冒険記録日誌
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| 2002年06月11日(火) |
たまにはゲームブック文化について語る |
私は元々、創元推理文庫のゲームブックファンです。 同社の作品はどれも出来がよく、最高レベルの完成度と思います。しかし、少々重過ぎると思う事があります。 ブーム初期は手軽にできる作品もあったのですが、後半になってからは、長編RPGのような規模、シミュレーション作品かと思うような難解なルールのゲームブックが多く発売するようになってきました。 ゲームブックブーム終盤の頃、“パンタクル2”を買ったときにいささかの躊躇いがあってすぐにプレイしなかった記憶があります。(読み始めてしまうと、その面白さに一気に最後まで進んでしまいましたけど) つまり私は長編ゲームブックと言う、あまりに高タンパクのご馳走続きに食傷気味になってしまったのです。
もう一方の柱、社会思想社のFFシリーズはどうでしょう。相変わらずルールはシンプルです。 でも、これも後半の作品はやっていません。 それは異常に難しかったから。もうゲームブック一見さんでは太刀打ちできないレベルでした。
両出版社のシリーズは、今でも根強いファンがいます。 しかし後半の作品からファンになったと言う声はあまり聞きません。 これは、シリーズの方向性が従来のファン向けに特化してしまい、新規ユーザーを取り込めなかった結果ではないかと考えています。
では次は、双葉文庫のゲームブックです。 ここはブームに便乗した粗製濫造の代表的な出版社とよく酷評されます。まあそんな部分もまったくは否定できないのですが、これがゲームブックブームの衰退の原因とは思いません。 なぜならゲームブックは出版社別に各ゲームブックの系統がわかったので、双葉のゲームブックが嫌なら青い背表紙の文庫本を手に取らなければ、それですむからです。立ち読みもできるので、TVゲームのようにテレビのCMに期待して買ったらハズレと言う悲劇は回避できたはずです。それでも同社は大量のゲームブックを出版していました。それなりの購買層がなくては出来ない事です。 双葉のゲームブックはゲームブックファン向けと言うより、ファミコンファンに向けられたもので狙う購買層が違います。つまりこう考えられるわけです。双葉社はファミコン→ゲームブックと言う流れで、新たなゲームブックファンを作りだす事があっても、減らす要因とはならなかったと。 とは言え、ブーム衰退の折りには双葉社はゲームブック業界からすぐさま撤退したと私自身は思っていました。これも実はそうではありません。 それはゲームブック雑誌“ウォーロック”後期の記事にあった、「縮小傾向にあるゲームブック出版社達の中で、一人で気を吐いていたのが、双葉社」と言うコメントに象徴されます。意外にも他社の苦戦する中、双葉社は勢いを保っていたのです。 そう言えば最後まで生き残ったのは、エニックス出版とかTVゲームを原作にしたようなゲームブックを出す出版社だけでした。 これらのファンはライトユーザーゆえに、ゲームブック→スーパーファミコンなどのように興味の対象が次に移ってしまった。かれらはゲームブックの存在を忘れてしまい、インターネットのゲームブックサイトの掲示板などに姿を表す事はあまりありません。インターネット上で双葉ゲームブックの扱いが小さいのはその為ではないかと想像しています。
これはゲームブック復活の為には、単純にライトユーザー向けの作品を作った方が良いと言っているわけではないです。TVゲームは昔とは比べ物にならない程進化していますし、人々の好みも昔と同じではありません。 要はインターネットの情報のみで判断するなら、それは少数のハードユーザー向けのゲームブックを作る方向にいくしかないと言う事。それはそれで良しです。私だって“パンタクル3”やりたいですし。 ただ例え現在のファンには不評でも、まったく新たな層に向けたゲームブック。そんな作品が出版される機会も欲しいと思うわけです。 それがゲームブックの可能性を広げる事にならないでしょうか。
ふぅ。こんな事を書いていると疲れました。 次はすっごーーーーーーく、ノリの軽いペパーミントゲームブック“アイ・愛・あいどる”に挑戦しまっす。
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