|
風紋 もくじ / この前 / この後
昨夜は日付の変わる頃に、何故だか涙をつるつると流しながら眠り、夜中に2〜3度目が覚めた後、朝の6時30分頃に一度起き上がった。その時に、「そよ風」(こちら)に写真を掲載したり、少し作業をしたりしていたのだけれど、やはり疲れたなと思ってもう一度横になったら、そのまま眠り込んでしまって、再び目が覚めたら10時だった。…寝過ぎ。 「犠牲 わが息子・脳死の11日」(柳田邦男著、1999年、文春文庫(単行本:1995年、文藝春秋))(詳細)という本を先日注文していたのが届いた。思っていたよりも届くのが早かった。少しずつ読もうとしている。 帰りに、ヒメヒマワリの花を持って、「そう遠くない昔のことのような気もするし、ずっとずっと昔のことだったような気もする、そんな過去のある時に、もう二度と会うことのできない遠いところへ旅立った友人」に会いに行って来た。 帰りがけに、偶然にも住職の方とお会いして、いろいろお話をさせていただいた。大切な時間だった。 とにかく、毎日、何かをこの場所に書こうということは、つい先日に決意したことだ。 それでも、時々は、書けないと思うことがある。書く気持ちそのものが起こらない時と、書きたい気持ちを抑えねばならないと思う時に分かれるように思う。 時々は、打ちのめされる。私がここで書き続けることは、誰かを傷つけることにしかなっていないのではないかと思うと、申し訳なくて絶望的になり、もう二度と書けないと思う。 それでも、今の私は、書ける時に書けることを書くという方法を取る。 つらい・悲しい・後ろ向きというだけでもない、かと言って、嬉しい・楽しい・前向きというだけでもない、そんな“何か”をここで生み出していきたい。 夜、近所の家に月下美人の花を見に行った。静かな道を歩くと、サンダルの音が、“ぴと、ぴた”と響き、その音が家々の塀に反響して“ぱん、ぱん”と響いていた。 花は、それはそれは、見事なものでした。 BGM:「風をみたひと」(「女声合唱とピアノのための『ファンタジア』」より。訳詩:木島始/作曲:木下牧子) 風をみたひとが いるかしら? あなたも わたしも 見ちゃいません でも 葉っぱが 垂れて ふるえていたら 風が 吹きすぎているのです 風をみたひとが いるかしら? あなたも わたしも 見ちゃいません でも 木々が 頭で おじぎをしていたら 風が 吹きすぎているのです (クリスティナ・ロゼッティ(木島 始 訳詩)) 追記: …と書いた後で、不思議な恐怖にとらわれている。自分があまりにも無意識に、あまりにも無自覚に、あまりにも無防備に、言葉を発しようとしているのではないかという恐怖。どこでもないこの場所に書くことによって、確かに何かが生まれるのかもしれない。ただ…、ただ。 今は、…、……。 (2003/09/06, 00:30)
もくじ / この前 / この後 |