冒険記録日誌
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| 2003年06月21日(土) |
浅羽さんのソーサリー翻訳について |
タイトルを見てもピンとこない人がいないとも限らないので、一応解説をしておきます。 それは、近日中に創土社からあの名作ゲームブック「ソーサリー」が復刊されるわけですが、それが「火吹山の魔法使い」を翻訳した浅羽さんの手による新訳になっちゃうという問題(?)のことです。 都市名の「城塞都市カーレ」が「城塞都市カレー」、タイトルの「王たちの冠」が「諸王の王冠」に変わっちゃうとか、モンスターの「ヒルジャイアント」も「丘巨人」になるとか、旧来ファンには衝撃というかショックな変更点が多いのです。
まあ、「火吹山の魔法使い」を見てもわかるように、翻訳者が浅羽さんに決まった時点で「丘巨人」はもちろん、レッドアイが「赤目」になるのじゃないかとか、想像できていたのですけどね。 例えば“monster”という言葉を“モンスター”ではなく“妖怪”と訳す(怪物ではなく妖怪とするあたりに浅羽さんのセンスを感じる)とか、浅羽さんの翻訳はできるだけカタカナ語に頼らずに、旧来の日本語に当てはめる方針みたいですから。 それだからなんというか、翻訳が垢抜けないというか、やぼったいイメージになるのじゃないかな。 「火吹山の魔法使い」はこれが独特の雰囲気を醸し出していて面白かったのですが、私も正直なところ「ソーサリー」のような壮大なファンタジー作品には、旧版(創元推理文庫)の翻訳の方が似合うかな、と考えています。 でも私はどうせ旧版(創元推理文庫)は持っているうえさんざん遊んでいたので、新旧版を見比べながら翻訳の違いを再び楽しめることができる今回の新訳は歓迎です。 昔からのソーサリーファンは、すでに旧版(創元推理文庫)を所有しているなら、新旧の違いをそんなに気にしなくてもいいと思うのだけどなー。
そもそも、どの翻訳が似合うかなんて、先入観の問題だと思うのですよ。 「バルサスの要塞」だって旧ソーサリー風の翻訳にすれば、もっと精錬されたイメージになっていたと思うのですけど、誰も翻訳が悪かったなんて言わないでしょ。 私の愛するアーティストの“東京プリン”が“ドラえもん”のTVアニメのOP曲を歌っていたとき、「イメージをぶち壊すな!」「あの歌を男が歌うな」「なんでこんな歌手にファンがいるんだ」「ドラえもんは東京プリンに殺された」などと東京プリンの公式掲示板に、一部のドラえもんファンの嫌がらせの書き込みがあって、かなりむかついた覚えがあります。まだ小さな子供達やドラえもんファンでない人には割と好評だったのに。 それまで20年以上変わらなかったOP曲のイメージに、ドラえもんファンは固執していたのでしょう。自分のもつドラえもんのイメージを大事にしたいのはわかりますが、他人の気持ちを傷つけていいはずがありません。私にとってドラえもんファンのイメージは最低となっています。新しい変化を受け入れられないとは器量の狭い奴らめ、ってね。 そんなわけで、例えソーサリーのイラストがアニメ絵になって復刊していたとしても、私は受け入れる度量を持とうかと考えています。
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