風紋

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2003年03月23日(日) 今年だけの春 / 練習へ

今年の春と同じ春は二つとないのだな、と思った。言い換えると、“今年の春と1年前の春は違うし、さらにもう1年前の春とも違う”とも言えるし、“今年の春と同じ春は今までに来たことがないし、これからも来ないだろう”とも言えるし、“今年の春はかけがえのない、二度と経験できないもの”とも言えるし…。あまりうまく言えないのだけれど。

毎年、今時分(3月の中頃から終わり頃)になると、そろそろ春だなぁと思うのは同じなのだけれどね。

そう思ったきっかけが、今年は花粉が随分多いと聞くけれど昨年はどうだったんだろうという疑問であったことが、あんまりロマンチックではなくて、どうなんだかと思うのだけれど。桜の咲く時期も、スギ花粉の飛散量も、コートを薄手のものに変える時期も、暖房を使わなくなる時期も、空の色も風の匂いも、その年その年で違うのだろうな、と(当たり前か)。何より、春を見ている自分自身もその年その年で同じではないのだろうし(いや、ある意味「同じ」と言えるけれど。でも「同じでない」し)。

今年の春が、今年しか味わえないものなのかなと思うと、何だか急に勿体無いような気がして、笑って春を迎えられなくてもいいから、この春を味わい尽くしてやろうと思った。豪勢な場所に花見に行こうとかいうのではなくて(行ってもいいのだけれど、人込みに弱いので多少辛い)、いつも見ている木をほんの少し長い時間をかけて見てみようとか、帰りに寄り道をして普段見ていない花を見てみようとか、その程度なのだけれど。

今日は昼間に自動車に乗ったら、かなり車内の温度が上がっていて暑かった。この感じ。


久しぶりに楽団の練習に出る。楽器を吹きながら、私は曲を演奏することだけでなくて、楽器を吹くという行為(?)自体もかなり好きなのではないかということに気が付く。大きく息を吸って、目当ての音をイメージしながら息をはいて音を出して、音を響かせて…というふうに身体を使うこと自体が快い。自分の身体が楽器になったような。この辺りの感じは、言葉でなくて身体に染み付いているようなもので、私にはあまり上手に文章にすることができないのだけれど。

音出しの段階で、ロングトーン、音階、リップスラー、タンギング、半音階と一通りこなして、自分の身体の中に、忘れていた何かが戻ってきたような気がした。ずっと練習をさぼっていたので、高音がかなり出難くなっているのはまずいのだけれど。

ここしばらく、次の演奏会が終わったら退団するかあるいはしばらく休もうかなと思っていた。それは今のこの瞬間も完全にそう思わなくなったわけではない。正直、自分の本業(?)さえ満足にできていない状態で、小指1本でぶら下がっている状態(主観的には)で足掻いているので、コンスタントに練習に出るのは多少きつい(もう少し頑張らなきゃとは思うものの)。ただ、今日こう感じたことで、やっぱり私はここから離れられないなと、もう少し踏みとどまってみようかと思った。

しばらくぶりに合奏に出ると、今まで見たことのない楽器があったり、聴いたことのない旋律が聴こえてきたり、先日までリズムが噛み合っていなかったところがうまく流れるようになったりしていて、徐々に仕上がってきているのかなと思い、その中で私は何をやってるんだろうと思って反省をする。今回初めて見る楽器もたくさんあって、きょろきょろ見回しながら、おおっと思っていた。今日見た(聴いた)楽器で、一番印象に残ったのはフィンガーシンバル(という名前だったか…? あまり名前に自信がない)。高音で、可愛らしいけれど割と毅然とした感じの音を出す楽器だった。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)