風紋

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2005年03月15日(火) 「遠い」友人に会いに行きご住職とお話。

今日も今日とてお出かけ。細々した用事を済ませたり、友人知人と会って話したり笑ったり、買い物をしたり(本とCD)。年度がわりは、焦ろうという意志がなくてもいろいろ区切りであるので、なんだか気忙しい。


帰りのバスの中で、ふと「そう遠くない昔のことのような気もするし、ずっとずっと昔のことだったような気もする、そんな過去のある時に、もう二度と会うことのできない遠いところへ行った友人」に会いに行こうと思い立って、いつもと違うバス停で下車して、お寺へと歩いていった。

そろそろ行きたいとは思っていた。行かなければならないとも思っていた。疲れたからやめようと思うことが多かったのが、今日はバスの中でふっと「行こう」と思ったのだった。

思い立ったのが突然だったので花も買えず手ぶらで行った。ごめん…。

お寺の境内には梅の花が咲いていた。通り抜けて、友人のいる場所へ。座って手を合わせて、いろいろと考えるともなく考えて、立ち去りがたい思いでいた。ふと横を見ると沈丁花の花が咲いていた。きれいだね。寂しくないね。そういえば夏は傍に紫陽花が咲いたりしていたね。蝶々も蟻もいたね。でも寂しい時もあるかな。私は私で来るからね…。

ちょっと御住職にお会いしたいなと思い、奥に声をかけると、お留守とのことで、がっかりと帰りかけたちょうどその時に、御住職が戻って来られた。いったん駄目だと思った矢先、嬉しい驚きであった。御住職の「まぁまぁ、あなた、久しぶり。どうぞ」のお言葉に甘えて、おいしいお茶をいただきながらゆっくりと話をさせていただいた(玄米茶だったのかな…?おいしかった)。

「1年ぶりくらいですかね」とのお言葉に、振り返って「そうですね」と答えた。そういえばほぼ1年前に私は同じようにこのお寺を訪れ、友人に会い、ご住職とお話をさせていただいたのだった(日記にも書いていた)。「お見かけしていないので少し気になっていたのですよ」との言葉に、とてもありがたい思いがした。この1年、友人に会いにお寺を訪れてもご住職にお会いできないことも数回あったような気がするけれど、なんだかんだで来る頻度自体が減っていたような気がする。ごめん…。

いろいろな話を聴かせていただき、また、いろいろな話を聴いていただいた。いつも、お話するたびに、安心する思いと、私は私を生きようという思いを強くしていただくように思う。

塔婆をお供えさせていただいた。目の前で書いていただき、見せていただいて、私は彼女とともに在るのだと改めて思った。

友人のことは、未だに私にとってある種の痛みを伴って思い出されることである。忘れられない。恐らくこれからもそうだろうと思う。思い出すたびに傷が疼くような思いをすることだろう。それでいい。それでもたぶん、いい。

私は死ぬまで死なない。笑って私の道を幸せに生きるから。

薄暗くなった空に薄い月が見えた。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)