風紋

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2003年05月08日(木) 今、聴いている音楽(「イタリア奇想曲」「エクスカリバー」) / 近況報告とかなりの弱音

朝、とても激しい雨が降っていた。世界がいつもとは少し違って見えた。お昼からは少し寒かった。昨日はあんなに暑かったのに。

久しぶりに、チャイコフスキーの「イタリア奇想曲」を聴いている。そう遠くない昔に1度演奏したことがある(編曲版だったけれど)。好きな曲なので演奏できて嬉しかった。指回しが難しかったけれど。そういえば今朝、楽団の同じパートの人から「コンクールのメンバーを出さないといけないのだけれど、○○さん(←私の名前)は出られますか?」とメールが来た。今の状態では練習に参加することが難しいので、私はメンバーから外しておいて…と返事をする。というか一応名義上は私がパートリーダーなので私がする仕事なのだけれど、最近休みっぱなしなので。ごめんなさい。ちなみに、私がパートリーダーをしているのは、私が一番上手に演奏できるからだとか私が一番偉いからだという理由では決してなくて、在団年数がそこそこ長いことと、こういう立場にいるので時間の融通が利きやすいからだというだけの理由。

それと、今聴いている音楽がもう1つ。「エクスカリバー」(Jan Van der Roost作曲)。聴いているCDはこれ。ブリーズ・ブラス・バンド(ブリティッシュ・スタイルの金管バンド)の演奏。何というか。ものすごい希望と力を持っている音楽であるように思う。最後の部分で、何もかもを圧倒するような光が見えるような気がする。あるいは底力とも言えるか。大好きですこの曲。


今日は、日記を書くことが(しかも、Web日記という形で書くことが)、いいことなのかどうかわからない。それは、自分にとっていいことなのかどうかわからないということも少しはあるけれど、主には、こんなものを公開の場に書いて、自分ではない誰かに読んで頂いてもいいのかどうかわからないということだ。“書いてもいいのかどうかわからない”ということは、“書かない方が良いのではないのかと思って躊躇している”ということでもあるのだけれど。書き手の私がそう思いながら書いているということを踏まえて、それでももし読んで下さるという方がいらっしゃるなら。どうか読んで下さい。読んで頂ければ嬉しい。

何と言えばいいのか。もうつらくて苦しくてならなくて。昨日も少し書いたのだけれど、何がどうなっているのか自分でも混乱している。だから、弱音を吐こうにも、どのように弱音を吐いていいのかわからない。相談しようにも、どのように相談すればいいのかわからないし、助けを求めようにも、どのように助けを求めればいいのかわからない。それでも、さすがに今週に入ってからかなり状態が悪いので、少しずつ同僚や先輩に話を聞いていただいてはいるけれど。公的な場(大学とか)に行っても平静を装えなくなってきて、ぼろぼろの状態を何となく周りに感づかれるようになってきた。そうなってしまうなら、大学に行かない方がいいような気もする(…し、実際最近は行くこと自体がかなりつらい。朝も起きられなくなってきて、金曜の授業も2週連続で休んでいる(この分だと明日も無理か?))。

今日は泣きそうな気分で出かけ、仕事先で派手に泣き(一応、公的な場では耐えたけれど、控室近くで爆発してしまった。ついていてくれた同僚(であり友人であり先輩)に感謝…)、泣きながら帰ってきた。帰ってきてからとにかく休もうと思ったけれど、涙が止まらないわ頭痛は治まらないわ吐き気はするわで、全然休めずにいる。それでも今は少し落ち着いているからこうして日記を書いている。なぜ涙が出るのかわからない。悲しいのか苦しいのかつらいのか。わからないけれど、涙が止まらない。他の人の前で泣くのもつらいし恥ずかしいけれど、1人で泣くのはもっと苦しい。

もう限界だ、もう頑張れないと思いながら、それでももう少し頑張ってみようと思ってここまできた。ただ、この状態が少なくとももう1ヶ月は続いている。さすがに焦るし、それより何より苦しい。気力も体力も限界寸前に来ているような気がする。

頑張っても頑張っても事態が改善される兆しがない。それは私の頑張りが足りないのだと思う。その点は私がもう少ししっかりする必要がある。ただ、事態を改善するために頑張ろうとする力さえ最近はなくなってきたのも事実である。そんな自分をだめだとも思う。だめなのだけれど、どうしようもない…。

あきらめたくない一方で、もう全部あきらめてしまいたい。逃げ出したくない一方で、もう全部投げ捨てて逃げ出してしまいたい。それでも、あきらめたくないし逃げ出したくない。虫の息でも倒れっぱなしでも死にたくない。

私は、この場所を、愚痴を吐き出すだけの場にはしたくないし、弱音を吐き出すだけの場にもしたくない。それは矜持(というか単なる意地か?)ということもあるし、何より、自分でない人もここの記述を読む以上、愚痴や弱音を読ませてしまうのは失礼であると思う。私の弱音を読まされても、読んでいる側にはどうしようもないというところはあるだろうと思う。だから、最近の日記は、書いていて本当にごめんなさいと思う。ただ、思いっ切り思うように愚痴や弱音を吐き出してみて、私は私自身を見つめ直すことができると思うし、そうして初めて見えてくるもの・明らかになってくることがあるように思う。何が明らかになってくるのか、今の私にはわからないのだけれど。…開き直りか?

もっとも、それを自分の中だけで溜め込んでおくことができずに、こういう後悔のじゃなくて公開の場でしてしまうのは、私が寂しがり屋(?)だからなのだろうし、私の弱さゆえだろう。ただ、自分の中だけで溜め込むのは余計に苦しい部分があるし、循環してしまうような気もする。

私だけが苦しいのだとは思っていない。そう書くつもりもない。苦しい人はたくさんいるのだろうし、私などよりも苦しい思いをしておられる方もたくさんおられるのだろう。それでもみんな生きている。だから私も頑張らなくてはいけないと思う。思うのだけれど、なぜか、もう何もかもが悲しくて悲しくてならなくて。

怠けたいとか楽をしたいということではなくて、でも、少し休みたい。少しでいいから楽になりたい。そして、もう少ししっかりしたい。強くなりたい。「頑張ります」とは言えないのだけれど、思うのはそんなところ。


最近、気分の振れが激しくて自分でもコントロールできないので(もともと感情の起伏が激しい方ではあるのだけれど…って、他人と比較することはできないので本当のところはわからないですが…)、そういう時にはなるべく日記を書かないようにしようと思うけれど、「そよ風」の方にはそれがダイレクトに出てしまうかもしれない。

何か具体的に助けてくれということではなくて。ただ、時々、読んでいただければ。それだけで嬉しいし、何とか生きていく力(というと大袈裟に思われるかもしれませんが)を保てそうな気がします(で、ちょこっと、読んでるよーと知らせて下さっても嬉しいです)。結局、読んで欲しいから書いているのだなということを明らかにするようで、何だか恥ずかしいですが。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)