金) 演奏会を聴きに行く(数日前) / 1年の終わりだった

数日前のことになるが、久しぶりに演奏会を聴きに行った。以前は吹奏楽、オーケストラ、ブラスバンド(ブリティッシュ・スタイルの金管バンド)、合唱などを中心に、興味がある演奏会があれば割とどこでも何でも行っていたのだけれど、最近はあまり行っていなくて、いまは一番最近に「演奏会」というものに行ったのはいつだったかということがわからないくらい久しぶりであった。

あ、しかしその間、「私自身が演奏会に出演する」ということは何度かあった。吹奏楽で。急ぎ足で1曲1曲と向き合えないまま出演してしまった面もある。インプットとアウトプットのバランスがおかしいような気がしないでもない。

とにもかくにも久しぶりの演奏会。ピアノ独奏、管楽器独奏、アンサンブル、などのプログラム。

あぁ、音楽が生きている!と感じた。そこにあるだけであれば単なる「もの」でしかない楽器が、人間が演奏しようと思って向き合うと、生きる。そして人間も、楽器と向き合うと、また新たに生まれかわる。生き生きとして見える。楽器も生き生きとして見える。楽器がうたう、おどる。人間も「うたい」「おどる」。

ピアノに置かれた指がなんと生き生きして見えたことか。管楽器の、息を吸うタイミング。置かれた指、腕、演奏した人の身体全体が。そして楽器も嬉しそうに見えた。

帰ったら久しぶりにピアノの蓋をあけてみよう、ユーフォニアムもちょっと手にとってみよう、そしてピアノを弾くならもう少し爪を切ろう、そう思いながら帰途についた。


この日記を書き始めてから3度目の年越しである。今年は12月にばたばたとしていてぎりぎりでまわしているような日々が続き、やれやれ少し落ち着いたと思ったら風邪をひいて、知らぬ間に日付はクリスマスを通過して12月下旬になり、「世間一般」は年末年始の準備をはじめていたという感じであった。というわけで、あまり気合いの入らない年越しである。ただ疲れたので休ませてほしい…という感じがする。

私には、「今日はただ12月31日という日付の日を迎えたのだ」という気持ちが強い。それは今日に限らず、「普通の日だけれど少し特別の日である」という感じ。2年前の12月31日に「主観的には、“昨日と同じようにも思えるし、少しだけ違うようにも思えるし、という今日”という感じなのに、“今日”に“12月31日”という名前がついただけで少しだけ慌しい感じになる」と書いた。そのような感じは今も変わらず持っている。昨日があって今日があって明日が来て、その連続の中である時点で2004年から2005年という区切りがあるのかなと思っている。

ちょうど1年前の日記、2003年12月31日の日記を読み返すと、1年を振り返ってかなり大量の文章を書いていて、私自身が驚いた。その量にまず驚いたということもあり、これだけ1年を振り返りたい気持ちと振り返ってそれを言葉にするパワーがあったのだな、ということにも驚いた。今年はそれだけのパワーはない。

ここ数日、「この1年を振り返る」というようなテーマでいくつかテレビ放送がなされていたが、なんだか見るのがきつくてテレビの前を離れてしまった。新聞もざっと見で通してしまった。

それは、この1年、いろいろな災害や事件や戦争でかなしい報道が多かったということもある(今年の漢字は「災」であるとのこと)。

が、それ以外の理由もある。そのようなテレビ放送に接していると、その当時のその時々の私自身の状況が一気に思い出されて(報道される事柄に接した時の私がどうだったかということも、報道される事柄から私が何を考えたかということも)、あまりにもいろいろなことがあって、その都度いろいろなことを考えたり悩んだり迷ったりしてきたことも一気に思い出して、テレビ放送だとそこから離れないと私自身が少しつらいというところがある。新聞もWebもざっと見で通している。ただ、気にとまった記事や文章は、私自身の負担にならない程度で切り抜いたり保存したりしている。

という中で、「書く」「言葉」という方法についても問い直したので、書けないということもある。いろいろ、あった。いろいろ、考えた。いろいろ、悩んだ。いろいろ、迷った。過去形で書いたけれど、全部現在もそうである。どんな1年だったか、いまはまとめる気になれない。

私は何者か。何ができるのか。何を受け取り、何を発信するのか。何度も何度も問い直す。

ただ、いろいろな人との出逢いがあった。この日記を通じてもたくさんの人と出逢えた。現実の生活の中でもいろいろな人と出逢い、助けられた。出逢えたことに、ただただ感謝しています。どうもありがとうございます。

今日も1日生きることができました。その積み重ねで気がついたら今年1年を生きることができていました。ありがたいです。そう思う。

1日1日を私なりに大切に生きていこうと思う(まわりも見ながら、私なりに)。よい年になりますように。よい年でありますように。そう願う、12月31日。


2004年12月27日(月) 目が冷える / 間があいた / パン屋で / 風邪とドラえもん / 本

自転車で走っていて、ふと「眼が冷える」と感じ、続いて「鼻が冷える」と感じた。

庭に放っておいた古いお鍋に氷が張っていたのを見つけた。ばりっと割ろうかと思ったものの、なんとなくもったいなくて、指先でつんつんと触れてみた。

冬が来たのだと実感した。

今日、自転車を走らせていた、とある道は、春になると毎年桜が一斉に咲きそろう。春は桜の下をわざとゆっくり通ってみることもある(後ろの人の迷惑にならない程度に)。

いまは、桜の木は葉を落としている。葉のない枝先は寂しいようで美しいようで。目立つところに、1枚、散り落ちずにとまっている葉を見つけた。背景には青い空。落ちるときがきたら落ちるんだろうけれど、落ちないで欲しいなぁと思いながら通り過ぎた。


前回にこの場所に日記を書いてから随分と間があいてしまった。そんなに間をあけるつもりではなかったのだけれど。

私は「紙2001」というソフトを使って、1度下書きをしてから日記を更新するのだけれど、いま文書ファイルを見ていると、「12月15日」というファイルがあった。開いてみると何も書いていなかった。ということは、12月15日くらいに1度日記を書こうとしたことがあったのだろう。…なぜ何をどうやって書こうとしていたのかなぁ。

ここのところ、何を書こうか(内容?)、どう書くか(方法?)と同時に、「書いている私はいったい何者か」ということを考えていた気がする。「書く」「書こうとしている」ということが既に私をあらわしているのかなとか、私の表現形態になっているのかなと。

で、いろいろ考えていたのだけれど、とりあえず、この場所には、私は書ける時に書けることを私に気持ちのいいペースで書いていくかな、と思った。

あと、風を感じたり周りの風景に心躍らせたりということを大切にしようと思った。


今日、パン屋さんでお客さんが店員の方に「焼きいもパンって焼きいもが入っているの?」といっている声を聞いた。

おいものあんが…と答えている声は聞こえてきたのだけれど、…答えの内容を聞きそびれた…。


数日前から風邪をひいている(でも、もう治りかけている、というわけでこうして日記を書けているわけだけれど)。

この日記を読まれている方も風邪に注意してください。つらいです。私の場合は最初鼻が詰まって、その後のどにきました(アレルギー体質なので、鼻は埃やちりでもぐすぐすいうことがあるので、油断した)。

ところで、「風邪をひいて声がドラえもんみたいになってしまった」という比喩を聞いたことがあるようなないような、だけれど、来年の春にドラえもんの声優が別の方に変わったらこの比喩はどうなるのだろうか…と思った。と思ったのは、私が今の状況を説明する時にこの比喩を使おうとしているからなのだけれど…。


「夕凪の街 桜の国」(こうの史代著、2004年刊、双葉社、)(こちら)を、前回の日記で書いてから何度か読み直している。

先日、知人がこの本を読んだよと知らせてくれた。私はその方にこの本を読んでみてほしいなと思っていてそれをなかなか伝えられずにいたところ、別のルートでその方はこの本に出逢われたそうだ。しかも、その方も私にこの本を読んでみてほしいなと思ってくれていたそうだ。

なんだか心にしみた。ほっと嬉しかった。


ここまで書いて、「はー。やっと日記を書けた」と思った。←肩肘張って書かなくてもいいのになぁ。


2004年12月02日(木) 忙しいことは寂しい / 涙がこぼれてコンタクトレンズ / そこにいたひと

師走。「師」が「走」るくらい皆が忙しい時期。赤や黄色や茶色の葉っぱがひらひら。

最近、忙しいことを寂しいことと思う。

うまく説明できないのだけれど、単純に、みんな忙しいから私のことをきちんと見てくれない、忘れてしまっているのかもしれない、遊んでくれない、という寂しさがある。「〜〜してくれない」と思っている時点で、既に相当私が我が儘だということを暴露していて、そんな私は全然だめな人だなと思っている私自身がいる。

うん。この際だから隠さずにばらしてしまうと、みんな忙しくて大変そうだから私は寂しい。

しかし、そんな私は忙しくないのかというとそうでもないような気もするし、かと言って暇かというとそうでもないような気がする。いつもの通りふよんふよんとやっている。

「忙しい」という言葉で隠蔽されるものがあるとしたらそれは寂しいと思う。

寂しい。


最近、割とつらい日々が続いているのだけれど、「私は他者に迷惑をかけてばかりの存在だし、他者に迷惑をかけることしかできないから、これ以上私なんかのために他者に迷惑をかけてはいけない」と思って、話したい時に話したい人と話したいことを話せずにいる。時も人も事柄も全部ごしゃごしゃになっていて、結局残るのは「今、私にできるのはとにかく黙って私自身だけで私が頑張るしかない」という決意と、ほんの少しの違和感。その違和感も積もり積もれば耐えられなくなってくる。もともとのところが混乱しているのでさらにうまく話せなくてますます黙るしかないと思って、でも、の悪循環。

という話を、今日、ある人に何気なくふっとしてみたら、相手の方が「じゃ、話した人にどうしてもらいたいの?」と言葉をかけてくださった。その言葉を頂いたのが嬉しくて、でも答えることができなくて、そもそも「人にこうしてもらいたいとかああしてもらいたいとかいうことを私は考えてはいけないんだ」と私が思い込んでいることに気がついて、それをとっぱらうとものすごく我が儘な答えしか出てこないから言えなくて、ただただ、黙った。じわっと涙が浮かんだ。

私は「認めてもらいたいのかもしれない。忘れてもらいたくないというか」と言って、その後「嫌われたくないのかもしれない。でも今の私は迷惑になるようなことしかできないから、こんなことをずっと続けていたら離れていかれるかもしれない」と続けた。

「例えばね、誰でもいいけど、○○さんとか、あなたから離れていくかな」と言葉をいただいた。

涙が浮かんでぐしょぐしょになった。

嬉しいのか悲しいのかごしゃごしゃの気持ちのままこっそり涙ぐんでいると、視界がどうもおかしいことに気がついた。

「あ、あの、どうも視界がおかしくて、左のコンタクトレンズがはずれたかずれたかしたみたいで、ほんと間抜けですみません。」ということで一緒に探してもらった。はずれた実感はないので眼の中にあるはずなのに、眼の中にもある感覚がないので、いろいろ探してもらった。服を見てもらったり床を見てもらったり自分でも服をはたいてみたり。

結局、眼をぐるぐる動かすと、眼のかなり上の方にコンタクトレンズが回り込んでしまっていた。必死で下げて黒目にのせた。

「ほんとにまぬけですみません…探していただいたのに、結局眼の中にあって」と言うと「いや、見つからなかったら大変だから」と答えて下さったことが嬉しかった。申し訳なくもあったけれど。

それにしても、ほんとに間抜けだというか絵にならないというか。


先日、大切な人が他界されたとの知らせを受け取った。今も混乱している。

直接お会いしたことはない方だった。でもいつかお会いしたいしお会いしなければならないとも思っていた。そして、いつかきっとお会いできると信じていて待っていた。なのに。なぜ。

黙々と日々を営んでいた方であるそうだ。でもその姿、そこにあることから言葉以上に何かを周りに伝え、つなげていた方であるそうだ。静かに微笑む姿が美しかったそうだ。


最近、購入し、何度も読み直さずにはいられない本。
「夕凪の街 桜の国」(こうの史代著、2004年刊、双葉社、)(こちら

まだこの本について何かを書くことはできないのだけれど。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)