風紋
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| 2003年05月09日(金) |
日記書く力がないと言いつついろいろ(雑記や「ロメオとジュリエット」(プロコフィエフ作曲)の話) |
日記書きたい。書きたいけれど、まともなことを書くだけの力が出ない。
昨日、泣くまいと思って下唇の裏を必死で噛んでいたので(それでも泣いてしまったが)、今日になってそこがひりひりと痛んでくる。
今日も午前中の授業に出られなかった。3週連続で休んでいる。来週は頑張らないといけない。けれど頑張れるだろうか。それでも午後から用事があったので、ふらふらしながら大学には行った。しかし時間を見計らって行かないとタイミングの悪い時にタイミングの悪い人たちと出くわしそうだったので、時間調整のために駅ビルに入って、雑貨屋さんでコースターとペンダントを買った。ペンダントは恥ずかしいくらい安価なものだけれど。ト音記号の飾りがついている。八分音符の飾りがついているのとどちらにしようか迷ったのだけれど。
ムシトリナデシコの花が咲いている。変な名前だけれど私は好き。
いつも通りがかる喫茶店に時々猫がいる。いるかいないか毎日楽しみにしながら通りがかっているのだけれど、先日、店先にいなくても屋根の上にいることもあるということを発見して、おおっと思った。
本を1冊買う。何かいいきっかけになればいいと思う。2週間前にもこういう本の買い方をしたものの、1ページも開いていない。
昨日の仕事の続きをしようと思って資料を見直したら、追い詰められた気分になった。でも逃げられないんだったら、頑張ってしゃんと立っているしかない。
いろいろなことが混乱していて、ただただ途方に暮れる。結局は私が生きたいと思うのであれば、私自身がしっかりしないといけないと思う。
ふとしたきっかけで、「傷は癒えるかもしれないけれど、欠落は埋まることがないから抱えて生きていくしかない」という意味の言葉を目にした(急ぎ足で読んだので、前後の文脈はここでは省略)。これが本当にそうなのかどうかは判断できないところはあるけれど、何となく心に残った。そして私が抱えているのは傷なんだろうか欠落なんだろうかと思った。今まで傷だと思っていたのだけれど、欠落だったのかもしれない。それでも、欠落を抱えていても生きていけるのね。生きていくしかないのか。
「バレエ音楽“ロメオとジュリエット”作品64」(プロコフィエフ作曲)を聴いている。久しぶりに聴く音楽。まして全曲版(だと思うけれど、これ)を聴くのは本当に久しぶり。ある方から、この曲を以前に演奏したことがあると伺い、私自身も懐かしくなって聴いてみている。私も以前に演奏したことがある(編曲されたものの、しかも抜粋版だけれど)。割と好きな曲。軽く楽しめる曲から、かなり追い詰められたような重い雰囲気の曲もあるけれど。
その方と私とは、「ロメオとジュリエット」という曲に出逢って演奏した経験を持っているという点では共通していても、いつどこでどのように出逢って、いつどこでどのような演奏の機会を持ち、それが現在どのような思い出としてとどまっているか、その思い出にどのような意味づけがされているかということは全然違うと思う。でも、違うから素敵なのだとも言えるかもしれないし、それに、違っていても、同じ音楽に触れたことがあるということでお話ができることを本当に幸せなことだと思う。
ありがとうございます。ごめんなさい。
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