風紋

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2003年04月06日(日) (頭痛のためメモ程度に、と言いつつ多少長め) アルバイト先の送別会 / Cocco「荊」

頭痛がするのでメモ程度に。

アルバイト先の送別会に出席してきた。出席すると返事はしたものの、本当に自分が送別される立場の人として認識されているのかどうか自信がない状態で行ったのだけれど、きちんと「やめる人」として認識されていて、ほっとしたような寂しいような気分だった。

実は、今もやめる覚悟はできていなくて。私は、随分、この場所(場所自体というか組織?)に依存してきたというのを改めて思い知った。アルバイターとしては大学2回生の時からお世話になっていたのだけれど、それより前に、アルバイターとしてではなく関わった時間も含めると、今までの人生のおよそ半分をこの組織と一緒に過ごしてきたから。

組織、と書くと、なんだかすごくわかりにくいな。アルバイト先は進学塾です。教える立場ではなかったですが、裏方の仕事をしていました。

ということを考えると、私はこの塾に育ててもらったようなものだなと思う。いいこと、たくさんあった。一方で、いいことばかりではなかった。嫌なこと…というか、随分きついこともあったし、わめいてぶち切れたことも、どうしてこんなことを?と思うこともあった。それを全部ひっくるめて、自分の大切な思い出だと言えるし、この塾のいいところも悪いところも、愛している。

やめる理由が、本業との両立が限界になったというのが主な理由ではあるけれど、やめた後、私はどうなってしまうだろうと不安になる。もう限界だからと思う一方で、もっと続けたかったとも思う。…というのを、お世話になった先生にお話したら、「いつかは終わりにしないといけないのだし、でも、やめてもまたいつでも遊びにきたらいいんだよ」と言ってもらえた。それで、すとんと落ち着いたような気がした。

他にも、最後に、先生方といろいろな話。昔のこと、仕事のこと、私のこれからのこと。一言一言が、心にしみた。

中学時代にお世話になった英語の先生が、5〜6年前にご病気で亡くなられていたことを初めて伺ったりもした。鼻の奥がつんとして、世界が引っくり返るような感覚に耐えながら、そうなんですか、と答えた。それ以上のことは言えなかった。死なないで欲しかった。生きていても、関わり合うことはもうなかったのかもしれないけれど、でも、生きていて欲しかった。

記念に、私は先生方からティーポットをいただいた。「やめる人のイメージに合わせて選びました」とのことだったのだけれど、ちょうどティーポットを買いたいなと思っていたところだったので、なぜ私の欲しいものがわかったのですか?と、不思議に思ったし、嬉しかった(というか、お世話になりっぱなしだったので、こんなありがたいものをいただけるとも思っていなかった。申し訳ない)。

とは言うものの、引き継ぎが完全に済んでいないので、あともうしばらくは時々通います。


前の話と全然つながりはないのだけれど。昨日・今日で、久しぶりにCoccoの「ベスト+裏ベスト+未発表曲集」を聴いていた。

このままでいい
このままで ずっと
傷が癒えてしまえば
この雨さえ
痛くもないなら

倒れていたい
飛べなくてもいい
きっと走れるだろう
この体は
生きられるはず
最後まで

(Cocco「荊」より)


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)