風紋

もくじ / この前 / この後


2004年11月16日(火) 肩肘張ってる / 電飾 / ジャングルジムの色が変わっていた

「肩肘張らずに書いています」とトップページに書いたのは私自身なのだけれど、どうも書くときには物凄いほどの緊張感がある。至って事務的な文書…も書くのがつらいときもあるけれど、まだ大丈夫なのだけれど、いまは「私自身が思っていることを書く」ということがWebに公開する・しないを問わず緊張感を伴って、割ときついことになっているように思う(Webに公開する時の方が緊張するのは確かだけれど)。

書けない時は書けない、敢えて書かないのもひとつかななどと思う。


今朝は朝から頭痛がずっと続いていてつらかった。“寝ていいよ”と言われたらまず確実にすかーんと寝ているだろうなと思いながら電車に乗っていて、帰ってからすかーんと寝ていた。


街で、どうもそろそろ、木々に電飾をつける季節がやってきたようだ。いまの私にとっては、気がつくと11月ももう半ばを過ぎていたか!という感じである。

今まで、“木にぐるぐるコードを巻いたり電球をつけたりするのは、なんとなく木に申し訳ないな”という気がしていた。今も、そう思ってはいる。特に、電飾がつけられた木を昼間に見ると、その思いは増す。

ただ、神戸新聞「正平調」1999年1月17日(こちら)を読んで、少し違った考え方もするようになった。もちろん、この記事が書かれてから既に5年10ヶ月の時が経ち、その間に神戸の街も、神戸をめぐる人々の考え方も、その他のことも、5年10ヶ月という時の中で変わっているということを踏まえて読んだうえで、だけれども。5年10ヶ月の間には様々なことが起こったことも踏まえて、だけれど。

人は、光が欲しいのかなと思う。それは、この記事の中で取り上げられている「阪神・淡路大震災の被災者」に限らないと思う。単純に、暗闇は恐く、光が欲しい。暗闇がいつ明けるかわからないという状況では、なおさらのことかもしれない。

私も眠る時に電気を消す時、あるいは夜中にふと起きて暗かった時、ふっと不安になることがある。なぜだかよくわからない。

そしてそのうえで。「電飾が光っている」という物理的な事実から、どうすれば少しでもの、ひとの、まちの、安心につながる?と考える。

安心などないのかもしれない。それは私にはわからない。ただ、ひとときの安らぎがあればいいと私は思う。私はそう心から願う。

そのために、いろいろな人が、いろいろな想いで、そこにいることをそのまま大切にしたいと私は思う。時には「違うよ」と言いたくなることもあるかもしれない。でも、いつかはそう言うとしても、1度は「そうなんだね」とありのままを。それは私にとっては正直なところ少し厳しいことでもあるけれど、私はそうしたいと思うから、そうしていくのだろうと思う。

「目指す場所が違ったとしても、何か、こう、明るいイメージのようなものは分かち合えると思います」との言葉を頂いた方のことを思い出す。

それと、木に申し訳ないという気持ちは、同じようで、違うようで、なんだかよくわからない。


所用で寄り道をして、私がかつて通っていた小学校の周りを自転車でくるっと回って帰るという道筋になった。

運動場を見て、あれ?と思った。私が通っていた頃には水色に塗られていたはずのジャングルジムが、緑色(少しやわらかめの)になっている。朝礼台も水色だったはずが、同じ緑色になっている。そしてブランコの色が、何だか違う。

私が好きだったジャングルジムとは違ってしまったのかなぁ、何だか寂しいなぁ、でも、ものは同じなのだからいいのかなぁ…と思いながら帰ってきた(“いいのかなぁ…”とは、何が“いい”のか私自身にもさっぱりわからないが)。

その前に、ジャングルジムでは遊べない身体の大きさになってしまったことの方が、少し寂しいかもしれない。嬉しいことでもあるけれど。

季節はずれに咲いている朝顔の花を見ながらくるっと一周してきた。


私にとっては、だけれど、自分にとって大きな出来事を受け止めるには時間がかかる。というか、正直なところ、受け止め切れていないよな…と思うこともしばしばある。

受け止め切れていない状態で、いろいろなことをいろいろな人に話すこともある。聴いてくれるのをありがたいことと思う。そのまま、その状態で、待っていてじっくりと聴いてくれていたのだということに気がついて、心からありがたいと思う。

私も、そうあることができれば、いいのだけれど。


今日買った本:「パタンの空より ネパール滞在日記」(佐野由美著、2001年、シーズプランニング)。

詳しくは「風向計」に書いた(この場所)。


今日はあまりうまく書けなかったような気がする。いつも、そうかもしれない。


もくじ / この前 / この後
浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)