風紋

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2003年06月22日(日) 力の入らない日 / 聴いた曲 / メモ / 御礼

力の入らない日。

しなくてはいけないことがあるのに、する気になれない。だが気分転換のために別のことをする気も起こらない(しかけたのだけれど、どうにも力が入らなかった)。かと言って、寝る気も起こらない(どうしても「しなくてはいけないこと」のことが気になって眠れないのはわかっているから)。小さいことからでもいいから少しずつやっていけばいいと頭ではわかっているものの、もう一切動きたくない…という気分。“もう、何もかもどうでもいいよ…”と思う一方で、それが本心でないことは自分でもよくわかっていて、本当は“どうでもいい”なんてことは全然なくて、情けなくて、ぺそぺそと泣いたりもしていたが、単に欠伸のついでに出た涙だということにしておこうと思う。

さっきから少しずつ「しなくてはいけないこと」に取り組んでいるものの、少し進んでかなり休んでという感じである。明日からどうしよう…。


音楽をよく聴いた日だった。以下、順不同で列挙して、少しだけコメント(というよりほとんど自分のためのメモ)。

・「喜歌劇“メリー・ウィドウ”セレクション」(F.レハール作曲/鈴木英史編曲)
 昨日から何回聴いただろう?というくらい何度も聴いている。爽快。

・「フラッシング・ウィンズ」(Jan Van der Roost作曲)
 最初から3小節目あたりで、「確かに風が眩しいほどに輝いた」という印象を受ける。全体的に爽やかな風の雰囲気がある。ところどころ、少し寂しげに見えたりもするけれど、それでも吹き続けるという感じ。最後は、風がひゅうっと吹きすぎて終わる感じ。
 
・「アルヴァマー序曲」(J.バーンズ作曲)
 あらゆる意味で自分の原点と言える曲。この曲に出会わなければ私は音楽を続けようとは思わなかったなと思い出す。実際に演奏すると、ものすごくきついのだけれど(2〜3回通して演奏したら、ばてる)。

・「ビザンチンのモザイク画」(F.チェザリーニ作曲)
 もうこの曲は二度と聴けないと思っていたけれど、思い切って聴いてみたら意外と動転せずに聴くことができた。それでも第2楽章(「エルサレムの寺院」)の冒頭の部分はつらい(「崩れ」という雰囲気がするから)。第3楽章に「復活の天使」と名前が付けられているのが、泣ける。

・「風紋」(保科洋作曲)
 私がこの曲を聴いた時に思い浮かぶのが「眼」である。あらゆるものから逃げず、あらゆるものをじっと見つめ続ける「眼」の存在を感じる。存在というか、姿勢というか。「風紋」ということで、風の様子を描写したかのような美しく流れるメロディーが展開される中に、ぴしっと1本、強い「眼」の存在を感じる。

・他、2〜3曲

もっと多くの曲を聴いたような気もするのだけれど、単に同じ曲を何回も繰り返して聴いていただけなのかもしれない。


メモ:
・「自信」と「保身」と「勇気」。何となく、今の自分にとってのキーワード。
・「全力」と「余力」って、字の形が似てるね…と言った人がいる。


日記のカウンタが4000を超えました。いつでもやめられる覚悟はしておかなければならないと思うものの、今まで続けられたのは素直に嬉しいです。いつも読んで下さっている方にも、時々読んで下さっている方にも、別の目的で検索をかけてこられて偶然にここに辿り着いた方がいらっしゃるならその方にも、ありがとうございます、と思います。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)