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風紋 もくじ / この前 / この後
呟き程度に、いろいろと。 日が昇って朝が来て、昼が来て、日が沈んで夜が来て、夜が明けたらまた朝が来て、昼が来て…という繰り返し。その中で私は生きているんだな、と思った。私だけではなくて、他の人も。人だけではなくて、他の動物も、草や木や花も。当たり前のことなのかもしれないけれど、よく考えてみると不思議なことのようにも思う。 自分の話を誰かに聞いてもらいたいと思うのは何故なのだろうと考えていた。自慢したいとか、同情して欲しいという思いだけではないように思う。何か言葉をかけてもらいたいという思いだけではないように思う。ただただ聞いてもらいたいと思うことがある。それは何故なのだろう。 そして、本当に話したいことがなかなか話せないことがある。話したいのに、話せない。それは何故なのだろう。 よくわからないけれど、私が体験してきたことは、今の私をつくっているものだから。 私が弱いから、言いたいことも言えないんだ。私が弱いから、私は何にもできないんだ。…と思って、心底自分自身のことが嫌になった。しかし、もしも私が強かったら言いたいことが言えるのか、何かができるのかと自分に問い掛けてみると、必ずしもそうではないように思った。ただ、もう少し私はしっかりしなければならないと思う。しかし、そう思えば思うほど、絶対私には無理だとも思う。 もう少ししっかりしなければならない。私は。 私ではない人、私以外の不特定多数の人のことを、仮に“あなた”と呼ぶならば。(決して特定の誰かのことではない)。 私は“あなた”ではない。“あなた”は私ではない。それが嬉しいことなのか悲しいことなのか、私にはわからない。“あなた”の体験したことを私は完全に分かることはできない。私は“あなた”を傷つけるだけの存在なのかもしれない。“あなた”を傷つけるようなことしか、してこなかったような気もする。唇を噛む。 ただ、私のわかる範囲で、“あなた”と“あなた”を取り巻く全てのものを大切にします、という思いはある。“あなた”の大切に思うものが何であれ、“あなた”の大切に思うものを私は大切に思います、と。 それでもなお、私は私でしかない。 研究することは好き。好き…と言うと若干ずれるような気はするけれど、続けたいという気持ちはまだ持っている。ただ今は、少し休みたい。休ませてほしい。そうでないと、どんどん無茶苦茶なことになっていくような気がする(というか、すでに無茶苦茶になっている)。 私だって生身の人間だから、傷つけられれば血が流れるし、悲しいことやつらいことがあれば涙が出るんだよ、と叫びたくなることがある。 私は疲れているんだろうなぁ、たぶん…とは思うものの、それでも少しは、無理をしてでもやりたいことがある。「やりたいこと」が「やらなければならないこと」とは違っているのが、つらいのだけれど。自分がどの程度疲れているのか、どの程度調子が悪いのかも、だんだんわからなくなってきた。 昨日書いたこと、よく読み返してみたら逆だった。お腹がいっぱいだというわけではないのに…つまりお腹が減っているのに、ものを食べている最中に、どうしようもなく食べるのが億劫になる…というか、面倒になってしまうことが、最近時々あるのです。というのが正しい。 「風紋」(保科洋作曲)を聴いている。 台風が来ているという。大きな被害になりませんようにと願う。 本当にごめんなさい。少し気持ちが、とげとげしてしまっているようです。そんな気持ちがあらわれた日記になってしまっているのではないかと思います。もっと穏やかに時間を過ごせればいいのにと思います。
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