風紋

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2003年03月31日(月) 3月31日 / 紅茶を飲んだ(という記録だけ)

3月31日だった。

昨年12月末(ここを参照?)にも似たようなことを書いたような気がするのだけれど、なぜ、3月31日から4月1日の変わり目は特別なのだろうと少し奇妙に思う。“今日”に“旧年度(2002年度)”という名がつき、“明日”に“新年度(2003年度)”という名が付くだけなのに、何が何故こんなにも大きく変わるのだろうと思う。

新聞の紙面の構成が変わったり、テレビ番組の編成が変わったり、会社の名前が変わったり。そう言えば、みずほ銀行がスタートしたのがちょうど1年前で、街を歩くたび、この前まであの銀行(富士銀行)とこの銀行(第一勧業銀行)は違う銀行だったのに、4月から同じ銀行になっているのを奇妙に思ったのだった。

私自身の身の上には、4月になったからと言って大きな変化がないという状況がここ数年続いているのだけれど(最後の大きな変化が大学入学だったような気がする。それ以降はない)、自分自身が変わりたくても変われない(努力不足か)、飛躍したくてもなかなか飛躍できない(というのも努力不足か)でいるだけに、4月になって周囲が一気に明るく新しくなるというのが少しつらい。もともと環境の変化に弱いということもあるけれど(昨秋の引っ越しで実証済み?)。

4月から新しい場所へ行かれる方が私の周りにも何人かいらっしゃる。ここ数日で、それぞれに最後のご挨拶をした。今まで毎日とまではいかなくても頻繁にお会いしていた人たち。二度と会えないということはないと思いたいのだけれど、しかし、4月からは会うことも少なくなるだろうとか、もしかしてもしかすると、もう会えないかもしれないと思うと(思いたくなかったが)、何とも言えないくらい寂しくて不安で、この人の姿も声も全部をまるごと心に焼き付けようとした。すべての人に対してそれができたわけではないけれど。

今はまだ、別れが信じられなくて、明日も明後日もその人がそこにいるように思うのだけれど、その人は明日は新しい場所におられるはず。今まで、きっと、私自身が意識しないところで、たくさんたくさん支えられていたのだと思う。思うのだけれど、それが実感されるのは先だろうとも思う。

どうして、離れてしまってからでないとそれを実感できないのだろう。

せめて、4月以降も引き続き(あるいは新しく)私と近い場所で関わりあっていくであろう人に対して、大切に会っていこうと思う。

別れる時に、さようならという言葉はつらくて言えなかった。ありがとうとか、また会いましょうとか、お元気でという言葉を言っていたような気がする。それでも別れる時は、胸に大きな穴があいたような感じがした。

今はただ、また会えるときがあると信じよう。どうかお元気で。私も頑張ろう。


紅茶を飲んだ。レピシエの378 マハガストット・PEKOEクォリティ MAHAGASTOTTE, PEKOE1 QUALITY 03-2(詳細)。美味しかった。詳細は、今は飲みながら書いているのではないので、記憶がぽやんとしているので、飲んだ時にでも書く。


メモ:学会発表の論文集の原稿を提出した。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)