風紋

もくじ / この前 / この後


2003年08月31日(日) 8月の終わり / その他

気がついたら、8月が終わろうとしている。8月と9月の間の区切りも、何だかとても大きいもののように私には思われる。実際には9月1日に一気に秋が来るわけではなく、暑さの中にも少し涼しい感じの混じる日が続いていって、次第に涼しさの方が増して次第に秋になるのかなと思う。今日は今日としてかけがえのない1日。明日も明日としてかけがえのない1日。

昨年の今頃は、引っ越しのこともあったからか、秋が来るのが怖くて怖くて仕方がなかった。今年は引っ越しはないけれど、体調のことが絡んで、昨年とはまた違う意味で秋が来るのが怖くて怖くて仕方がない。けれど、きっと良い秋にしよう、そうなるように今できることを頑張ろうと思う。“頑張ろう”と“怖い”の間を行ったり来たりの、今日この頃。


明日にもう論文を提出してしまおうと思い、今日は細かいところをちまちまと見直していた(後で校正はできるのだが…)。今日したことはそれくらい。何だか身体がだるいような気がしたので、多めに休養した。


クレープ、食べたいなぁ。シンプルなものでいいから(その方が食べやすい)。

あと、いろいろな本を読みたくなった。


2003年08月30日(土) 友人と会う / ミュージカルが好き

仲の良い友人と会って、楽しい時間を過ごしていた。ほっと一息つけるような、安らいだ楽しい時間だった。このような友人がいて、このような楽しい時間を過ごすことができて、幸せだなぁと思っていた。いろいろな話をした。体調も今日は良かったので、安心した(もっとも、その友人には最近の私の体調のことも話してあるので、そんなに気負わずに会えたということもある)

お昼ご飯を食べたお店で、食後にカフェオレを頼んだら、コーヒーの部分とミルクの部分が、きれいに2層に分かれたカフェオレが出てきた。私はこのようなカフェオレを見たことがなかったので、何だか感激してしまって、混ぜるのがもったいなくて、ストローで少しずつ氷をつつきながら、少しずつコーヒー色とミルク色が動いて混ざって1つの色になるのを楽しんでいた。きれいだねぇ…と友人と笑い合っていた。

百日紅の花がたくさん咲いていた。

別れ際は、少し寂しかった。また必ず会いたい。会えるよね。


私は、実は、舞台芸術…というか、演劇やミュージカルを観るのが割と好きだ。特にミュージカルが好きかな。ただ、好きだと思っているくせに、実際に公演を観に行ったりテレビで観たりすることが少ないので、あまり大きな声で好きだと言うのは申し訳ない気がするし、そんなに深く突っ込んだ話もできないのだけれど。

何と言えばいいのか、舞台で演じている俳優に憧れる。身体の全部をありったけ使って表現するということ。頭のてっぺんから足の先まで“見られている”“見せる(魅せる?)”という緊張感がとおっている身体の動き。私は昔から「自分自身を、他人に対して、自分の思うように伝えること」が苦手だと自覚しやすい人間なので、余計に憧れているところがあるのかもしれない。特に、初対面の人の前だと、緊張して身体ががちがちに凍りついたようになって、思うように身体が動かないような感じになることもある(注1)。

あぁ。やっぱりうまく書けないな。私はミュージカルが好きで、憧れている。今はこれしか言葉が出てこない気がする。

大学に入ったばかりの頃、大学で吹奏楽ができないことになった時に、今までと全く違うクラブ(サークル)に入ってみようと思って、いろいろ巡り歩いたことがある。その時に、演劇のサークルにも行ったことがある。結局、合唱をすることに決めたので、演劇のサークルには入らなかったのだけれど、何度か公演の案内が送られてきた(一度も行かなかったけれど)。

話がまとまらなくなってきたので(というよりも、どのように話を落ち着ければいいのかよくわからなくなってきたので)、まとまらないままに今日の日記はここで終わることにする。


(注1)
「私は緊張しやすい人間である」と私自身が思い込んでしまうことが、余計に他人の前で緊張しやすい状態を自らつくり出してしまって悪循環を引き起こしているという可能性はある。ただ、このこと自体に関しては、また後日書く…かもしれないし、書かないかもしれない。


2003年08月29日(金) 引き続きお休みモード

今日も、日記はお休みモード。日記がお休みモードだというだけなのだけれど。日常は…どうなんだろう。

今日は、何だか1日中ばたばたと、細かい用事を少しずつ済ませていた。おかげで、来月の学会のための宿泊の予約まで済ませてしまった(本当は今日するつもりではなかった。しかし、予約をしようと動き始めるのがそもそも遅すぎる)。

帰りに、いつもと少し違う道を通ったら、心細そうな眼差しの猫に出会った。


光が欲しい。光を見たい。


2003年08月28日(木) お休みモード / 前の家が夢に出てくる

今日も、日記はお休みモード。

というより、今日は体調自体あまり良くなかった。昼間からずっと横になっていて、なかなか起き上がれなかった。それなのに、仕事関係のメールをあちこちに出して、一人で悩んで混乱して焦って、余計に身体に良くないことをしてしまった。

大丈夫ではないけれど、大丈夫です(だから説明になっていないってば…)。明日はきっと、今日より少しは元気になります。そう信じます。その様子が、どれだけこの日記に反映されるかわかりませんが。


全然関係のない話だが、最近、夢の中に前の家が登場することが増えた。夢と言っても、寝ている時に見る方の夢の話だけれど。最近、起きた後まではっきり覚えている夢を見ること自体が多くなったのだが、これまでにないくらい、前の家がよく登場しているような気がする。部分的に今の家の状態が反映していることもある。

だからと言ってどうだというわけでもなく、ただ書いておきたかっただけなのだけれど。もうすぐ引っ越して来て1年になる。


2003年08月27日(水) 久しぶりに練習へ / 南の空

今、私は所属している楽団を休団している(7月30日の日記参照)。というわけで、練習日には多少心が痛みながらも、やっぱり行けない、でも行きたい、行けない…いつか練習に参加できるようになればいいなと思っていた(思っている)。

今日、午後にメーリングリストで練習の予定が携帯電話のメールに配信されてきたのを見て、私の好きな曲を今日は合奏するとのことで、急に行こうと思い立ち、するすると練習に行ってきてしまった。

“できる範囲で、のんびりと楽しめばいい”と自分に言い聞かせているのに、練習場所に着いたのが合奏開始予定時間を過ぎてしまって、自分を責めたりもしてしまった。結局、20分くらい遅れて合奏に入ったら、今日練習する予定の曲の1曲目をざっと通し終わったところだった。

楽器のメンテナンスはしていたものの、まともに楽器を吹くのが久しぶりで、なかなか思うように身体が動かなかった。コンスタントに練習に参加していた時は、頭で考えなくても自動的に動いていた身体の使い方を、今は忘れてしまっていて、身体の各部分がばらばらに動いているようなもどかしさを感じていた。

しかし、久しぶりに参加した合奏は楽しかった。特に主旋律でなくても、伴奏を受け持つところでも、音符の少ないところでも、とにかく音を出しているのが楽しくて、嬉しかった。それから、しばらく練習に参加しない間に、楽譜を今までよりも広い視点から見るようになっていた…というか、楽譜のこの部分では全体の中で自分はどのような役割を与えられているか、ここはなぜスラーがかかっているか、ここはなぜクレッシェンドになっているのかということを考えながら吹いていた(たまたま、別の団体で一度演奏したことがある曲だったからかもしれない)。

メンバーも皆、元気そうで良かった。ただ、事情を知らない人に休んでいる理由を聞かれた時は少しきまりが悪かった。「体調が悪いんです」とは言ったものの、こうして普通に見せようとしていれば、まったく普通だから、“体調が悪い”というのを免罪符にしているようで、罪悪感を感じた。実際、1時間ちょっとの間、合奏に参加している間も、時々息が苦しいなと思うことがあったのだけれど…。

時々こうして、楽器を吹きに行ければいいなと思う。少しずつでも、私なりに楽しむことができれば嬉しい。先はどうなるか、わからないけれど。


南の空は、たくさんの雲に覆われていて、その中で火星が見えたり隠れたりしています。数秒ごとに、とてもよく見えたり、全然見えなくなったりします。


BGM:「火星」(組曲『惑星』作品32より):ホルスト作曲 / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン)

やっぱり今日はこの曲かな、というわけで。この組曲の中で好きなのは「火星」と「木星」です。一度演奏してみたいな。


秋の虫は、きれいな声で鳴いているのだなぁ。


2003年08月26日(火) 糸 / 返信 / お休み継続中というよりは…

縺れていた糸が、少しずつほどけてきつつあるという気がしている。ただ、些細なきっかけで一気に余計に縺れてしまうのではないかという可能性も感じながら、ではあるが。

何にせよ、もう少し人と話をしてみようかなと思った。私は人見知りはきついが、人嫌いではない(と思っている)。周りの人のことを信じて、話し掛ける勇気を持ってみようと思った。


友人のお母様から、残暑見舞いのお返事を頂いた。


お休み継続中というよりは、この場所に書くための言葉を紡ぐ姿勢が整っていないという感じがする。だからと言って、私がこの場所を軽視しているというわけではない。大切に思っているからこそ、「言葉が紡げない」と感じた時には、その気持ちを大切にしてやりたい。

特に忙しいとか特に調子を崩しているわけではなく、普通にまずまず元気です…かな。やや状態悪化中…と言えないこともないか…?

大丈夫ではないけれど、大丈夫です。←説明になっていない。


2003年08月25日(月) メモ程度

時々、とある公園の近くを通る。その公園には桜の木がある。そこを通る時には、“あなたは桜なんだね”と何となく呼びかけてしまう。今日も。

帰る途中で、猫に会った。ロープを器用に乗り越えて駐車場の向こう側に行ってしまったが。

ごめんなさい。今日も基本的にお休みの気分なのだけれど何か書いておきたかった。


2003年08月24日(日) 8月24日 大きな1日(というわけで、少しずついろいろなことを書く)

大きな1日だった。一言で表現するならば。

のびてしまっている。「疲れたり打ちのめされたりして、ぐったりして動けなくなる」という意味で(インフォシーク国語辞典より)(あ、でも、打ちのめされてはいません)。だから今日も、基本的にお休みの気分。いろいろ考えたことや気がついたことはあるのだけれど、書き残すには身体がついていかない。

だから、まとまらないままに少しずついろいろなことを書く。


「あきらめないことが大切だ」とは必ずしも言い切れないのではないかと思った。時と場合によっては。

うまく言葉にすることができないのだけれど、今は私は「あきらめながら、あきらめないぞ」とか「あきらめるけれど、あきらめないぞ」とか「あきらめないけれど、あきらめよう」と思っていて、その間をふらふらしている。


神様に感謝したいような、信じられないくらい幸せなことも、時々は起こる…かもしれない、と思った。


今日聞いた中で、心に残った言葉:「陽はまた昇る」(映画のタイトルなのだけれど、私はこの映画は見ていない)。


建物の10階から街を見てみた。不思議な気分だった。このような場所から、このように、この街を見るのが私は好きだということを、長い間忘れていたような気がした。世界を少し違ったように見ることができるような気がした。そして、自分も街の中を歩いていれば、この場所からはこんなふうに見えるのかなと思うと、自分自身のことをも少し違ったように見ることができるような気がした。


午後3時か4時頃、川の近くを通ると、太陽の光が水面に反射して、まるで宝石のようにきらきらきらきら輝いていた。しばらく立ち止まって眺めていた。そっくりそのまま心の中に残しておきたいような風景だった。


セミは、いつまで鳴いてくれるのでしょうか。できるだけ長い間鳴いていて欲しいと思うのは我儘でしょうか。


2003年08月23日(土) 落ち着かないのでお休み

今日は1日中落ち着かない気持ちで過ごした。こんなに心配する必要はないのに…と思いながら、それでも落ち着かない。だから日記はお休み。

明日を何とか乗り切ることができますように。

「“なるようになる”という考え方もあるのですよ」とは、先日、頼りにしている先生にかけていただいた言葉。思い切っていってみるしかないかな…。

こんな夜に聴いている音楽(早目に寝ますが)。

・「序曲“ピータールー”」(M.アーノルド作曲)(Peterloo-Overture Op.97 / Malcolm Arnold)
・「エクスカリバー(正義の剣)」(J.ヴァンデルロースト作曲)(Excalibur(Sword of Justice) / Jan Van der Roost)
・「ラメセスII世」(阿部勇一作曲)
・「ロサンゼルスオリンピック ファンファーレとテーマ」(ジョン・ウィリアムス作曲)(Olympic Fanfare and Theme 〜Commissioned By The 1984 Los Angeles Olympic Organizing Committee〜 / John Williams)
・「喜歌劇“メリー・ウィドウ”セレクション」(F.レハール作曲/鈴木英史編曲)("The Merry Widow" Selections / Franz Lehar(Arr. by Eiji Suzuki))

ちなみに聴いた順に書いた。


2003年08月22日(金) 心細いな / 高校野球 / なぜ残したいのか / 死を語ること / 呟き

今日は、家族がみんな留守だったので、お昼過ぎまで1人で留守番をしていた。最初は、落ち着いて仕事ができるかなと思っていた。しかし、昨日に大きな仕事が一応目処がついたということもあり、気が抜けてぼーっとしていたら、不意に何とも言えないくらい寂しく心細くなってどうしようもなくなった。どうしたんだろう。今までもこんなのだったっけ…? 時々夜に感じる不安と少し似ていた。


お昼過ぎ、一番最初に帰ってきた家族と一緒に高校野球を見ていた。この夏は自宅にいることが多いということもあり、高校野球をよく見ている。私は野球はあまり詳しくないのだが(実は中学生の時まで、ストライクとボールがどう違うのかも知らなかった)、それなりに楽しんで、熱中して見ている。

私が思わず、
「これまで見てきてつくづく思うんだけれど、やはり、しっかり守ってしっかり球を見てしっかり走るという基本的なことが大切なんだねぇ…」
と言ったところで、ふと、家族が食べているベビースターラーメンが目に入り、何とも美味しそうに見えてしまったので、
「ところで、それ、ちょっとちょうだい」
と右手を出すと、
「その前振りは何?? 前の話題と全然関係ないよ…」
と、あきれられてしまった(分けてくれたけれど)。

高校野球を見ていると、私はどうしても、バックで応援しているブラスバンドの音に惹かれてしまう。「狙いうち」「サウスポー」などが使われていることが多いように思うのだけれど、たまに珍しい曲もやっている。今日は「ブラジル」を使っている学校があった。


「そう遠くない昔のことのような気もするし、ずっとずっと昔のことだったような気もする、そんな過去のある時に、もう二度と会うことのできない遠いところへ旅立ってしまった友人」に関するものをしまってあるファイルを出してきて、中にあるものを1つ1つ見ていた。「“過去のある時”から少し時間が経って落ち着いた時」に、彼女に関するものを1つにまとめておいて、大切にしまっておきたい気持ちになったのだ。手紙や写真はもちろんのこと、「プリントここにおいておくね」と書かれたメモや、彼女が手作りのお菓子を私に作ってくれた時に結ばれていたリボンまで。それから…、それから、私が書いた弔辞の原稿の下書き(内容はほぼ同じで、細部の言葉が少しずつ違うものが何枚もあった)、御両親に頂いた法要の案内、これも御両親に頂いた香典返しの包装紙、彼女に会いに行った時に持っていった花を買ったときのレシート。

1つ1つのものを見て、“あの時はこうだった”という思いや、何とも言えない寂しさを感じていたのだけれど、それ以上に“なぜ私はこれらを残しておこうと思ったのだろう”ということを考えていた。手紙や写真はわかるとしても、包装紙やリボンまで…? きっと自分には残しておくことが必要だと思ったから残しておいたのだろう(そして残し続けるであろう)けれど、なぜだかわからない。けれど、残しておきたいと思ったのは本当。

今もファイルの中は、少しずつではあるが、増え続けている。レシートなど、だけれど。


私の中には、どうしても、「死について(あるいは死に関することや、死を連想させることについて)語ることは、一般的にはあまり好ましいことではない」という抑制(?…どう言えばいいのか…?知識?マナー?)がある。実際にどうなのかはよくわからないし、私の周りでも本当にそうなのかどうかよくわからない。けれど、普通の会話では、明るく楽しい話をする方が好まれるだろうし、もし、話している中で私が死について話すと“何なの、この人は”と思われたり、あるいは“この人は大丈夫なのかな。もしかして今は精神的に落ち込んでいるのではないかしら”と心配されたりするだろうと、そしてそうなったら嫌だなと思ってしまって、飲み込んでしまう(あくまで私は、だが。ここにこう書いている今も、そう思っている)。

その抑制(?知識?マナー?)を、時々とても重いものに感じる。はねのけたいと思う。そういうことと関係のないところで死について話すことは許されないのか?と思う(私のいる環境では許されないだけか? それとも私が許されないと思っているだけか?)。死について考えたり語ったりすることは、結局は生について考えたり語ったりすることにつながるのではないだろうか…というのは、希望的観測に過ぎないのだろうか。

そういうわけで、私は死について語ってはいるけれど、生きたいから語っている。最近、私自身がやや落ち込んで時々どうしようもない気持ちになっているのは事実なのだけれど、それでもけらけら笑ったり、家族や友人と楽しく話したり、空がきれいで幸せだなぁと思ったりするし。

一方で、死について話すことや、「死」という語を自分の手で文字にすることは、精神的につらいな、とも思う。この文章の中では何度も文字にしてしまっているけれど、1回1回文字にするたびに、胸を刺すようなどうしようもない苦しさがある。伏せ字にすると意味がわからなくなってしまうだろうから、今は何とか耐えて書いているけれど。


自分にとって大切に思うものについて、「自分が大切にしなければ、攻撃されたり壊されたりするかもしれないから、なんとしても自分が守らなければならない」と頑なな気持ちになってしまうことが、私には時々あるのだけれど、少し頑なな心をゆるめてみると、同じように大切に思ってくれる人が少しはいるかもしれない…と、最近は少しだけ信じられるようになった。

私が人見知りが強いのは何とかしたいと思っているし、そうでないと次に進まないような気がしている。


2003年08月21日(木) メモ程度(種のようなもの)

今日は、午前中から夕方前までは予定が何もなかったのだが、夕方から用事でちょっと出かけることになっていたので、それまでの時間は何となくそのことが気になって、落ち着かない時間を過ごしていた。その時間までに、あれやこれやを済ませなければとかなり焦っていた感じがする。


人はなぜ泣くのだろうか、と、不意に思った。

“泣かないで”と言われたい時もあるし、“思いっきり泣いていいんだよ”と言われたい時もある。

“泣かないで”と言いたい時もあるし、“思いっきり泣いていいんだよ”と言いたい時もある。

“泣かないで”と言われたい気持ちと、“思いっきり泣いていいんだよ”と言われたい気持ちが同時に存在してしまう時もある。

“泣かないで”と言いたい気持ちと、“思いっきり泣いていいんだよ”と言いたい気持ちが同時に存在してしまう時もある。


何だか、自分の中では引っ掛かっているのだけれど、今日はこれ以上は書けないので、種(のようなもの)だけでも残しておく。


2003年08月20日(水) 『続続・吉原幸子詩集』 / 涙と伝えたいこと / のんびりしたいな / ちょこちょこ / 呟き

一昨日に購入した『続続・吉原幸子詩集』(現代詩文庫172 2003年,思潮社)(詳細)をぱらぱらとめくって、目に入った詩から一つずつ読んでいた。言葉ではあらわせないような思いだ。「好きだ」とか「良い」とか「素晴らしい」とかいう言葉は思いつくが、どれもぴったりとしない。敢えて言うなら「今の私には吉原幸子さんの詩はなくてはならないものだ」としか言えない。読んでいると、右肩を中心とした右半身が、じんと痺れるような感じを時々味わう。言葉でなく身体で感じているのかもしれない。

ごくふつうに生きてゐる やうに見えて
ひとりひとりが ひそかな傷をもってゐる
といふことに あらためて驚く

Mのなかにも
Qのなかにも わたしがゐて
MやQと手をとり合って泣いてゐる
けれどわたしは わたしのなかに
そんなにも多くを 背負へるだらうか


(「同病」8連目・9連目。詩集『ブラックバードを見た日』より。『続続・吉原幸子詩集』p.50より引用)


自分でこんなことを書くのもどうだろうと思うけれど(という内容のことを最近書くことが多いのもどうだろうと思うのだけれど)、ひとりになったときに涙がつつーっと流れることがある。眠る前や、夜中に目が覚めた時が多い(最近、私は眠りにつく前はひどく弱くなる)。伝えたいことがあるのに、伝えられるだけの力が自分になくて、伝えられないことが哀しいのかな、と思う。しかし、誰に何を伝えようというのだろうか、私は。

伝えるためには、私はしっかり見なければならない、しっかりしなければならない、と思う。


少し疲れている。「疲れている」と思うから余計に疲れるのかもしれないから、そう思ってはいけないと思うのだが、でも少し疲れた。「暑くもなく寒くもない、誰も知らないどこか遠くの島」に行って、ゆっくり眠ったり、絵本や詩を読んだり、音楽を聴いたり、歌を歌ったり、空を眺めたり、花を眺めたり、風を感じたりしながら、ずっとのんびり暮らしたい。ただ、「暑くもなく寒くもない、誰も知らないどこか遠くの島」を探す元気がなく、探し出しても行く元気がないので、できれば「どこか遠くの島」が近くに寄ってきてくれればなぁと思う。しかし「誰も知らない」ところは寂しいな。

あんまり現実的な話ではないので、「誰も知らないところだったら、電気も水もないはずだ」というようなことは考えずにおく。何だか、なまけものな夢でごめんなさい。

「ゆっくり眠ったり、絵本や詩を読んだり、音楽を聴いたり、歌を歌ったり、空を眺めたり、花を眺めたり、風を感じたりしながら、ずっとのんびり暮らす」ということが、「暑くもなく寒くもない、誰も知らないどこか遠くの島」に行こうとしなくても、普通の生活の中でできればいいのだけれど。

駄目だ。頭がこんがらがってきた。恐らく「肩の力を抜こうとしてかえって肩に力が入っている状態」になっている。


最近は、ちょこちょこ家事をしたり、ちょこちょこ原稿を書いたり、ちょこちょこその他の仕事をしたり、ちょこちょこ本を読んだり、ちょこちょこ高校野球を見たり、ちょこちょこ出歩いたりしています。でもぼけーっとしていることも多いかも。


昨年の夏には在って今年の夏には失ったものは何だろうか、昨年の夏には無くて今年の夏には得たものは何だろうか、と、時々考える夏。


2003年08月19日(火) 巨峰 / 「思い出のマーニー」 / 夏ばて注意 / 追記

朝8時頃、あまりよく寝付けなかった…と思いながら、朝食を食べようと家族より少し遅れて台所に行った。台所のテーブルの上には、メロンとキウイフルーツと巨峰があった。メロンを少し食べて、キウイフルーツを少し食べた。さて巨峰はどうしようかな?と思いながらスーパーマーケットの広告に目をやると、いくつかの特売品の中に「疲労回復に。山梨産 巨峰」と書いてあるのが目に入り、やっぱり食べよう…と、何粒か食べた。疲労回復によいのかどうかわからなかったが、美味しかったので良かった。


午後、昨日購入した「思い出のマーニー」()・()を一気に読み終えた(昨日電車の中で少し読んだのだけれど)。日記にこの本を買ったということと、読み終えたということを書いた以上、何か感想なり批評なりを述べた方がいいのかもしれないけれど、あまりにも自分の中でいろいろな思いが交錯していて言葉にならない。それを自分の中で、もう少しそっとしておいてやりたい気がする。今、私がここに書けることは、“一度この本を読んでみてもらいたい”ということだ。

私が本や音楽のことを取り上げる時は、“この本(音楽)を私が読んでいる(聴いている)ということを誰かに知ってもらいたい”という気持ちと、“もし、もしも良ければ、この本(音楽)を読んでみて欲しい(聴いてみて欲しい)”という気持ちで書いている。だから、あまりしっかりした感想は書けないことが多いのだけれど。

ちなみに、「思い出のマーニー」の原題は「When Marnie was there」だそうだ(1967年)。


読み終えた後、何だか身体がだるくなって、ずっと横になっていた。“こんなに休んでいるのに、どうして身体が思い通りに動かないの?”と思って悲しくなって悔しくて、あたりにあるものを手当たり次第に投げつけたいような気持ちになったことは、ちょっとだけ内緒にしておきたいようで、やっぱり書いておきたいような事実だ(実際に投げつけはしなかったが…)。自分が情けなくて申し訳なくてならない。でも私は私でしかない。

今日は全く仕事をしていないのだけれど、今は書きかけの論文も作りかけのポスターも見るのが何だかつらいので、早めに休みます。

また少し、暑い日が続くようです。どうか夏ばてなどなさらぬように、お体お大切に。それから、私が申し上げるのも差し出がましいのですが、どうか御自分と、御自分の大切に思うものを大切にして下さい。私も、そうします。


追記:今、日記を更新しようとこのページを見てみたら、カウンタが5000を超えていました。多いのか少ないのかよくわかりませんが、そして、5000のうちの何回かを回したのは自分自身ですが、ここに立ち寄って下さった方、立ち寄って下さっている方に、ありがとうございます、とお伝えしたいです。


2003年08月18日(月) こんな日 / 今日、買った本 / 今日、買ったCD

外出するのは億劫だなぁ…と思いながら、外出する。しかし、いざ外出してみると、けっこう楽しんでいる自分がいる。あの家の庭に咲いている花。電車の窓から見える風景。忙しそうに歩いている人。じっとりと湿った空気。外に出るのも悪くないと思い直す(湿って蒸し暑い空気は、多少つらかったが)。

今日は、着いた途端に疲れ果ててふらふらになるということがなかったので、体調は回復しつつあるのかもしれない。たまたまかもしれない。よくわからない。ばたばたと一気に用事を済ませて、少し買い物などもして、帰ってきた。

いい1日だったと思う。


今日、買った本。

(1)『続続・吉原幸子詩集』(現代詩文庫172 2003年,思潮社)(詳細

『続 吉原幸子詩集』(現代詩文庫 2003年,思潮社)(詳細)が刊行されたのは知っていたが(そして、そちらの方は刊行された早々に手に入れたが)、「続続・吉原幸子詩集」まで刊行されているとは想像もしていなかったので、書店で見つけて驚いたとともに、なんともありがたいことと思った。迷わず購入した。「続続・吉原幸子詩集」の刊行は、2003年5月である。その頃、私自身が体調を崩しはじめて、書店に寄ったり、Webで好きな本を探したりという余裕が持てなかったので、気がつかなかったのだろうと思う。

表紙に、「あのひと」という詩の一部が書かれていたのも、嬉しかった。ページを開いてみると、38ページに「あのひと」の詩の全部が掲載されていた。この詩を読むたびに、悲しいのか嬉しいのか癒されるのか引きちぎられるのか、よくわからない気持ちになって、あぁ、と思い、涙がこぼれそうになる。そして、“私は生きよう、死ぬまで生きよう”と強く思う。

「あのひと」以外の詩も好きだ…というか、好きだという言葉でいいのか、なんと言葉にしていいかわからないほど、私にとって大切なものだ。

(2)『思い出のマーニー 上』(詳細)・『思い出のマーニー 下』(詳細)(ジョーン・ロビンソン(翻訳: 松野 正子)、2003年(初版1980年)、岩波少年文庫)

これから少しずつ読みます。


今日、買ったCD。

「NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』オリジナルサウンドトラック」(詳細

大河ドラマ自体は、家族が見ているのを横でちらちら眺めているくらいで、ほとんど見ていないに等しいので何とも言えないのだけれど、このテーマ音楽は好きなので。何かが静かにひらいていくような感じが好きだ。

大河ドラマのテーマ音楽では、他には1996年の「秀吉」のメインテーマも好きだ。


“助けてくれ”と言ってしまいそうになりながら、何となくその言葉を喉の奥に飲み込んでしまうことが時々ある。だからどうだというわけでもないのだけれど。こんなことをここに書きたくなるのもどうなんだろうと自分でも思うのだけれど。

いろいろな人の助けを借りながら、少しずつ自分の力で生きていければいいなと思う。


2003年08月17日(日) 思い出と人に出会うこと / 立ちくらみ / 呟きなど

自分でも、うまく言葉に出来るかどうか自信のないことを思い切って書いてみる。

昨夜、なかなか寝付けなかったので、昔のことを適当にいろいろと思い出していた。ずっと以前のこと、つい最近のこと。クラスのこと、クラブのこと。楽しかったこと、嬉しかったこと、嫌だったこと、悩んだこと。思いつくままに。

その思い出の中には、たいてい自分以外の人が登場する。過去のある時間をともに過ごした人。過去のある出来事をともに経験した人。しかし、同じ時間を同じ場所(あるいは近い場所)で過ごしても、また、同じ出来事を経験していても、それが自分の中でどのように位置付いているかは、1人1人違う…と、何だかつい最近、似たようなことをここに書いたような気がするが…。

そして、それぞれの思い出が自分の中でどのようにつながっているかも、1人1人違う。私は、Aという出来事を、ある人とともに経験しているかもしれないけれど、その後のBという出来事はその人とともに経験していないかもしれない。別のある人と経験しているかもしれない。

結局、あれやこれやのたくさんの思い出を抱えて(記憶にない思い出、記憶から追い出したい思い出も含めて)、今の私がいるわけなのだろうけれど、それらの思い出がこのようにつながって存在している人は、世界中探しても、私1人しかいない。それは、私に限った話ではなくて、誰でもそうだと思う。どんな人も、その人の思い出をその人の方法で位置付けて、かけがえのない存在としてそこにいる…のだと思う(自分以外の人のことは想像するしかないけれど)。

そう考えると、人と出会うということは、ありがたいことだとしみじみ嬉しく思った。世界にただ1人しかいない「私」と、世界にただ1人しかいない「あなた」。「私」と「あなた」は、違う思い出を抱えている。しかし、それでも、一緒にお話したり、あるいはメールをやり取りしたり、笑ったり、あるいは言葉を交わさなくても一緒に時間を過ごしたりすることができるのだな、と思うと、それがとてもとてもありがたくて嬉しいことに思われてきた。だから、出会ったことを大切にしたいと思った。それと、自分以外の人のことも、自分自身のことも大切にしたいとも。

注:自分でも、この言葉でいいのかどうか迷いながら使っている言葉がいくつかある。「ともに過ごす」とか、「思い出をつなげる」という言葉など。考え続けていきたいと思う。あと、こんなことを書いたけれど、私にもどうしても苦手な人がいないわけではない。


そんなことを考えながら寝た…のが原因ではないと思うのだけれど、昨夜はどうも寝つきが悪く(全然眠れなかったわけではないが)、最終的には朝にあきらめて、“じっと寝転がっているのも退屈だから”という、理由になっていないような理由で起き上がった。そのせいか、昼間に何度か立ちくらみに襲われていた。座っている状態から立ち上がる時に、頭がじーんと重くなって、目の前が暗くなって、かすんでいくというのが数秒間続くということを2〜3回起こした。その状態よりももう少し軽度の似たような状態も数回起こした。別世界に引き込まれるような不思議な感覚だが、あまり味わいたいものでもない。

先月に受けた血液検査では何の異常もなかったので、貧血ではないです。ご心配をおかけしたなら、申し訳ありません。

正直なところ、現在自分自身がどの程度元気なのか、どの程度体調が悪いのか、よくわからなくなってきている。調子が悪いと思うのは気のせいか甘えで、本当はもっと頑張れるのかもしれない。一方で、“この程度の無理なら十分許容範囲だ”と思って行動していることが、意外に大きな負荷となっているのかもしれない。

空や花を見たり、風を感じたりしながら、何もせずにのんびりと過ごしたい気持ちが大半を占める中に、時々ぽつぽつと、研究を進めたいとか、人と話をしたいとか、日記を書きたいとか、音楽を聴きたいという気持ちが浮かんでくる感じがする。自分のペースが掴めれば一番いいのだろうけれど。

秋が来るのが怖い。情けないけれど。


言葉にできないことや言葉にならないことが、まだまだたくさんある。時々、何もかも壊してもかまわないから、言葉にしたいと衝動的に強く思うことがある。しかし、やっぱり壊れるのは怖いのです。

もしかすると、壊さずにすむ方法もあるのかもしれません。


最初はおそるおそるという感じで躊躇いながら、少しずつ堂々と鳴くセミの声。


不意に、“これが私だ”と思った。少しずつ変わってはいくけれど、でもこれが私で、それは変わらないことなのだと。


2003年08月16日(土) 夏のいろいろ / 歌 / 落ち着きがない / 「おしえて神様」

今日は、この夏初めてのアイスクリームを食べた。抹茶味の棒アイス。食べ終わった後の棒を眺めていると、何とも言えぬ懐かしさがこみあげる。

ちなみに、一昨日はこの夏2回目のすいかを食べた。家の畑でとれたもの。切ってみるまで、果たして食べられる味なのかどうか不安だったが、意外に甘くておいしかった。この前のものと違って、種もたくさんあった。

あとは、かき氷と花火だろうか。でも寒いなぁ…。


テレビから聴き覚えのある歌が流れてきた。それに合わせて声を出して歌うだけの勇気はなかったのだけれど、歌っているつもりで口だけ動かしてみた。歌う機会をあまり持たなくなってからかなり時間が経つけれど、喉の開け方とか表情の作り方とか、けっこう体で覚えているものだなぁと思った。実際に歌ってみるとどうだかよくわからないけれど。

ちなみに、私の家族には、髪の毛をドライヤーで乾かしている最中に歌を歌う者が多い(私は歌わない)。


昨夜よく眠ることができたからか、今日はやる気がないことはない。むしろ、あり過ぎるくらいである。しかし、一度に出来ることは1つであるということが頭から抜け落ちていて、落ち着きを失っているような気がする。その結果、仕事Aの文書ファイルを開いてちょこちょこと仕事Aに取り組み、すぐに仕事Bの文書ファイルを開いてちょこちょこと仕事Bに取り組み、すぐに机の前から離れて食器洗いをし、高校野球の経過を少し見て、また仕事Aに戻り、今度は仕事Cのファイルを開いたりもしてみて、間もなく洗濯物を取り込みに走る…という、何だか落ち着きのないことをしていた(ちなみに、最近は日記もその合間にちょこちょこ書いたり消したりしています。最終的に夜にもう一度見直して更新していますが)。

しかし、今日はだいたいにおいて良い1日だったと思う(仕事が進んだとか進んでいないとかいうことに関係なく)。たまにこんな日があるなら、生きていけるかなと思うことがある。

少し整理をしておこう。
・来月初めまでに書くべき論文を読み直し、修正する。
・その論文の要約をつくる。
・その論文の図表を整形する。
・学会その1のポスターを仕上げる(図表も整形する)。
・学会その2のポスターを仕上げる(図表も整形する)。
・秋からの仕事の準備をする(先方に一度連絡を取る)。
・学会に行くための交通手段などを考える。持ち物も整理する。
・学会までに美容院に行きたい。
・枕を買いたい。
・涼しくなったら植物園に行きたいなぁ(←願望)。
・海が見たいなぁ(←願望)。
 …最後の方になるにつれて、何だかおかしくなってきたぞ。


BGM:「おしえて神様」(Son montuno version)(作詞・作曲・歌:平松愛理/編曲:清水信之)
「Midnight Sun」のシングルCDの2曲目として入っていたバージョンを聴いたのだけれど、この曲のシングルCDも出ているようだ。

「だけど心 壊れりゃどうしたって
痛いものよ
どんなに肩たたかれても
風にゆられうなづく葉の テンポが愛しいよ」


あとは、「風紋」(保科洋作曲)を繰り返し聴いている。答えを探すかのように。


2003年08月15日(金) 短めに。

引き続き寒い朝。

午前中に、お坊さんがお盆のお参りに来て下さった。

少し体調が回復したような気がするので、もっと積極的にいろいろなところに出向いたり、体を動かしたり、論文を読んだり書いたりしなければならないと思いながらも、何となく気力が湧かない。少しずつ論文を書いたり、仕事の準備をしたり、家事をこなしたりしながら、毎日を茫然と過ごしている。あんまり良くないような気もする。

洗濯物を干していたら、あげは蝶がひらひらと飛んでいった。

先のこととか、いろいろ考えないといけないな。

絵本でも読みながら眠ろうかな。綺麗な風景の写真集などがあればいいのだけれど。

BGM:「アパラチアン序曲」(J.バーンズ)
今日は、いつも聴いている音楽や久しぶりに聴く音楽など、いろいろ聴いたのだけれど、今、聴いているものを1つ。中学生の時に演奏した。かなり練習した曲の1つ(「当時の自分としては」という但し書きつきで、だけれど)。でも何だか聴いていると恥ずかしい気もする。


2003年08月14日(木) 寒い / 楽器 / 身体 / 悲しさ / 運転が下手になった / 外周 / 「Teenage Walk」

今朝は、起きた時に寒いと思った。そして1日中寒かった。今は8月なのに…。


ピアノの蓋をもう一度開けてみた。今日は、鍵盤の様子よりも、むしろ蓋を開ける時の感触や重みの方が印象に残った。懐かしく思った。子どもの頃は何気なく開けていたはずなのだけれど、今日は何だかとても重く感じた。その重さを、何故だかとても嬉しく感じた。

秋になったら、楽団に復帰しようと思っている。楽器は家に置いてあるのだけれど、6月に一度だけ練習に参加した時以来、楽器に触れていない。もう一度楽器に触れる勇気が出たときに、果たして私は懐かしいと思うだろうか。嬉しいと思うだろうか。そう思えればいいなと思いながら、何となくまだ楽器を手にするのが怖い。復帰するつもりがあるなら、ある程度は楽器のメンテナンスはしておかなければならないとは自覚しているけれど…。


私は私の足で歩き、私の眼でものを見、私の耳で何かを聞き、私の頭で考える。そして私の口で言う。あるいは私のこの手で言葉を紡ぎ出す。私の眼で、耳で、口で、手で、足で。私の身体をありったけ使って。


悲しいものは確かに悲しいし、苦しいものは確かに苦しいのだけれど、そればかりではない。普通に笑ったり、普通に喋ったりもする。けれども、無かったことにして生きているわけではなくて、どこかで悲しさや苦しさを抱えている。「もう元気になったのね」と言われると抵抗を感じたり、寂しく思ったりする。…という感じもあるのではないかと思う。


しばらく自動車を運転しなかったのだけれど、一昨日と今日に久しぶりに自動車を運転して、もともとあまり運転が上手でなかったのがさらに下手になったなぁと実感した。何がどのようにとは言い難いのだけれど。さらに、運転する時に必要以上に緊張して、肩に力が入り、肩が上がってしまっている。


今日は久しぶりに出身中学校の外周を通った。中学1年の時に、部活のトレーニングでここを走ったなぁと懐かしく思い出した。ちなみに、トレーニングがあったのは中学1年の夏休みまで。先輩と一緒に楽器を吹かせてもらえるまで。


BGM:「Teenage Walk」(作詞:神沢礼江/作曲:小室哲哉,歌:渡辺美里)

ちょっとした思い出話とともに。こんな話をしてもよいのかどうかわからないけれど。

私は小学生の時に、なかなか友達ができなくて随分悩んでいた時期があった。クラス替えで、仲の良かった友達と違うクラスになってしまい、新しいクラスになかなか馴染めなかったのだ。仲間はずれにされていたとかいじめられていたというわけではないのだけれど、何気ない話をしたり、一緒に行動したりという友達がいなかった。何か行動する時はたいてい一人だった。一人でいること自体はそれほど苦でもなかったのだけれど、友達がいないことを親や先生に知られるのが嫌で、何とか隠しとおそうとする努力も随分したような気がする。

この曲は、そんな中で遠足に行った時に、たまたまバスの中でかかっていた曲。「お弁当を食べる時とか、その後の自由時間とか、やっぱり一人でいるしかないんだろうな。別にそれはいいんだけれど、先生に気付かれたら嫌だな」と憂鬱な気分でバスに乗っていた。そんな時に聴いた曲。その時は曲名も歌手の名前も知らなかったのだけれど、「鳥が空へ 遠く羽ばたくように いつか 飛び立てるさ」と繰り返される歌詞に励まされるような気がして、そのフレーズがずっと頭に残っていた。後で曲名がわかったときは本当に嬉しかった(と言ってもわかったのはその3〜4年後だったような気がする)。

結局、お弁当は一人で食べたのだけれど、その後に一人でいるのを先生に見つかってしまい、ゴム飛びで遊んでいる集団に入れさせられた。一人でいるのはやっぱり少し寂しくて居心地が悪かったので、それはそれで楽しかったし、救われた気もした。その後は少しずつ喋ることができるようになり(本当に少しずつだったけれど)、大切な友達も随分増えて楽しかった。でも今でも、私は人見知りがきついところがあるな、と思う。

今、改めて聴いてみると「君に話せば気持ちは安らぐけど 声にならずに涙が落ちそうで」という歌詞も心に響いたりもする。


すごく長い文章を書く日と、とても簡単に終わってしまう日の差が極端だ…。


2003年08月13日(水) 一言だけ。

穏やかに過ぎていった1日だった。少し眠気とだるさが強かったけれど。ほんの少しだけ。

何だか今日は、見たものや聞いたことが、ぼーっと過ぎ去っていったような気がする。

「しなければならない」ことが、「したい」こととうまく溶け合っていけばいいな。できれば、肩の力を抜いて、穏やかな気持ちでいろいろなことに向き合えるように(時には戦闘的になることも必要なのだろうけれど)。

あぁ、気持ちの良い風が吹いている。

駄目だ。泣けてくる。


2003年08月12日(火) 声 / お買い物 / 風 / 「海へ来て」

懐かしい人の声を聞くことができた。


お昼前に、母と一緒にお盆のための買い物に出た。私が自動車を運転して、とあるスーパーマーケットへ行った。運転免許を取ったのは随分前のことなのだが、私は不器用で怖がりなので、未だに家の近所しか運転できない(自力だと、最寄りの駅まで行くのが限界)。

お盆の前ということと、時間帯がお昼だったということもあり、スーパーはかなり混みあっていた。特に野菜売り場と果物売り場はすごかった。人込みをかきわけて、人にぶつからないように、ぶどう・バナナ・オレンジ・さつまいもなどを買い物かごに入れた。あと、夕食のすき焼きの材料なども。

「スーパーマーケットでお買い物」という言葉で真っ先に思い出すのが、「あひるのバーバちゃん」という本のことだ(作:神沢利子/絵:山脇百合子、1974年、偕成社)(詳細)。子どもの時に何度も何度も読んだ本の一つ。引っ越しの時に物置の奥から見つけて、今は自分の部屋に置いてある。あひるのバーバちゃんがスーパーで買い物をする場面がいい。本当に楽しそうに買い物をしているので。子どもの頃は、私もバーバちゃんみたいに1人でスーパーマーケットで買い物が出来るようになりたいなと思っていた。今は、このお話にあるように、あひるがスーパーマーケットに買い物に来たら楽しいだろうな…と想像してしまう。


窓から涼しい風が入ってくる。風を感じているときが私は一番幸せかもしれないなと思った。


BGM:「海へ来て」(作詞:若谷和子/作曲:森田公一、歌:森昌子)

NHKで放送されている「みんなのうた」で、かなり以前に流れていた曲。NHKの「みんなのうた」がとても好きで、わずかな放送時間も逃がさずに聴いていた時期があったのだ(今は家に居る時間が短いこともあって、あまり知らないけれど)。この曲の切なくて一途な旋律がとても好き。

貝殻は 耳の形の 素直なカーブ
わたし素直になれるでしょうか
こんにちは ありがとう
ごめんなさい
そんなことばで 生きてみたい
さらさらこぼれる 砂のように
素直になりたいわたし

(2番の歌詞)


2003年08月11日(月) 会いに行った / その他は、こんな。

所用で出向く。そして帰りに、お盆が近いので、「そう遠くない昔のことのような気もするし、ずっとずっと昔のことだったような気もする、そんな過去のある時に、もう二度と会うことのできない遠いところへ旅立った友人」に会いに行って来た。

途中の花屋さんでお花を買っていこうと思い、店先にある小さい花束を見ていると、店員さんが声をかけてくださった。ちょっとほっとした。オレンジ色のカーネーションと白い花(花の名前はわからない)の小さい花束を買っていった。

バケツに水を入れていると、人(お寺の方?)が通りかかったので、“どうしよう、こんな時間からでは怒られるかな”とちょっとどきどきしながら、「お参りさせて頂きたいのですが」と言うと、「どうぞどうぞ」とにこやかに言葉をかけて頂いたので、安心して入って行った。19時少し前だったのだが、お天気があまり良くなくて既に薄暗かったので気が引けていたのだ。未だにここに入るのは慣れない。

しゃがんで手を合わせたまま、しばらく石の前にいた。前に来たのは春になる少し前のことだったので、近況をまず報告して、あとはいろいろ思いをめぐらせながら、ただただ手を合わせていた。セミの声がずっと聞こえていた。

一緒に歳をとりたかったのにな、と思った。

1年に2〜3度しか来ないのに(それでもこの1年は割と来た。それまでは来るのが怖い気持ちの方が大きくて来れずにいたから)、帰り際はいつも何となく去り難い。そのうちに小雨が降ってきて、“もう帰って”と言われているような気がして、ようやく帰る気になった。「ありがとう。また絶対に来るからね」と声に出して言ってから去った。いつもこれだけは、声に出して言わなければならないような気がしている。

その時その時を大切に生きること。出会った人やものを大切に、ありったけの自分で向き合うこと。私は私を生きる。


その他は、行きの電車の中でチェロのハードケース(だと思う)を持ったお姉さんを見かけたり、プリンタの紙詰まりにひやひやしたり、出かけた先で羊羹をごちそうになったり、「氷らせ生茶」(こちら)を初めて飲んだり(でも違いがよくわからなかった…)、「キュービィロップ」という名前の飴(こちら)を買ったり、頭痛がちょっとひどかったり、帰りの電車でコンタクトレンズがずれて目が痛くなったり、ということがあった日だった(順不同)。


BGM:「オスカー・フォー・アムネスティー」(ディルク・ブロッセ作曲)(OSCAR FOR AMNESTY 〜Tone Poem for Symphonic Band〜 / Dirk Brosse)


2003年08月10日(日) こんな日 / ピアノ / BGM:「イタリア奇想曲」

体調は良かったが、何もやる気が起こらずに、ひたすらパソコンの画面とにらめっこしていた。時々、食器を洗ったり、洗濯物を取り込んだり、『喪の途上にて』(野田正彰著)を読んだりしていた。やる気が起こらないのは困ったものだ…。

少しだけ写真も撮った(「そよ風」に掲載)。


ふと、応接室にあるピアノの蓋を開けてみた。別に目的があったわけではないし、弾こうと思ったわけでもないけれど。こんなにピアノに近付くのは久しぶりのことだった。鍵盤が整然と並んでいるのを見て、きれいだなぁ、ピアノの鍵盤って意外と縦に長いんだなぁと懐かしく眺めていた。

応接室にあるピアノは、3歳の誕生日プレゼントに買ってもらったものだ。もっとも、多分私がピアノを欲しいと言ったわけではなく、両親が私のためにと買ってくれたのだと思う。きちんとレッスンに通っていたのは4歳から15歳まで。最後は、「毎週のレッスンを高校受験が終わるまでお休みします」と言って休んで、そのまま戻る気がなくなって何となくやめたという感じになってしまった。高校生活が忙しかったということもある。今になって考えると、1週間に1度のレッスンという形でなく、2週間に1度とか、1ヶ月に1度とか、自分の無理のない形で続ける方法もあったのになぁとも思う。しかし、高校生になってからは、ピアノの蓋を開けること自体少なくなってしまった(大学受験の前に、気分転換に弾いていた程度…)。

決してピアノを弾くのが嫌いでやめたわけではないのに、むしろ大好きだったのに、今ではほとんどピアノに触ることがないのは少し不思議でもある。ただ、当時は弾くことを強制されているという面がなかったとは言えないなと思う。いや、それでも楽しかったのだけれど。毎週課題が出て、翌週までに仕上げていって、合格したら次の曲に進んで。それが自動的な流れになっていて、それ以上のことを考えることはしなかったなと思う。それでも、小学生の時に教えて頂いていた先生は、“楽しむ”ことを重視して、いろいろな曲(有名な曲からあまり知られていない曲まで)を弾かせて下さった。けれど、先生が代わってからは、実力を伸ばすことが重視されて、“楽しむ”ことが少なくなっていたように思う。もちろん先生のせいだとは思っていない。私の方にも問題はあっただろう。そして、2人目の先生からも大切なことをたくさん学んだのも本当のことだし、尊敬している(今は交流はないけれど…)。ただ、何かがどこかで食い違ったのだろうと思う。

久しぶりに間近で見たピアノの鍵盤は、とても美しく見えました。でも音を鳴らすのは何だか怖くて、ただただ鍵盤を眺めていました(家族に不審に思われた…)。


BGM:「イタリア奇想曲」(チャイコフスキー作曲)
私が好きな曲の1つ。どこが…と問われるとうまく説明できないのだけれど、明るさと激しさと上品さが同居しているところかなぁ。テンポが速いところが特に好きな部分。少し前にこの曲を演奏したことがある。あの時は元気で、演奏することを楽しんでいたのに。


私は、私以外のどんな人のことも,完全にわかることはできない。わかりたくても、完全にはわかりきれない。しかし、そこで立ち止まりたくないという思いがある。しかし、一気に進みたいとは思わない。ゆっくりと…。


2003年08月09日(土) 空とか体調とか / 8月9日という日 / 覚え書き程度(桃・秋・朝顔のつぼみ)

今日はあまり体調が良くなくて、ほとんど1日中横になっていた。眠り込んでいたわけではなかったけれど、起き上がっているのも何となくだるかったからだ。寝転んだまま、窓から空を眺めていた。雲に覆われて白い色の空だったけれど、よく見ると白一色ではなく、灰色がかっているところ、明るい白色のところとが混じって、不思議だった。少し起き上がって、改めて空を見てみると、雲の切れ目から青い空が見えているところもあった。私は絵はあまり上手に描けないのだけれど、もしこの空を絵に描くならどう描こうかなと思いながら見ていた。

昨日は1日中元気でけろっとしていたのに…と、もどかしく悔しく思う。9月下旬には何とか調子を戻さなければいけない、コンスタントに頑張れる力を蓄えて仕事ができるようになっていなければならないと思うと、余計に苦しくなってくるような気がする。5月から6月のつらかった日々のことを思い出して(いや、つらいだけの日々ではなかったけれど…)、そして秋からのことを考えて、どんよりとした気持ちになっていた。時計の秒針が、1秒1秒、時を刻む音を聞いているのもつらかった。今日はあまり仕事もしていない。

あ。元気な時は割と元気にけろっとしています。今は少し気分が良い。


今日、長崎が、58回目の「原爆の日」を迎えた。ニュースで少しだけ、街の様子や式典の様子を見た。テレビの画面を通じて、「長崎の鐘」の音を聞き、人々が黙祷を捧げる姿を見て、私も心の中で静かに祈った。

しっかりと見続けること。しっかりと聞き続けること。


覚え書き程度に。

今日は、今年初めて桃を食べた。大切に少しずつ少しずつ味わって食べた。おいしかったです。

外ではこおろぎが鳴いています。秋の気分。でも蛙の声も聞こえるけれど。よく考えてみると昨日は立秋だった。時間が経つのが怖い…。

朝顔の花のつぼみは、何となく色っぽいなぁと思う。理由はよくわからないけれど。あ、もちろん、咲いた朝顔の花も好きです。

近いうちに、音楽について少しここの日記に書いてみようかなとも思う。でも予定は未定。


2003年08月08日(金) こんな日(矛盾の気持ち・何かがあること) / 読もうとしている本(のリストだけ)

所用のため大学に出向き、用事を片付けながら、論文探しなどをしていた。体調はかなり良くて、通常営業(?)に戻るべきだと思うのだけれど、帰ってきてから何となく疲れてしまい、日記を書く力もあまり残っていない。

帰りの電車の中で、降りしきる雨がガラス窓に点線を描くのをぼんやりと見ていた。時々、雨粒が、つつーっと流れていった。

研究を続けたい気持ちはあるが、休みたい。休みたい気持ちはあるが、研究を続けたいし、何かしようという気持ちを止めることはできない。その気持ちを、師とも姉とも慕う人に話すと「“研究”という言葉を使わずに、自分のしたいことを言ってごらん?」と言われた。…わからない。何かがあるのは自分でわかるのだけれど、それが何なのか言葉であらわせない。悔しくて悔しくてならない。


◇最近、気が向いた時に気の向くまま、読んでいる本(全部は読んでいない)。
・『必携 手紙実用文辞典(第二版)』(武部良明編著、三省堂、1994年)(詳細
・『生命科学者ノート』(中村桂子著、岩波現代文庫、2000年)(詳細

◇以前「読んでみようと思ったが、手に取る勇気があるかどうかわからないけれど、今、自分がこれを読むことが必要であると感じているが、最後まで読みきる力が自分にあるだろうか」と思っていたのだけれど、ようやく読もうという決心のついた本(まだ少ししか読んでいない)。
・『喪の途上にて―大事故遺族の悲哀の研究』(野田正彰著、岩波書店、1992年)(詳細


2003年08月07日(木) 呟き程度に、いろいろと。

呟き程度に、いろいろと。


日が昇って朝が来て、昼が来て、日が沈んで夜が来て、夜が明けたらまた朝が来て、昼が来て…という繰り返し。その中で私は生きているんだな、と思った。私だけではなくて、他の人も。人だけではなくて、他の動物も、草や木や花も。当たり前のことなのかもしれないけれど、よく考えてみると不思議なことのようにも思う。


自分の話を誰かに聞いてもらいたいと思うのは何故なのだろうと考えていた。自慢したいとか、同情して欲しいという思いだけではないように思う。何か言葉をかけてもらいたいという思いだけではないように思う。ただただ聞いてもらいたいと思うことがある。それは何故なのだろう。

そして、本当に話したいことがなかなか話せないことがある。話したいのに、話せない。それは何故なのだろう。

よくわからないけれど、私が体験してきたことは、今の私をつくっているものだから。


私が弱いから、言いたいことも言えないんだ。私が弱いから、私は何にもできないんだ。…と思って、心底自分自身のことが嫌になった。しかし、もしも私が強かったら言いたいことが言えるのか、何かができるのかと自分に問い掛けてみると、必ずしもそうではないように思った。ただ、もう少し私はしっかりしなければならないと思う。しかし、そう思えば思うほど、絶対私には無理だとも思う。

もう少ししっかりしなければならない。私は。


私ではない人、私以外の不特定多数の人のことを、仮に“あなた”と呼ぶならば。(決して特定の誰かのことではない)。

私は“あなた”ではない。“あなた”は私ではない。それが嬉しいことなのか悲しいことなのか、私にはわからない。“あなた”の体験したことを私は完全に分かることはできない。私は“あなた”を傷つけるだけの存在なのかもしれない。“あなた”を傷つけるようなことしか、してこなかったような気もする。唇を噛む。

ただ、私のわかる範囲で、“あなた”と“あなた”を取り巻く全てのものを大切にします、という思いはある。“あなた”の大切に思うものが何であれ、“あなた”の大切に思うものを私は大切に思います、と。

それでもなお、私は私でしかない。


研究することは好き。好き…と言うと若干ずれるような気はするけれど、続けたいという気持ちはまだ持っている。ただ今は、少し休みたい。休ませてほしい。そうでないと、どんどん無茶苦茶なことになっていくような気がする(というか、すでに無茶苦茶になっている)。


私だって生身の人間だから、傷つけられれば血が流れるし、悲しいことやつらいことがあれば涙が出るんだよ、と叫びたくなることがある。


私は疲れているんだろうなぁ、たぶん…とは思うものの、それでも少しは、無理をしてでもやりたいことがある。「やりたいこと」が「やらなければならないこと」とは違っているのが、つらいのだけれど。自分がどの程度疲れているのか、どの程度調子が悪いのかも、だんだんわからなくなってきた。


昨日書いたこと、よく読み返してみたら逆だった。お腹がいっぱいだというわけではないのに…つまりお腹が減っているのに、ものを食べている最中に、どうしようもなく食べるのが億劫になる…というか、面倒になってしまうことが、最近時々あるのです。というのが正しい。


「風紋」(保科洋作曲)を聴いている。


台風が来ているという。大きな被害になりませんようにと願う。


本当にごめんなさい。少し気持ちが、とげとげしてしまっているようです。そんな気持ちがあらわれた日記になってしまっているのではないかと思います。もっと穏やかに時間を過ごせればいいのにと思います。


2003年08月06日(水) この家での夏 / 悲しみとか / 穏やかな時間 / メモ:覚えておきたい言葉 / すいか

カーテンが風を受けて、ふわぁっと持ち上がるのをぼんやりと見ていた。1年前とは違うカーテン。窓の外では、時々、雀がちょんちょんと飛んでいるのが見える。この家で過ごす初めての夏。どの時間帯にどの辺りが涼しいのか、どういうお天気の時にどの辺りが涼しいのか、エアコンはどのようにつけたら効率がよいのか、だんだんわかってきた。この家は蚊が少なくて、蚊に刺されやすい体質の私としては嬉しい。恐らく、庭が整備されたということと、網戸が破れていないから。前の家は、ところどころ網戸が破れていたのをそのままにしていたから。

けれど未だに、住所を書き間違えそうになることがあるのです。


私の悲しみは、まぎれもなく私が感じている私だけの悲しみ…ではあるのだけれど、私だけのものにとどまるのだろうか、とふと考えることがある。あの人にも、あの人が感じているあの人だけの悲しみがあり、この人にも、この人が感じているこの人だけの悲しみがある。それは、あの人だけのものに・この人だけのものにとどまるのだろうか。

大切な思い。それぞれの人は、それぞれの人の大切な思いを持っている。“悲しみ”という一言ではあらわせない思いがあり、“悲しみ”という言葉を使っているからといっても、希望がないわけではないと思いたいような気持ち。


悲しみのことばかり書いているけれども、今は私は悲しいばかりではない。今日の夕方には、ふと「無理せず自然に穏やかに笑いながら時間を過ごしていくことができればいいなぁ」と思った。そう思った瞬間は、私は何とも言えず幸せだった。

ここ数ヶ月の私の事情を知ってくれている後輩に「浜梨さん(←仮名)の心地よいペースで生きていったら楽しいのではないかと思う」との言葉をもらったことがある。言われた時は、“私の心地よいペースってどんなのだろう?”と思ったのだけれど、何となくそれを掴むことができそうな気が、今日した。頭でではなく、身体で。

別の後輩からもメールをもらった。実はちょっと苦手だなと思っていた後輩だったのだけれど、“自分の周りのことを感じる力をなくさないように。風の音でも水の感触でも”という内容のことを書いてくれていた。嬉しかった。そういえば、5月から6月の2ヶ月間は、とにかく仕事をこなすのに必死で、ずっと部屋に閉じこもって作業をするか、ぶっ倒れているかで、そういうことを感じることが少なかったな、と今さらながら思い出した。勝手に苦手意識を持っていてごめんね(ここで謝っても仕方ないけど…)。

穏やかに流れる時間。ぼんやりと空を見て、ふんわりと風を感じながら過ごす。こんな時間があるから、また戦うことができる。いつか絶対に立ち上がる。考えなければならないことや、やり遂げなければならないことがある。


覚えておこうと思った言葉。
「『生きる・死ぬ』ということと『いる・いない』ということは、ほとんど同じだと思われるけど、僕は違うと言いはりたい。ただ物理的に『ある』というだけじゃない、別の『あり方』が存在することを考えたかった」(朝日新聞、2003年8月5日夕刊、「存在感ある日常の「記憶」描く 『カンバセイション・ピース』保坂和志さんに聞く」の記事より)


今年初めて、すいかを食べました。種が少ないような気がしたけれど、甘くておいしかったです。

お腹が減っていないわけではないのに、ものを食べている最中に、どうしようもなく食べるのが億劫になる…というか、面倒になってしまうことが、最近時々ある。お箸を止めて、茫然としている。


一昨日よりも、少しふくらんだお月様が見えます。


2003年08月05日(火) 違和感 / 矛盾 / 体調 / 勘違い

私が神経質になりすぎているだけなのかもしれないけれど、「立ち直る」「乗り越える」という言葉にひどく違和感をおぼえることがある。これらの言葉が使われていても何も感じないこともあるのだけれど、時々、“違うのではないか?違うでしょ?”と強烈に反発したくなることがある。立ち直ることも、乗り越えることも、不可能だということがあるのではないだろうかと思う。そう思うのは、私が悲観的に過ぎるのだろうか。それとも、私自身が立ち直ることも、乗り越えることもできていないのだろうか。

越えて生きていくのではなくて、抱えながら生きていくということもあるように思う。いくら長い時間を経ても、悲しいことは悲しいのだということもあるように思う。悲しさを消せと言われても、どうしようもない。ただ、時間が経つと何かが…何だろう…何かがどうにかなるから、だから、何とか生きていけるのではないだろうかと思う。何がどうなるのか、うまく説明できないけれど。


「踏み込まれたくないけれども、でも、誰かにわかってほしい」という部分が心の中にある。似たような気持ちを、どんな人も抱えているのかなと思うことがある。


体調は、「『私はやや衰弱中』と書かれた看板の下に座布団を敷いて、ちょこんと座っていたい」という気分であるくらいには回復した。気が向けば動くこともできる。しかしまだ時々だるくて、今日は横になったり起き上がったりしながら1日を過ごしていた。論文書かなきゃ。論文読まなきゃ。

疲労のきつい夜は、情けなくて悔しくて不安で、めそめそと泣いていることがある(泣きすぎ)。


今度の学会発表(のうちの一つ)、プログラムで自分の発表番号を見て2日目午後の発表だと思い込んでいたのだけれど、よくよく見たら、2日目午前の発表であったことに今日気がついた。危なかった。というか、プログラムはかなり前に来ていたのに、なぜ今まで気がつかなかったのか…。


2003年08月04日(月) 人ごみのこと、体調悪化中のこと、お月様のこと。

正直なところ、今日は体調が悪かった。あまりこのようなことを日記に書くのもどうかと思い、罪悪感はあるのだが…。

朝、ラッシュの時間帯ではなかったが、比較的人の多い時間帯に電車に乗った。私の降りる駅はいつも割と人が多く、今日も若い人から年輩の人まで大勢の人がその駅で降りた。人の波に押されるようにして電車から降り、階段を上って改札を出た。ふと寂しくなった。大勢の人の中で、私という人間がどこにいるのか自分でもわからなくなってしまいそうで。“私はここに居ます”と言いたいような気持ちで。

外にいる間は、時々ふらふらと目を回しながらも少しずつ用事をこなしていた。しかし、帰ってからは「『私は衰弱中』と大きな字で書かれた看板を立てて、その下で布団を敷いてぶっ倒れていたい」というような疲労に襲われている。

帰りしな、半分に少し足りないくらいのお月様が毅然と輝いているのを見た。それが今日の嬉しかったこと。先月はお天気の悪い夜が多くて、あまりお月様を見ることができなかったから、またお月様を見ることができたことをとても嬉しく思った。

休んだところで回復する自信がないから、休んでいいのかどうか迷う(実際、多めに休養を取るようにはしているのに、一向に良くならないし…)。けれど、なるべく早くに自分の力で体調を回復させたいから、とりあえず休みます。

夏ばてなどなさらぬよう、皆様もどうかお体お大事に。


2003年08月03日(日) 昨日のことと見ること・聞くこと・言葉にすること / 肩こり / 暑いですね

昨日のことを、時々思い出していた。これからも思い出すだろうと思う。

自分の中にあることを自分の中で言葉にする回路と、自分の中で言葉になったものを外にあらわす回路の両方が故障しているような気がする。私は立ち止まってしまっている。何もできないで、何も動けないで、何も言えなくて。私はいったい何をしているのだろう。情けなくなる。

同じものを見ても、同じものを聞いても、それをどのように受け止めるかは1人1人違う。同じ出来事に遭遇しても、それをどのように受け止めるかは1人1人違う。それはその人がどういう人なのか、その人がどのように生きてきたのかということが1人1人違うからだというのが理由のひとつだろうと思う(それだけではないかもしれない)。そう考えると、同じ名前でひとくくりにされるような「ある出来事」に遭遇した人がたくさんいたとしても、それは、どの人にとっても同じ意味をもつ出来事であるということは決してないだろうと思う。1人1人、違ったようにであっても、その出来事を自分なりに受け止めて、自分の中にのこして、抱えて、その人にしかないただ1つの自分の人生を営んでいくのだろう。どういう方法でもいいと思うのだけれど、違った方法でも、それぞれの方法を大切にしたいと思う。

私の目の前に在るのに、見ようとしていなかったものがたくさんある。私に聞こえるはずなのに、聞こうとしていなかったものがたくさんある。今も。

私は私としてしか、ものを見ることができない。聞くこと・触れること・感じること…についても同じこと。それは限りなく嬉しいことでもあり、限りなく哀しいことでもある。今の私に、何が見えるのだろう。何が聞けるのだろう。何に触れられるのだろう。そして、何が言えるのだろう。何を伝えられるのだろう。何も言えないよ。

そんなことを考えながら、昨夜はつるつると涙をこぼしていた。


今まで肩こりに悩んだことはなかったのだが、ここのところ時々肩こりに悩まされる。主に右肩。どうも、知らず知らずのうちに肩に力が入って必要以上に右肩が上がってしまっていることがよくあるようだ。一昨日、普通に座っている時に「傾いているように見える」と言われたときはさすがにショックだった。意識して肩の力を抜こうとはしているのだけれど、そうすると「力を抜くための力」を入れてしまっていて、どうもうまくいかない。

「あなたの今の目標は『休む』ことじゃなくて、『休まる』こと。休まるために、いろいろなことを調整していけばいいんだよ」とは、師とも姉とも慕う人に言われたこと。


7月末は“まだ7月って終わってなかったんだっけ?”という気持ちでいたが、いざ8月になってみると“もう8月になっちゃったよ。どうしようどうしよう”と焦ってしまっている。

これまでは、“本当に夏か?”と言いたいような涼しい日々が続いていたけれど、ここ数日になって、ようやく“本当に夏だ”という暑さになっている。うんざりするようで、でもどこか嬉しくて、ほっとする。

いかがお過ごしですか。どうかどうか、お体お大切に。私は時々ぶっ倒れながらも、まずまず元気です(と、思う)。


2003年08月02日(土) とある場所へ

とある場所を訪れ、とある方とお会いしてきた。

なぜその場所を訪れたいと思ったのか、なぜその方とお会いしたいのか、自分でもよくわからないままに出向いた。自宅に帰ってきた今も、やっぱりよくわからない。ただ、私は行きたい・行かなければならない、会いたい・会わねばならないという強い思いだけを抱えて行った(それがきちんとした理由になるのかどうか今でもわからないのだが…)。

少し歩いた。今の私の身体の全部を使って、その場所の姿を感じようとしながら歩いた。今のことを、私の身体の全部を使って、ずっとずっと覚えておこうと思った。またここに来ることがあるかもしれない。来たい。でも、もう来ないかもしれないし、仮に未来のある時に来ることができたとしても、この場所は変わっているかもしれないし、私も変わってしまっているだろうから。

いいお天気だった。空は青く、雲はゆっくりと動いていて、風が少し強く吹いていた午後だった。

色々な方とお話した…が、あまり、いや全然うまく話せなかった。とても優しい空気の流れる場所だったのに。ごめんなさいごめんなさいと思っていた。言葉にならなかった。

「日記」という形でこの場所に今日のことを書こうとしても、今も全然言葉にならない。言葉にしないとわかってもらえないということは知っているのだけれど、どうしても無理で、言葉にならないのが悔しい。けれども、行って良かったと思っていることと、今日がいい1日であったことだけは確かだ。

帰りの電車の中で、不意に鼻の奥がつんとして、涙がこぼれそうになった。“どうして私は泣きそうになっているのだろう”と思いながら、涙がこぼれるのを必死でこらえていた。悲しかったのでも寂しかったのでもないけれど。

ありがとうございました。


もくじ / この前 / この後
浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)