風紋 もくじ / この前 / この後
朝、自転車の前に補助椅子(?)をつけて、補助椅子に子どもを乗せて自転車で走っている女の人を見た(言語化しにくい風景だな)。自転車の前かごに何か入っているなぁと思いながら、すれ違った時に見ると、前かごの中には女の子のお人形さんが立っていた。妙に心に残る風景だった。お人形さんを連れて、どこに行くところだったんだろうか。私も子どもの頃はお人形さんが好きで、あちこち連れ歩いていた。 大学に行って、少しずつ作業。約1年前のデータをもう一度見直したりしていた。 私の癖みたいなものだけれど、気分の浮き沈みが激しくて、浮いた時には何でもかんでもどんどんできそうな気がするのに、沈んだ時にはぴたっと全て止まって、ばさっと力が抜けてしまう。真ん中くらいでやっていければいいのに…と思う。今は“ばさっと力が抜けている”時間の方がやや長い。 気を抜くと頭痛が襲ってくるような気がするので、なるべく気を抜かないようにしているけれど、頭痛って気合で治るものなんだろうか。 何だか最近、外に出向くこと自体はそれほどきついことではないけれど、移動している最中がきつい。 と、自分の状態を書き出すと、調子の悪いのを認めてしまうようで、日記を書くのが何となくこわいと感じないでもない。 1日に何度も「テレプシコーレ」を聴いている。この曲によって随分と心がかき乱され、しかし支えられてもいる。 スペースシャトル「コロンビア」の空中分解事故のニュースより。 “落下した金属物の周りに集まり、カメラを向けている人々もいる。その一人、アンジェラ・ベイルさんは「今、私たちはここで、このかけらを見ている。(そうすることで)実際に起きたことを整理して理解しようとしているのだ」とAP通信に語った。” (出典はこちら(朝日新聞のニュースより)) このニュースについては、いろいろ思うことはあるが、うまく言葉にできず、何も書けないでいるが、この方の言葉は覚えておこうと思った、ということだけ書いておく。 昨日(2月3日)付けの朝日新聞夕刊の「文化」の面に掲載されていた「文芸21」が興味深かったのだけれど、きちんと取り上げるだけの余力が今はない。高橋睦郎氏の「詩の自由をめぐって」と名付けられた文章で、「定型あってもなくても、時空を超越」という見出しがついていた。 帰りの電車の中で、少し離れた所に座っていた20歳前後の女性が、携帯電話で「あ、お姉ちゃん? 今○○駅なんだけど、この時間だったらお弁当買って帰れるけど、どうしよう?」と話しているのを見た(聞いた)。似たような電話を以前私もしたことがある。この後、この人は電車を降りてお弁当を買って、お姉ちゃんと2人で食べるのかな。きっと仲の良い姉妹なのだろう。きっと美味しい晩御飯を食べることができるだろうね。ふんわりと暖かい気分になった。
もくじ / この前 / この後 |