風紋 もくじ / この前 / この後
「4月下旬から5月上旬をあらわすような風景の写真を撮りたい」というただそれだけの理由で、今日はデジカメを持ち歩いてみた。私としては珍しいことである。ちなみに私の携帯電話にはカメラはついていない。 昨日と一昨日に休養を取ったとはいうものの、やはり金曜になるとどっと疲労が押し寄せるのか、後頭部のあたりに「眠気」と「だるさ」と「やる気のなさ」がふわぁんと漂っているような状態で1日を過ごしていた。人と話をしていても、口だけが動いている感じがした(今日は、あまり人と話をしなかったし、したとしても他愛のない日常の話しかしなかったが)。 季節のせいなのか何のせいなのか、疲れやすい。思うように体が動かないこと、行きたいところにぽーんと飛べないこと、したいことをぽーんとすることができないことに、もどかしさは、ある。 今日の夕方、自宅の階段を踏み外して転んだ。もう1段あるのに気がつかず、もう階段は終わったつもりで足を動かしたら、実は階段がもう1段あって、結果的に転んだ、と。今の家の階段で転んだのは初めてだ。 いたい…。と一瞬思ったが、今はそれほど痛くない。右腕に少しだけ擦った痕が残ったのと、あと足を打って色が変わったくらい。 しかし、この日記の最初の日も、転んだことの記述からはじまってるなぁ。単に私がおっちょこちょいなのか、転んだから珍しいと思って日記に書くことが多いのか。
今日、恐らくはあの場所で、あの方々は、どうしていらっしゃるだろうか、どのような思いでいらっしゃるだろうか、と考えながら、1日を過ごしていた。 月曜は休養、火曜は外出して予定以上によく仕事をし、水曜は起き上がれないくらい疲労していたので自主的に休養して、で、今日(木曜)。 今日も休養にあてるつもりだったが、予定以上に仕事ができた(少しずつで、しかも寝たり起きたりしながらだったけれど)。 夕方、近所のコンビニエンスストアまでコピーに行った。 少し枚数が多いので、とりあえず300円入れて、1枚目をコピーし始めたら、中学生くらいの女の子が2人連れで来て、小さい声で「あ」と言った。どうやらコピーを使うつもりらしいと気がついて、「私、コピーするのに少し時間がかかるかもしれないので、先に使いますか?」と声をかけてみた。「いえ、いいです。待っています…」とのことだったので、なるべく早めに終わらせようと思いつつ、先に使わせてもらうことにした。 よく考えると、確かに突然知らない大人から「先に使いますか?」と聞かれるとびっくりするかもしれないなぁ…と思いながらコピーをしていた。その間、女の子2人は、隣にある雑誌のコーナーでいろいろな本を見ていたようだった。 やっと終わったので、「終わりました。どうぞ」と声をかけると、「ありがとうございます」とのこと。で、私は退散して雑誌のコーナーへ。2人で「後であれもう1回見ようね!」と言っているのが聞こえたので、待っている間もそれなりに楽しんでいたのかもしれない。 面白い雑誌がないかなーと思いながら雑誌コーナーにいると、女の子のうちの1人が「あの、これ、1枚忘れてます」と声をかけてくれた。…サイズが半分のものを1番最初にコピーしたから忘れちゃったんだな。「ありがとう」と言って受け取った。助かった。どうもありがとうね。 そんなこんなで、コンビニエンスストアに入った時はまだ明るくて西の空が朱色だったが、出た時は薄暗くなっていた。 そんなこんなで、寝たり起きたり、家にいたり外出したり、仕事をしたりしなかったりしているが、とりあえず部屋が荒れ放題の現状を連休中に何とかしたいと思う。 突然だが、飛行機雲(見えるかなー。見えないなー。左下から右上(画面右端の中央部)にかけてすうっと…見えないか。やっぱり。とほほ)。
「そう遠くない昔のことのような気もするし、ずっとずっと昔のことだったような気もする、そんな過去のある時に、もう二度と会うことのできない遠いところへ旅立った友人」のご家族に、お手紙を書いた。そして、大きめの封筒に、お手紙と少々の書類と小さい冊子を入れて、郵便局からお送りした。 お風呂に入っている時に、「バナナジュース作ったよ。できたよ」と家族が声をかけてくれた。色が変わるから早く飲もうよ、と。 …う〜ん。でも私はお風呂の中。 考えた挙句、湯船でのんびりと体をあたためながら、バナナジュースをのんびりと味わった。 …なぜか、ワイングラスで(なぜだ?)。 演奏会が終わった。 もともとかなり体力の必要な曲目構成だったうえに、数日来の体調不良も重なってぼろぼろだったので、「本番で最後まで倒れずに楽しめたら良いな」くらいの気持ちで臨んだ。耐えられずに、本番の2時間ほど前に頭痛薬を飲んだのだが、効いたのかどうかよくわからない。 全体としての出来はどうだったかよくわからない。私としては、ずっと演奏してみたかった曲を今回演奏できたので、嬉しかったのだけれど、反面、“こんな時に…”という後悔が残ったというか…もっと練習したかったけれど、今の私にはこれがいっぱいいっぱいだった…。 しかし、本番は精一杯の思いを込めて演奏したので、その意味では後悔はない。 アンコールで、お客様から自然と手拍子をもらえたのが一番嬉しかった。 下の写真は、大切な大切な友人からもらった花束。大切な友人なのに、彼女は何にも悪くないのに、なぜか私は“会えない”という気持ちになってしまって、長い間連絡を取れずにいた。最近、ふと“今なら会えるかもしれない”と思うようになった。1週間前という直前に案内を送ったのに、来てくれた…。嬉しかった。 音楽、大好きな人達、愛している街、愛しているあの海、そして「そう遠くない昔のことのような気もするし、ずっとずっと昔のことだったような気もする、そんな過去のある時に、もう二度と会うことのできない遠いところへ旅立った友人」への思い。それらが、少しずつつながりはじめているように思う。 では、何をどう形にしよう? どう動こう? …少しずつ考えながら、動こう。 注:花瓶は、たまたま家にあったものです。
メモ程度に、どうしても書き残しておきたいという気持ちだけで書き残す。 今日という1日は、私自身にとって1つのターニングポイントになるだろうという覚悟をして家を出た。家を出ないという選択もあったが、私は家を出て目的地に向かうことを選んだ。かなりの覚悟。私にとって良い方にも悪い方にもどっちにも転ぶ可能性があった。大げさかもしれないが、生きて帰ることができるかどうかわからないけれど絶対に生きて帰るという覚悟を決めて家を出た。 目的地まで、最初はいつもの通りに、ほけほけと歩き、電車に乗っていた。目的地が近づくにつれて、だんだん緊張感が高まっていった。普通に歩いていると、何でもない風景が“心のアンテナ”に引っ掛かって涙が出そうになっていた。スーパーの風景。何気ない道路。だから、できるだけ頭を真っ白にして歩くように心がけたが、そうすると、“今日しか見られないもの、今日しか感じられないもの”を得るチャンスを自ら手放すことになってしまうし、…と思うと、本当にわけがわからず歩いていた。 ここが公開の場であるという関係から、そうなるに至った詳細はちょっと省略させていただく。まだ、私自身が“それ”を言葉にして発信できる段階にない、ということもある。 結果的には、良い方向に転んだ。 嬉しかった。こんなに私自身の素直な気持ちを話したのは初めてだったように思う。その証拠に、私、すごく大声で喋ってしまっていたから。うまく言葉にできなくて、黙り込んでしまって、もどかしくて、知らず知らずのうちに、右手で左腕を何度も叩くということを数秒続けたり(状況説明が難しいが、「包丁で野菜をすとすとすとと切るような感じで」)、喉元に右手を置いたまま数秒佇んだりといったこともしていた。それでも、皆、話を聴いてくれた。そして私も、皆の話を、それぞれの人の眼をまっすぐに見つめながら聴くことができた。 私は今までずっと泣けなかった。素直な気持ちを“気のせい”として押し込めてきたこともあった。けれど、泣きたい時に泣くことはとても大事だと思う。泣く理由が何であれ。 そして、外から見て「泣いている」という状態になくても、「心の中で泣いている」という状態があるということを、今日、気づかせてもらった。 「推測でしかないんですけれど、あなた、今、心の中ではすごく泣いているんだと思いますよ。これまで泣けなかった数年間分を、今、泣いているんだと思いますよ」という言葉をもらって、図星です…と思って、その時だけ、ちょっとだけ、じんわりとほんとに涙が浮かんだ。いろんな感情がないまぜになって。でも、一方ではとても穏やかな気持ちだった。 あくまで比喩なのだが、やっと、ここまで来ることができた。しかし、まだ先に行きたい。絶対に行くんだ。
世の中は4月1日、あるいは今週の初っ端(つまり昨日)から本格的に始動という場合が多いのかもしれないけれど、私の場合は、どうやら来週あたりから本格始動という感じになりそうである。 下の写真は、昨日のお散歩の時に撮った写真の1つ。散り落ちた桜の花。 咲いているのも桜なら、散り落ちたのも桜。いずれこの花はどこかへ飛ばされ、花の形もとどめずに花びらに分かれて、誰も知らないところに行くのだろう。そして花の盛りが過ぎれば、桜の木は、桜の木であるということを忘れられてしまうだろう。 それでも「終わり」ではないと思いたい。一見「終わり」と見えるものから「はじまり」もあると思いたい。 関係ないが、しゃがみこんで、ひたすら地面に向かってデジカメを近づけている私の姿は、通行人から見るとさぞ不審だっただろう。…まぁ、いいや。 写真の見やすさなどは今後試行錯誤します。
お昼過ぎ、郵便局に行く用事と文房具店に行く用事を兼ねて、少し近所を散歩してみた。
日中は、ほとんど何もせず、ひたすら横になっていた。 「私は花が咲くと文章を書きたくなるらしい」というわけで、画像アップロードのテストも兼ねて、写真を掲載してみる。 文章を綴ることだけでなく、写真も面白いなぁ…と思うのは、写真1枚見ても、その人がどのような視点からどのような思いで撮影したかがわかるから、その人が何を伝えたいかが文章とは違う形でわかるなぁ、ということ。撮り手が意識しているかどうかわからないけれど、その人の“世界の切り取り方”が、わかるのではないかしら…と。 (2004年4月4日,13:10記) お、ちゃんとアップロードされている。すごいすごい! (2004年4月4日,その後試行錯誤を重ねて13:20記)
どうも私は、花が咲くと文章を書きたくなるらしい。 桜について、もう1つ。 今日、携帯電話のカメラで、いろいろな角度から桜の花を撮影している人を見た。女性で、1人で。その姿を見て、いろいろと考えた。 この人の眼には、この桜はどう映っているのだろうか? この人は、携帯電話のカメラで桜の花を撮ることで、何をどのように残したかったのか? 私の眼には、この桜はどう映っているのだろうか? 私が、この桜のことを何らかの形で残すとしたら、どのように残すだろうか? 写真で?言葉で?身ぶり手振りで?あるいはもっと違う形がある? そこから、私がこの桜のことをどのように思っているのかが浮かびあがるような気がするけれど。 そのようにして「私」が残した桜の姿を通じて、誰に何をどのように伝えることができるのだろうか? 伝えたいことは、伝わるのか? …私によってしか残せないこと、私によってしか伝えられないことがあるということと、それは別に私に限った話ではなくて、それぞれの人が、その人によってしか残せないこと、その人によってしか伝えられないことがあるということは、それはそう思うのだけれど。 鳩の足は、健気で可愛らしくて面白い足をしている。 鳩は飛んでいることもあるけれど、歩くこともあるのだなと、当たり前のことを思った。 今日、ミーティングの時に部屋にペットボトルのお茶を持って入ったのだけれど、その部屋にお茶を忘れてきてしまった…と、思う。ちょっととんでもない場所に置いていたのと、ばたばたと退出したこともあって。 残ったお茶に未練はないが、誰か気がついて処理してくれていたらいいな…と思う。家に帰り着いてから忘れたことに気付いたんだよ…。 その時々で残しておきたいことは、ぽつりぽつりとあるものの、断片的な言葉にしかならなかったり、残す体力がなかったりして、こぼれ落ちているものがたくさんあるようにも思う、今日このごろ。 明日残してもいいんだよと頭では思いながらも、どうしても今、と思うのに、体がだるくて動けなかったり。
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