風紋

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2004年04月04日(日) 音楽の楽しみ / 写真(画像アップロードのテストを兼ねて)

日中は、ほとんど何もせず、ひたすら横になっていた。

夜になってから、楽団の練習へ行く。

練習にぽーんと入ってしまって、音の中に居ると本当に楽しい。その音を私自身も発していて、私の音と皆の音が溶け合っていると実感するのも本当に心地良い。このままずっとこの時間が続けばいいのにという至福の時を過ごすのは本当のこと。

が、練習に行くまでは、なぜか“練習に参加するのが億劫だ”という気分が支配し、なかなか動くことができない。“練習に行かねばならない”という圧力が苦しくてならない。その圧力は周りからかけられているというよりも、もっぱら私が自らかけているものだろうけれど。

…行ってしまえば、本当に楽しんでいるんだけれどなぁ。

だから、なんだかんだと他の理由をつけて、とにかく出てしまうことにしようと今は思っている。例えば、自動車の中でCDを聴くのが楽しみだとか、桜並木を眺めるのが楽しみだとか(気をとられすぎると運転に支障をきたすので、ほどほどにしているけれど、本当に綺麗なのだ。今は)。

ただ、私の中で限界もきているので、次の一区切りがついたら、またもう1度休団の手続きを取って、実際に楽器を手にすることからは少し距離をおいてみようと思う。今度はいつ復帰できるかわからないから不安も大きいけれど、実際に楽器を手にしなくても、音楽を愛し続けることはできると思う。そう教えてくれた人がいるから、そう思えるようになったのだけれど。

音楽の愛し方や楽しみ方は、人それぞれでよいのだと思う。私の場合、小さい時から自身が演奏活動に携わってきたし(ピアノ、合唱、吹奏楽など)、今も幸運にもそのような場があるから、そのような楽しみ方をしているけれど、それが全てでもないだろう。私は演奏することによって、“いつもと違う私”と向き合うのを楽しんでいるようなところはある。それから、“いつもと違う私”を外に表現すること(私の場合、ステージに乗ることそのものがすごく好きだ)。それから、演奏のために私自身の身体を使うこと(合唱から離れてもう随分経つが、当時歌った曲の細かいニュアンスなどは頭でなく身体で覚えているところはある)。


「私は花が咲くと文章を書きたくなるらしい」というわけで、画像アップロードのテストも兼ねて、写真を掲載してみる。

文章を綴ることだけでなく、写真も面白いなぁ…と思うのは、写真1枚見ても、その人がどのような視点からどのような思いで撮影したかがわかるから、その人が何を伝えたいかが文章とは違う形でわかるなぁ、ということ。撮り手が意識しているかどうかわからないけれど、その人の“世界の切り取り方”が、わかるのではないかしら…と。

(2004年4月4日,13:10記)




お、ちゃんとアップロードされている。すごいすごい!
(2004年4月4日,その後試行錯誤を重ねて13:20記)


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)