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みんみん



 うちの花・そとの猫

ぴょんちゃんのおばあちゃんは、(ぴょんちゃんが)職場で飾るために、時々、家の回りに咲いている花を手折って渡してくれるそうだ。昨日はシャクナゲの花だったそう。
小学生の時、同じように私も花を持って登校したことがある。教室で飾るために。私だけじゃなくて同級生がぽつぽつと花を持って(持たされて)行った。庭先や畑の花。低学年の時の担任の先生(年配の女性。しかし思えば私の母の今の年齢より若い)がとても喜んでくれたのを覚えている。
花を持って登校するのも楽しかった。花束を持って歩くと何か誇らしげな気持になってよかったが、高校の時に花束を持って歩くのが嫌いだという人(女性の先輩)に出会って、そうかそんな人もいるのだと思った。といってその人が花を嫌いだというわけでもないだろう。包んだ花は下向きにして持って行きなさいと言われたものだ。
今でも花を持って登校する小学生はいるのだろうか。



午前中、縁側にさびちゃんがひとりでやってきた。
以前だったら私が窓越しに近づいただけでパーッと逃げていったのだけれど、最近はさほどでもないようだ。ごはんを食べていった。四口くらい食べてちら、と私を見る感じ。がっがっがっがっ(ちら)、がっがっがっ(ちら)、というような。
# 最初、食べるさまを「もぐもぐもぐもぐ」と表現していたが、猫は殆ど噛まずに飲み込むらしい。ゆえにもぐもぐは嘘だと思い、訂正。

いつもなら両の前足を揃えて座るのに、今日は片足を伸ばし、もう片足は内側に折り込んで(のいと暮らして初めてこんな座り方を知ったのだけど、いったい骨はどんな風になっているのか、不思議でならなかった)。いわば、片足だけ香箱を組んでいる状態である。
すごい! これってちょっとだけどくつろいでいるのでは! と嬉しくなる。足を折り込んで座るととっさに逃げるには不便なのだ。警戒が片足分だけ解けたか。

17日の日記で触れた猫、その後。
M氏が懸命に奔走していた。結局、獣医さんを変え(のいがお世話になっているにしお先生を紹介した)、手術に踏み切った。
手術自体は成功した。しかしなかなかしんどかったのだろう、今朝がたお星様になった、と電話があった。
いろいろな選択肢があったのかも知れないし、考え方もいろいろだろうと思うけれど(私に限ってみても17日の時点とはまた違っているような気もするし、変わっていないような気もする)、ここ数日、具体的に動き、考えていたM氏が選んだ結果であるから、それでよいのだと思う。もちろん「手術をしていなければ」と考えることも可能だが、いずれにしても状態は悪かったし、のら猫を続けることは無理だった。

猫と人間は違うし、そう違わないような気もする。違わないと思いたいが、やっぱり違う。
猫も死に人も死ぬ。
私は死についてよく知らないから(つまり少し格好つけていえば、生についてもよく知らないということでもあるから)、こうしてお弔いの場に接し、勉強させてもらったのだ。なんて書くと説教くさいが、本当にそう思う。
みんな(8人くらい)でお別れ。

2004年05月24日(月)
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