風紋

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2005年03月01日(火) わ、3月 / 感じたことを大切に / 餃子作った

わ。3月になってしまった。

…ん? なぜ私は「なった」でなく「なってしまった」という書き方をするのだろうか?…と考えてみると、最近、のんびりほけほけと過ごしているからだろうか、と思い当たった。

梅が咲いているのを見かける。先日は花屋さんの店先に桜が並んでいたのを見かけた。

2月はゆっくり過ごしていたけれど、そろそろ少しずつ動き出さなければなぁ。今月と来月はいくつか勝負どころがあることだし。私自身の力を存分に出せるし、出さなければならない機会があるのだ。良い形で臨むことができるようにしたい。…それも何気ない日々の積み重ねかな。


最近、私は私自身が感じたり考えたりしたことを大切にしたいなということを思っている。そして、できるだけそうするように心がけている(なかなかそうはできないこともあるけれど)。

嬉しい、楽しいと感じることだけでなく、苦しい、疲れた、寂しい、つらいと感じることも大切にしていこうと思う。

確かに、苦しい、疲れた、寂しい、つらいなどと感じることはつらい。私の中には私がそのように感じているのだということをあまり認めたくない気持ちがある。私は無理に「なんでもないさ」と思うようにしようとすることもある。それに「こんなふうな場面では、他の人は苦しいとかつらいとは思わないのかもしれない」と思うと、私自身を情けなく思ったり責めたりすることもある。

けれど、そう感じるものはそう感じるのだということも大切にしていきたいな…と。他でもない私が感じることだから、その感じを大切にしようと(それを言葉にするかどうかということになると問題がずれてくると私は考えるので、言葉との関係についてはひとまずおいておく)。

で、ここのところ私は「疲れた」という気がする時は、「疲れたような気がするけれど何でもない。元気だ」ということをやめて、素直に「疲れた」と認めている。そこから「どうしようか?」と考えて、例えば寝るなどの行動にうつると、少し楽になったような気がする。

そう遠くない昔のような気もするしずっとずっと以前のことだったような気もする過去のある時には、私は自分が何をどう感じているのかわからなくなったこともあった。悲しいような気がするけれど悲しいと認めてしまうと立っていられなくなるような気がして、あまり悲しくないと思い込もうとしていたこともあった。そういうこともあった。でも心の中では何かもやもやとした感じが残った。

今は、そんなこともあったなと思う。そんなこともあるんだなと思う。これからもそんなことがあるかもしれないと思う。「よくわからない感じ」も含めて、私が感じたことを大切にして、私の速度で少しずつ生きていこうと思う。


差し当たり今は「腰が痛いな」と感じるので、湿布を貼っている。説明書きに「貼ると痛いことがあるかもしれません」という内容のことが書かれていたのだけれど、そう言えばやや痛い。昨日パソコンに向かって日記を書いていたときの座り方がおかしかったからだと思う。座り心地のよい椅子が欲しいなぁ。


今日は餃子を作った。野菜は水分が出てくるのでよく絞ることを覚えておこう。皮は私は既製のものを使うけれど、皮に包み込む作業はちょっとだけ得意。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)