風紋

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2003年07月12日(土) 月下美人の花、その後 / BGM(「柳河風俗詩」) / こんな日だった

昨日の月下美人の花の話の続き(詳しくはこちらの日記参照)。

昨夜あれほど美しく咲いていた月下美人だが、朝起きるとやはりしおれていた。でも、それほど悲しい姿には見えなかった。“昨夜ありったけの力で咲いたから、しおれても私は満足だ”という感じにも見えた。形としては、アニメや絵本の中で魔法使いが持っている箒の先っぽみたいな形になっていた。もう咲かないとわかっていながらも、捨てづらくてそのままにしておいた。

家族は月下美人の前でスケッチブックを開いて絵を描いたり、月下美人を眺めながらコーヒーを飲んだりしていた。私は、デジカメで写真を撮ったり、花びらを触ったり、近づいて匂いをかいだり、前・後・横・上・下といろいろな角度から眺めたりしていた。

月下美人を目の前にしてどういう行動を取るかは人それぞれなのだろうけれど、別にどういう行動を取ってもいいのだろうと思う。絵を描く。写真を撮る。文章で表現する。ただ眺めながらコーヒーを飲む。あるいは、敢えて見ないという方法もあるのかもしれない。私は絵を描くのがとても苦手なので、写真を撮る・文章で残すという方法を取って、そしてそれとは別に、身体全体でこの花のことを覚えておこうとして、見たり触ったり匂いをかいだりしたわけだけれど。要は、どのような方法を取ったとしても、自分なりの方法で月下美人に向かい、それで自分自身の中に生まれた印象や想いを自分なりに大切にすれば、それでいいのではないのかなと思った。それは、対象が月下美人ではない場合でも同じことが言えるだろう、と思う。

この世の中で出逢った人にしても物にしても、出逢えたのは何かの縁で、それはものすごくありがたい偶然であろうと思うから、できるだけその時その時の出会いを大切にして会いたい、と思う。


BGM:男声合唱組曲「柳河風俗詩」(北原白秋作詩/多田武彦作曲)
また(?)男声合唱曲。この組曲の4曲目(終曲)が「梅雨の晴れ間」というタイトルだったのを思い出して聴いてみたくなった…というただそれだけの理由で聴いた。「廻せ 廻せ 水ぐるま」という節が繰り返し繰り返し現れる。陽気で活気のあるメロディーが好きだ。

廻せ 廻せ 水ぐるま
梅雨の晴れ間の一日を
せめて楽しく浮かれよと
廻り舞台も滑べるなり
水を汲み出せ その下の
葱の畑のたまり水

(「梅雨の晴れ間」より)


今日は、全身から力が抜けていくようなだるさがずっと抜けずに、ほぼ1日中寝ていた(こんな時間になってから回復してきたので、日記を書いているが…)。思い切って休めばいいのかもしれないけれど、気合いで何とかなるかもしれないとか、休んで回復する保証もないとか思うと休めない。でもこのままでは思うように仕事ができない。なぜ私はこんなにも何もできないのか…と思うと、悔しくて悲しくて不安になる。

いつ死んだとしても後悔のないように生きようと思った。いや…違うな。どうしてもある程度の後悔は残るだろうと思う。でも、…何と言葉にすればいいだろう…、できるだけその時その時を大切にして生きようと、それから、やってみようと思ったことは恥ずかしくてもできるだけやってみようと、そう思った。大きな病気を患っているとか、生命の危険のある仕事に携わっているというのではないのだけれど。

そんなことを書きながら、書かなければならない論文を放ったらかしにしている。今回は書けないかもしれない。何というか…書ける気がしないのだ。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)