風紋

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2003年02月02日(日) 昨日と違うのは / 音楽 / 自信 / 時間 / どうなるの

机の前に座ったままほとんど立ち上がらずに、窓の外から南の空をじっと見つめ、太陽が雲の中から現れたり雲の中に隠れたりしながら東から西へ移り行くのをじっと眺めていたら、いつの間にか空は真っ暗になっていた。

昨日と違うのは、「夜明け前から朝」の時間帯が抜けていることくらいだ。

論文書かなきゃ、と我にかえってパソコンのディスプレイを見ると、過去の論文からごっそりコピー&ペーストした文章と、空白の中に「だが」や「また」などの接続詞、「と指摘されている」などの定形句のみが散在している状態だった。実は今も。


やっぱり「テレプシコーレ」をずっと聴いていた。IV(4楽章でよいのだろうか)の4分30秒以降の部分を繰り返し聴いていた。あともう少しすると、私はこの音楽をステージの上で演奏する一員となれる、そのことを嬉しく思った。まだ全然練習していないのに。

他の何を失っても私には音楽がある、と思った。

オルガン(パイプオルガン?)で奏でられたメロディは、心の中の一番敏感な部分に触れられるような気がする(私にとっては)。


結局、私に自信がないのが一番悪いんだろうと思った。いや、自信がないのが悪いのではなくて、自信がないことを言い訳にして、何もしようとしないこと、する前にあきらめてしまうことが一番悪いんだろうと思った。

完全に完璧にできなくてもかまわなくて、とりあえず動いてみることが大事なんだと頭ではわかっているのだけれど。できるところまででいいじゃない、やる前から諦めんなよとりあえず動こうよ、と自分に言い聞かせる。

泣きながらでないと自己主張できない状態からは脱出したいと思うのだ。


少しだけ待ってほしい、時間がほしいと思う。でもそんなことを考えていても、時間は過ぎていくということが、正直なところ、今はちょっときつい。

無理して浮上する必要はないと頭ではわかっていても、いつまでも浮上できないとさすがに焦り、でも焦れば焦るほど悪循環に陥っているような気がする。

沈み込むための時間さえないのか?


「理解される事実はあまりにも不幸だった
そして理解されたために不幸となった
けれど解釈されることなく、そのまま現実として耐えていこうとするとその現実はどうなるのだろうか
今日は十一月二十日
彼の講義が終わるのは十二月二日」

(「不幸について」 / 小野原教子「表面張力」,2000年,思潮社)

最後の2行はちょっとこの詩の背景を知らないので置いておくとして3行目まで。
本当に、どうなるのだろうか。


寝付けない夜。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)