風紋

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2003年08月06日(水) この家での夏 / 悲しみとか / 穏やかな時間 / メモ:覚えておきたい言葉 / すいか

カーテンが風を受けて、ふわぁっと持ち上がるのをぼんやりと見ていた。1年前とは違うカーテン。窓の外では、時々、雀がちょんちょんと飛んでいるのが見える。この家で過ごす初めての夏。どの時間帯にどの辺りが涼しいのか、どういうお天気の時にどの辺りが涼しいのか、エアコンはどのようにつけたら効率がよいのか、だんだんわかってきた。この家は蚊が少なくて、蚊に刺されやすい体質の私としては嬉しい。恐らく、庭が整備されたということと、網戸が破れていないから。前の家は、ところどころ網戸が破れていたのをそのままにしていたから。

けれど未だに、住所を書き間違えそうになることがあるのです。


私の悲しみは、まぎれもなく私が感じている私だけの悲しみ…ではあるのだけれど、私だけのものにとどまるのだろうか、とふと考えることがある。あの人にも、あの人が感じているあの人だけの悲しみがあり、この人にも、この人が感じているこの人だけの悲しみがある。それは、あの人だけのものに・この人だけのものにとどまるのだろうか。

大切な思い。それぞれの人は、それぞれの人の大切な思いを持っている。“悲しみ”という一言ではあらわせない思いがあり、“悲しみ”という言葉を使っているからといっても、希望がないわけではないと思いたいような気持ち。


悲しみのことばかり書いているけれども、今は私は悲しいばかりではない。今日の夕方には、ふと「無理せず自然に穏やかに笑いながら時間を過ごしていくことができればいいなぁ」と思った。そう思った瞬間は、私は何とも言えず幸せだった。

ここ数ヶ月の私の事情を知ってくれている後輩に「浜梨さん(←仮名)の心地よいペースで生きていったら楽しいのではないかと思う」との言葉をもらったことがある。言われた時は、“私の心地よいペースってどんなのだろう?”と思ったのだけれど、何となくそれを掴むことができそうな気が、今日した。頭でではなく、身体で。

別の後輩からもメールをもらった。実はちょっと苦手だなと思っていた後輩だったのだけれど、“自分の周りのことを感じる力をなくさないように。風の音でも水の感触でも”という内容のことを書いてくれていた。嬉しかった。そういえば、5月から6月の2ヶ月間は、とにかく仕事をこなすのに必死で、ずっと部屋に閉じこもって作業をするか、ぶっ倒れているかで、そういうことを感じることが少なかったな、と今さらながら思い出した。勝手に苦手意識を持っていてごめんね(ここで謝っても仕方ないけど…)。

穏やかに流れる時間。ぼんやりと空を見て、ふんわりと風を感じながら過ごす。こんな時間があるから、また戦うことができる。いつか絶対に立ち上がる。考えなければならないことや、やり遂げなければならないことがある。


覚えておこうと思った言葉。
「『生きる・死ぬ』ということと『いる・いない』ということは、ほとんど同じだと思われるけど、僕は違うと言いはりたい。ただ物理的に『ある』というだけじゃない、別の『あり方』が存在することを考えたかった」(朝日新聞、2003年8月5日夕刊、「存在感ある日常の「記憶」描く 『カンバセイション・ピース』保坂和志さんに聞く」の記事より)


今年初めて、すいかを食べました。種が少ないような気がしたけれど、甘くておいしかったです。

お腹が減っていないわけではないのに、ものを食べている最中に、どうしようもなく食べるのが億劫になる…というか、面倒になってしまうことが、最近時々ある。お箸を止めて、茫然としている。


一昨日よりも、少しふくらんだお月様が見えます。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)