風紋

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2003年01月11日(土) 体温計を眺めて

げほごほごほ。

…と言っても風邪はそれほどひどいわけではなく、今日が平日だったら、普段通り大学に行っていただろうなという程度ではある。が、溜め息が出てばかりなので(比喩ではなく)、1日中ベッドの中と机の前を往復していた感じがする。時には机の前に座って、ホームページを見たり、論文を読んだり、プリンを食べたり。疲れたらベッドに潜って、寝転がりながら論文を読んだり本を読んだり…していたのだけれど、いつの間にか眠ってしまったらしい。

熱はそれほど高くない。測ってみると37度より少し低い程度だった。こうして目で体調がわかるのって、安心できるような、でもこればかりに頼ると少し怖いような気もする。主観的にぼろぼろでも、体温が37度以下であれば“もう少し頑張らなければならないなぁ”と思うし、何だか休ませてもらえないような気がする。反対に、まだ何とか頑張れると思っていても、体温が37度以上だと“休んだ方がいいのかな”と思うし、休むための正当な理由ができたような気がする。体温計の示す体温が正確かどうかわからないし、本当はちゃんと体温計が挟まっていなかったのかもしれないのに。体温計で体温がわかると、それで自分の体調の全てがわかったような気がして。

37度の少し手前で水銀が止まっているのをじっと眺めて、ほっとしたような、がっかりしたような、妙な気分になっていた。確かに今、ぶっ倒れると困ることは困る(というか、すっごく困る)。その意味では、この程度でよかったと思ったのは事実なのだけれど、もう少し高かったら、心おきなく休めたのかもしれないなとか、あんまり思ってはいけないことを思ったりしていた。

あんまり体温計の示す体温に振り回されないで、きついなと思ったら無理せずに遠慮せずに堂々と休んでしまうのがきっといいのだろう。体温計の示す体温と主観的な体調は確かに対応はしているものの、熱がなくても、体調が悪かったら、疲れたなと思ったら、休んでもいいよね…なんて。なぜ休むのにこんなに罪悪感を感じているんだか…。

ちなみに久しぶりに水銀体温計を使った。体温計は何処?と家族に聞いてみて出してきてくれたのがなぜかこれだった。懐かしかった。私、水銀体温計の水銀を下げるのが下手で、振っても振っても下がってくれない。振り方が悪いのだろうか。振り過ぎて頭痛がしてきたりもして。

楽団の練習もあったのだけれど休んでしまった。13日の依頼演奏の合奏が今日しかないので気がとがめたのだけれど、今日無理をして練習に出て、当日行けなかったら洒落にならないのでやめておいた。しかし、当日出るのはきついなと思っているのも本当のこと(朝から昼過ぎまでかかりそうなので)。


昨日の日付の日記に少しだけ書き足しをしました。気が向いたら読んで頂ければ幸いに思います。

ちなみにこうやって日記を書いていると、体調は限りなく普通の状態に戻ってきたような気がします。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)