風紋

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2004年03月01日(月) 時間

帰りのバスに乗っていた時のこと。

若い男性と女性が会話しているのが耳に入ってきた(恋人どうしなのか友達なのか単なる知り合いなのかは判断できなかったが、恋人どうしではなさそうだった)。

「そう言えばもうすぐ1年になるんだね」「そう言えばそうだね」「早いねー」という弾んだ声が聞こえてきた。何が「もうすぐ1年」になるのかわからなかったが、弾んだ声の調子からすると、その何かからもうすぐ1年になることをしみじみと嬉しく思っている様子が伝わってきた。

「あれからもうすぐ〜年になる」とか「あれからもう〜年経った」とかいう言葉は、日常割とよく使われる会話ではないかなと思うけれど、「あれ」が何なのか、「あれ」がその人の中でどう位置づいているかによって、その言葉の発し方が全然違うような気がする。しみじみと嬉しい気持ちで発したり、やっとこさというほっとした気持ちで発したり、嬉しいような悲しいような気持ちを抱えながら発したり、癒されない痛みを抱えながら発したり、あまりに痛すぎて言葉にして発することができず心の中だけで呟いたり、あまりに痛すぎて「あれから〜年」など考えることさえできなかったり。

そんな「あれ」や「それ」を人はたくさん持っていて、それは嬉しいこともあり、悲しいこともあり、だろうけれど、そんな「あれ」や「それ」を抱えながら人は生きていくんだなぁ、とぼんやりと思った。悲しいことがあったらつらくてつらくてたまらないけれど、嬉しいこともあるから、そんなこんなが織物が編まれるように毎日が続いていくのかな。

別に「あれ」や「それ」が何であっても、何年経ったから、こういう気持ちになっていなくてはならないとかいう問題ではないということも、最近よく思う。

「人それぞれ受け容れていく時間の長さが違う」とは、最近、大切な人に頂いた言葉。いろいろなことがあるけれど、それを自分の中に溶かしていく時間は人によって違っていいじゃないの、と思う。


と、書きつつ、なぜか今日は帰宅してから妙に「何かしなければならない気分」になり、必死で「何かすること」を探している。そのくせ、しなくてはならないことをする気になれないのが、何というか…。

今日は外出した時に多少ふらついたことだし、無理せずにゆっくりと過ごそうと思う。

と言いつつ、ビーズアクセサリー作りに取り掛かったら、初っ端から「交差のさせ方」がわからず、挫折。


3月になった。2月はあっという間に終わってしまった。取り急ぎ、冷蔵庫の中にあったはずの3月1日賞味期限のヨーグルトをどうしよう。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)