風紋

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2004年03月31日(水) 近況報告 / 桜 / 花の話

ここに文章を書くのは随分と久しぶりのことになってしまった。しかも前回も「取り急ぎ」という感じで、メモ程度に走り書きという感じで書いたので…(でも、今、前回の日記を読み返してみると、あれであの日書き残したいことのおおかたは書き残すことができているような気がする)。

その間、何をしていたかというと…あんまり自分でも思い出せない。思い出せないという事実もそれはそれかな、という気はするが。

何となく相変わらず激動の日々が続いていて、大きく心を揺さぶられるような出来事が続いている。その中には、ポジティブな方向に揺さぶられる出来事もあるし、ネガティブな方向に揺さぶられる出来事もあるし、トータルで考えると差し引きゼロと考えられなくもないが、「これ、他の人から見るとほんとに些細なことなのかもしれないな」ということでも、心が大きく揺れていたりするので、それはちょっと私自身も何とかしたいなと思っている。

“どうもありがとう”と感謝したくなるようなこともたくさんあったし、“後ろからフライパンで頭をごつんと殴られたようなショックを受けたこと”もあったし、あと、自分が住んでいる街とは違う街を彷徨い歩いて、言葉にならないことをたくさん受け取ったりもした。

とりあえず、つらくて苦しいこともたくさんあるけれど、嬉しくて幸せなこともたくさんあるので、大波小波あってふらふらになりながらも、まぁ何とかやっています…というわけで。

ちなみに、ビーズの指輪、2つ目が完成。肩が凝ったし難しかった…のは、失敗してはいけないと無駄に緊張したからかもしれない。

メモ程度に、どうも2〜3日前から、風邪っぽい。鼻詰まりがひどい。昼間から横になっていることもしばしば。起き上がろうとしてもどうしても起き上がれないことも、しばしば。


「桜が何となく咲きたがっているように見える」と書こうとしたら、ここ数日で、種類によってはかなり咲いている姿を見ることができるようになった。種類や場所によってはまだのところもあるけれど。

なんだか、私ってずるいなぁひどいなぁ…と感じるのは、この季節以外は、桜の木がそこにあるということを忘れているということ。桜の木は桜の木として、年中変わらずそこにいて、桜の木なりに日々を過ごしているのに、どうしても桜の木に注目するのはこの季節だけになってしまいがちだなぁと思うと、ごめんね…と思う。

それでも、桜の木は桜の木として、誰の目も気にせずに、年中淡々と生きているのは、すごいと思う。


花に関連した話題をもう1つ。

先日、とても美しく咲いている花を見た(花の種類は忘れた)。この花、ずっとこのまま咲いていればいいのにと思った。そして、この花が美しかったということや、この花の様子や、この花との出会いが私にとってどのようなものであったかを残しておくにはどうすればいいかなと思っていた。

咲いている姿をいつまでもとどめるために、その花とそっくりの造花をつくるというのも違うような気がする。写真に撮っても、足りないような気がする。言葉で残しても、足りないような気がする。

ではどうやって?…と考えると、写真や言葉を使うのも1つの方法だけれど、結局は私自身がしっかりと見て、心の中にその姿をとどめておいて、しっかりと対峙するというのが全てかなとも思った。

…それでも忘れることはあるんだけれど。


2004年03月17日(水) メモ程度に2つほど(会えない友人に会いに行く/nobilmenteとespressivo)

今日はメモ程度に2つほど書き残す。本当はもっと私自身の中であたためてから書きたいことなのだけれど、今日はそれだけの余裕がない。せめて手がかりだけでも残しておきたいから。


「そう遠くない昔のことのような気もするし、ずっとずっと昔のことだったような気もする、そんな過去のある時に、もう二度と会うことのできない遠いところへ旅立った友人」に、久しぶりに会いに行ってきた。

以前会いに行った時から後に起こったこと、出会った人、考えたことなどを静かに振り返っていると、不意に「ありがとう」と私は呟いていた。今まで「ごめんなさい」の方が先に出ていたのに、すっと「ありがとう」と。

不思議だった。やっと、やっと「ありがとう」と言えた…。

運良く居合わせたご住職とゆっくりとお話をさせていただき(全然考えずに訪れたのだが、今日は彼岸の入りだったのだ)、安心した時間を過ごせた。そして、いろいろと考えた。塔婆をお供えさせていただいた。


音楽を演奏する時に、「nobilmente」(日本語で「高貴に、気高く」)という指示があるところは、「espressivo」(日本語で「表現豊かに」)に演奏するということではない、ということだった。

確かにそれはそうだろう。作曲者がわざわざespressivoでなくnobilmenteと書いてあるのだから。

でもnobilmenteとespressivoの違いは何だろう。nobilmenteに演奏しようとすると、espressivoとも少し重なってしまう。

そもそも作曲者はこの箇所に、どんな思いを込めてnobilmenteと書いたのか。それは、他の音楽表現用語についても同じことが言えるけれど、ひとつひとつ丁寧に見て考えながら楽譜と向き合いたいと思った。


取り急ぎ、忘れないために、今日、心に残ったことを手がかりだけでも書いておきたかった。なんだか、今週に入ってから、毎日が何かしら激動(というと言い過ぎか?)である。


2004年03月16日(火) はなしとま。待とう。

最近の私は、とにかく私の話を聴いてほしいという思いが強すぎて、他のことが何も見えていなかったなと、気がついた。反省した。

私の話を聴いてほしい(でも聴かれたくないことは聴かないでほしい)。
私を知ってほしい(でも知られたくない部分まで知ろうとしないでほしい)。
(余談:このように言葉にしながら、何だかとても自分勝手で我儘な望みだなと思った。)

とは思う。

でも、その思いが強すぎて、その思いばかりが先走ってしまっていないか?とも思ったのだ(いや、絶対先走っている。最近の私自身の言動を振り返ると恥ずかしいから…)。
例えば、他の人の話にゆっくり耳を傾けることを忘れている。
それから、私は、なぜそんなにまでして話そうとするのか、誰にどのように話そうとしているのか、何を伝えたいのか、どのように伝えたいのか、…ということを考えるのを忘れている。

そもそも、私は何者なのか? 私は他の誰でもない人間だ、とは思う。それからどうする? どう進む? そんな私が、何を話せる? 何を受けとめられる?

そんなことを考えていて、結局昨日は、「そよ風」の方に「しばらくは、自分から言葉を発することをやめるかもしれない。書きたくても、書かないかもしれない」としか書けなかったのだ(「そよ風」の方には、やや暴走気味?のことも書くので…)。

一気に心を閉ざしてしまったりもしていた。もう何も言わない。言えない。話すものか、と。

どちらにしても、今の私には、こんなことをこのようにしか話せない。それでも話してみたかったから話したが、未だに良いことなのかどうかわからないけれど。

「待つ」ことの大切さ。私自身が、待っていてくれて、あせらさないでいてくれてありがたかったから、他の人と接する時にも、待ちたいし、あせらせたくはない。

ところで、私のハンドルネームは「浜梨」だが、自分の名前でも名前の一部でもない。何となく、ハンドルネームにするなら花の名前がいいなと思って、適当に調べて、漢字の組み合わせと花そのものが気に入ったので、これに決めた。

ちなみに、「浜梨」と書いて「はまなし」と読ませる場合と「はまなす」と読ませる場合とあまり厳密に決まっていないらしい。色々調べたが、もともと「はまなし」であったのが、「し」がなまって「す」になったという説もあるらしい。

私自身は「浜梨」であればどのように読まれてもよいと思っているのだけれど、今日、ふと気がついた。

仮に「はまなし」と読ませたとすれば「ま」を取れば「はなし」。
仮に「はまなす」と読ませたとすれば「ま」を取れば「はなす」。

…つけた当初は全然意識していなくて、それこそ今日気がついたのだけれど、私が自分でつけた名のように、「ま」を取りながら「はなし」たいものだ。

それから、他の人の話も大切に、ゆっくりと聴くこと。待つこと。

私が大切にしたいと思うことを、大切にすること。


最近、外に出ると、めまいとか、ふらつきとか、耳がつーんとかきーんとする感じとか、ひどいときには頭痛もする。季節的なものなのかな。

でも、今日は仕事を1つ済ませた。


桜が、なんとなく咲きたがっているように見える今日この頃。


2004年03月09日(火) 今年の春〜初夏の夢 / バスの運転手さん / 突破口。でも少しずつ

一昨日に、「今年の夏に、絶対してみようと思うことがある」と書いたのだけれど。

それにつられるように、今年の春〜初夏に、絶対してみようと思っていたことも思い出した。

それは、お祭りに行くこと。

…忘れずにいよう。


昨日、帰りにバスに乗ったのだけれど、その運転手さんは、黄信号に近いタイミングでも停車せず進んでしまうような、ちょっと“あれっ?”と思う場面も多かったのだけれど、1つ1つの停留所ごとに「○○です。お降りございませんか? 発車します。お気をつけ下さい」と言葉を添えてくれる、優しい運転手さんだった。

のだが。

同じことでも、順序を変えて

昨日、帰りにバスに乗ったのだけれど、その運転手さんは、1つ1つの停留所ごとに「○○です。お降りございませんか? 発車します。お気をつけ下さい」と言葉を添えてくれる、優しい運転手さんだったのだけれど、黄信号に近いタイミングでも停車せず進んでしまうような、ちょっと“あれっ?”と思う場面も多かった。

と紹介すると、読んだ方の受ける印象が少し違ってくるかもしれないと思うと、どう書こうか悩んだので、両方書いてみた。ちなみに、私は「いい運転手さんだなぁ。また乗る機会があればいいなぁ」と思った。


昨日は、現在私が抱えている問題点の突破口になることを、いろいろな方からご指摘いただいた。ありがたい日だった。とりあえずできることから少しずつしてみようとしている。1つ1つは小さいことでもいいや。積もれば山…になるかどうかわからないが、何かにはなる…だろう…なってほしい…。

昨日学んだ、最も大きなことは「一気にどかんと素晴らしいことをしようと思わずに、何年も何年もかけて積み重ねていくということも大切だ」ということ。

しかし今日は、だるいような頭痛がするような、という気がしたので、寝たり起きたりしながら、ちょこちょこパソコンに向かって作業をしたり、ちょこちょこ小説を読んだりしていた。ビーズの指輪作りも、頭痛の時にすると余計に頭痛を倍増しそうなので、今日はお休み(今、取り掛かっているところが、右と左がごっちゃになってテグスが絡まって割とやりにくいところなので…)。


2004年03月07日(日) 今年の夏の夢 / 何かが戻ってきた / 携帯を手にする夜 / 近況 / BGM:「The Divine Comedy」 / メモ

今年の夏に、絶対してみようと思うことがある。

砂浜を裸足で歩いてみること。海水にちょっと足を浸してみてもいいかな。あの海岸の。あの砂浜でね。

それが、今年の夏の夢。


春の気配を感じるようになり(でもここ数日は暖かくなったりものすごく寒くなったりよくわからないけれど)、少し、この場所に書くための言葉が無理をしなくても自然に出てくるようになるような気がする。この場所に書き記したいと思うことも、無理をしなくても「心のアンテナ」(←私が命名したものだが)に引っ掛かってくるような気がする。

年が明けてから(2004年になってから)、ここに日記を書き記す頻度が落ちたなとは私自身も感じていて、別にそれで誰も困らないのかもしれないし、私も困らないのかもしれないけれど、何となく気にはなっていた。何というか…私の中の何かが、頻繁に日記を書いていた時とは違っていたのだ。その「何か」がやっと戻ってくるような気はしている。

…しているが、他に色々所用を抱えていたり、ここに書く体力がなかったりするので、しばらくは「少しずつ」になると思います。


えぇと、今日も多少暗めと言えば暗めの日記なのかもしれないけれど。

「私はいつ命が尽きても後悔しない」と言いたいところだけれど…言いたいところだけれど…なかなかそう言い切ることは、実はできない。その時その時は2度と戻ってこないものだから、一瞬一瞬を大切にしようと思いながら、なかなかそのようにはできていないし。ただ、その時その時で私自身が素直に思う方向には進んできたつもり…かな?(やはり自信がない)…ので、“その時”が自然に来たならば、その時はその時だと考えるようにしている。

ただ、“その時”が自然に来たとしても、後悔が残るだろうと思うのは、私にとって大切な人に、伝えたいことを何も伝えられないまま、そうなってしまったら…ということ。「伝えたいこと」というのは必ずしもうまく言葉にならないかもしれないけれど、“伝えたいことがあるの!”ということだけでも伝えたいと思う(…それも迷惑かもしれないが)。

時々、ほんの稀に、時々、ではあるけれど、夜に眠りにつく時に「明日も私は本当に生きているかな」と不安になることがある(別に重病を抱えているわけではないのに…)。もしかすると、このまま目が覚めなかったら、絶対に、私にとって大切な人に、伝えたいことを何も伝えられないままであったことを悲しく思うだろう。

そんな夜は、携帯電話を出して、メモリを探して、「受話器を上げる」ボタンを押そうとしたくなる。無性に。

…朝になると普通に目が覚めているから、今、こうして日記を書くことができているのだが。

言葉になるものは、ほんの一部であるとは思うのだけれど。


最近凝っているものは、ビーズアクセサリー作り…と格好良く言ってみたいところだが、今のところ指輪が1つできただけで(それもごく初歩的なもの)、2つ目の途中で挫折している。細かい作業なので、あまり熱中すると頭痛がするし。

どうせ興味を持つなら、縫い物や編み物やお料理の方が実生活に役立つのに、私の興味の方向は非実用的だな…と思わないでもないけれど、まぁ心の向くままでよいかしら、とも思う。

あと、再びお茶の淹れ方に凝ったりもしている(ジャンル問わず)。抽出時間や温度などを考えると、疲れてしまってやめたくなってしまうので、基本的に「茶葉にお湯をかけて色が変わったら飲める」と大ざっぱに考えるようにしている(→大ざっぱすぎる)。

ソフトコンタクトレンズのはめ方に、未だに慣れない(ハードコンタクトレンズとソフトコンタクトレンズ(1日使い捨て)と眼鏡を併用するようになった事情については、また後日←でもそれほど大した事情でもない)。


BGM:「The Divine Comedy」(I.The Inferno, II.Purgatorio, III.The Ascension, IV.Paradiso)(Robert W. Smith)

わざわざ英語で書いたが、和訳だと「神曲」(1楽章:地獄篇,2楽章:煉獄篇,3楽章:天国篇,4楽章:昇天篇)となる。吹奏楽のオリジナル曲。

私は演奏したことがないが、後輩が演奏したのを聞いたことがある。好きな曲だと思ってCDを手に入れた。今日、久しぶりに聴いてみて、“あぁ、やっぱり次の演奏会のステージに乗りたい”と思った。別に次の演奏会でこの曲をするわけではないけれど、久しぶりにこれを聴いて、ステージに乗った時の感覚や嬉しさ、興奮が懐かしくなって、絶対次の演奏会に出るんだ!って。

…えぇと、楽団の練習に行けない日々がまた続いているのです。

音楽が嫌いではないのに、むしろ音楽についてなら何時間でも話せるほど好きなのに、明らかに今は私にとって練習に参加することは負担になっている。嫌いではないけれど、好きなのだけれど、その場に出るのがつらい。だから今は行けない。でも自分の存在を忘れ去られたくはない。本番にも出たい。

…どうなることやら。


メモ:今日は午前中はだるくて横になったりもしていたけれど、午後はやりたいこととやらなければいけないことを、細々としたことでも整理できたと思う。メールで連絡を取るとか、メモを取るとか、雑用を整理するとか、1つ1つは小さいことでも、積み重ねれば何とかなるかしら。なってほしいな。


2004年03月01日(月) 時間

帰りのバスに乗っていた時のこと。

若い男性と女性が会話しているのが耳に入ってきた(恋人どうしなのか友達なのか単なる知り合いなのかは判断できなかったが、恋人どうしではなさそうだった)。

「そう言えばもうすぐ1年になるんだね」「そう言えばそうだね」「早いねー」という弾んだ声が聞こえてきた。何が「もうすぐ1年」になるのかわからなかったが、弾んだ声の調子からすると、その何かからもうすぐ1年になることをしみじみと嬉しく思っている様子が伝わってきた。

「あれからもうすぐ〜年になる」とか「あれからもう〜年経った」とかいう言葉は、日常割とよく使われる会話ではないかなと思うけれど、「あれ」が何なのか、「あれ」がその人の中でどう位置づいているかによって、その言葉の発し方が全然違うような気がする。しみじみと嬉しい気持ちで発したり、やっとこさというほっとした気持ちで発したり、嬉しいような悲しいような気持ちを抱えながら発したり、癒されない痛みを抱えながら発したり、あまりに痛すぎて言葉にして発することができず心の中だけで呟いたり、あまりに痛すぎて「あれから〜年」など考えることさえできなかったり。

そんな「あれ」や「それ」を人はたくさん持っていて、それは嬉しいこともあり、悲しいこともあり、だろうけれど、そんな「あれ」や「それ」を抱えながら人は生きていくんだなぁ、とぼんやりと思った。悲しいことがあったらつらくてつらくてたまらないけれど、嬉しいこともあるから、そんなこんなが織物が編まれるように毎日が続いていくのかな。

別に「あれ」や「それ」が何であっても、何年経ったから、こういう気持ちになっていなくてはならないとかいう問題ではないということも、最近よく思う。

「人それぞれ受け容れていく時間の長さが違う」とは、最近、大切な人に頂いた言葉。いろいろなことがあるけれど、それを自分の中に溶かしていく時間は人によって違っていいじゃないの、と思う。


と、書きつつ、なぜか今日は帰宅してから妙に「何かしなければならない気分」になり、必死で「何かすること」を探している。そのくせ、しなくてはならないことをする気になれないのが、何というか…。

今日は外出した時に多少ふらついたことだし、無理せずにゆっくりと過ごそうと思う。

と言いつつ、ビーズアクセサリー作りに取り掛かったら、初っ端から「交差のさせ方」がわからず、挫折。


3月になった。2月はあっという間に終わってしまった。取り急ぎ、冷蔵庫の中にあったはずの3月1日賞味期限のヨーグルトをどうしよう。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)