風紋

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2003年10月28日(火) 虹を見た / 近況報告 / 線路で遊んでいた鳩 / 今日買った本 / 印象に残った言葉

虹を見た。あんなにくっきりとはっきりとした虹を見たのは何年ぶりだろう。

ちょうど自転車で坂を上っている時に見つけた。だから、自分が全身をかけて虹に向かっているような気がするというか、坂を越えたら虹がひらけてくるというか、そんな感じだった。

うわぁ、虹だよ、虹、と、心の中で言っていた。このことを今すぐ誰かに伝えたいような、誰にも伝えずに1人でそっと秘密にしておきたいような、微妙な気持ちだった。

しばらくすると、だんだん薄くなって、消えてしまった。でも、虹を見ている時から、私は、遠からずそれは消えてしまうだろうとは思っていた。仕方ないことだが、悲しかった。でも、今日、こんな虹を見たことを心にしっかり焼き付けておけばそれでいいと思った。消えても寂しくないと思った。

でも、ちょっと寂しかったな。


10月21日の後の近況報告(できれば、10月21日の日記を先に読んでおいて頂いた方がよいかもしれない)。で、やはりどちらかというと、自分自身のための近況報告。

10月21日に、私はその時の私自身の状態を、「毎日が綱渡り」という感じで、「綱を右手と左手で掴んで、綱にぶら下がりながら、少しずつ前に進んだり止まったりしている感じに近い」と書いた。そして、10月21日の時点では「片手だけでぶら下がっているか、片手の指3〜4本くらいでぶら下がっている気分」と書いた。

で、その後の感じとしてどうなったかというと、結局、綱から手が離れて落ちてしまったという状態に一時は陥った。

綱から手を離すと、下には一度落ちたら戻ってこられないような真っ暗な闇があると思っていた。底なしで、落ちたらもう戻ってくることができないような。

しかし、今回はどうやら、はるか下にだけれど、底は一応あることはあったようで、ぶつかって「大怪我」をした(あ、実際に大怪我をしたわけではなくて、あくまで比喩ですからご心配なさらないで下さい…でも精神的にはけっこうな大怪我だったと思う…未だに思い出すのはきつい)。

落ちたきっかけになった出来事も、恐らく通常の状態なら普通に受け流せるような、そんな、本当に些細なことだったのだけれど、疲労が蓄積していたので大きく受け止めてしまったのか、あるいは、もともと私自身が落ち込みやすい性格なのか。たぶん両方だと思う(この日記および日記を読んで下さっている方には本当に全く関係のない出来事です)。

で、「大怪我」の回復は比較的早かったのだけれど、「大怪我」だっただけに、きちんとした回復には時間がかかるようで、手探りで、1つ1つのことをゆっくりこなしながら毎日を過ごしている感じがする。

所属している楽団の演奏会ももうすぐだ。体調が良い時には練習に参加している。楽器を演奏するための身体も、全面的にではないが、徐々に戻りつつあるような気がする。大勢の中で演奏すること、音の中に自分が溶けていくこと、その音を自分も発しているということは、何ともいえず幸せな感覚だ(でも、実はまだ復団手続きを済ませていない…そのうちに済ませよう)。

体調を考えると、最後まで演奏しきれるかという感じだが、命懸けでステージに乗ろうと思う。


朝、電車に乗ろうとしてホームにいて、ふと線路を見下ろすと、しばらくは電車が入ってこない線路で1羽の鳩が遊んでいた。レールの上を歩いたり降りたり、何かをつついたり、またレールの上を器用に歩いたり。

和やかな気持ちになった。


今日、買った本。

(1)『死者の贈り物 詩集』(長田弘著、2003年、みすず書房)(詳細

今は何とも言いあらわせない…。

(2)『色の名前』(監修:近江源太郎/構成・文:ネイチャー・プロ編集室, 2000年,角川書店)(詳細)。

ぱらぱらとめくっただけだけれど、私は「浅葱色」とか、「マゼンタ」とか、「躑躅色」とか、「スカイ・ブルー」とか、「フォゲットミーナット・ブルー」(勿忘草色)とかが好きかな。「スカイ・ブルー」と「フォゲットミーナット・ブルー」は、割と近い色であるらしい。


今日、印象に残った言葉

「出逢いも別れも夕暮れにあずけたら
自分の影を捜しに 西へ行く」


(「いい日旅立ち・西へ」(作詞・作曲:谷村新司/編曲:羽毛田丈史/歌:鬼束ちひろ…聴いてはいないのだけれど))


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)