|
風紋 もくじ / この前 / この後
山を1つ越えた(←比喩)。来週にもう1つ山。 今日は(も)いろいろなことがあって(いや、例によって例のごとく嘘かも。あんまりなかったかも)、いろいろなことを考えた(これは本当)だけれど、取り急ぎ今日は休む。 自分の中で、いろいろなことがぐるぐると回っていたり、ふわふわと漂っているような感じ。それらを、言葉にしておもてに出してやりたい気持ちがすごくある。この場で出せることは少ないかもしれないけれど。どこにどのように出すかは関係なく、とりあえずおもてに出してやりたい、と。 そうして、自分の中にあるものを1つずつ言葉にして、言葉にすることによって、確認して、安心したいのかもしれない。 ただ、曖昧なものに言葉を与えるのは、私にとっては、ある意味怖い作業ではある。なぜだかよくわからないのだけれど。言葉にすることでそれがはっきりした形で現れるのが怖いのかな。 いつも、その中間くらいのところで書いている気がする。 この感じを、あまりうまく言葉にすることができないのだけれど。 BaBeの「WAKE UP!」という曲を、不意に思い出して聴いてみる。かなり昔(1988年)の曲なのだけれど(御存知の方はいらっしゃるだろうか。BaBe自体が既に解散してしまっているようだし)。こういうノリの歌は好きだ。ちょっと元気が出る。 「涙を止められない黄昏が来ても 明日の僕に恋していたい」という歌詞が妙に印象に残る。 帰りに、前の家の跡地を通った。端の方の一部はもう舗装されていて、歩行者と自転車くらいは通れるようになっていた。私もそこを通った。妙な気分になった。ここ、多分かつては台所だったあたり。ごはんを食べたりごはんを作ったり、お茶を淹れたりしていたところ。そこを今はこうやって自転車で踏んでいる。 最終的には、この土地のほとんどは道路の一部になることになっている。私だけではなくて、私の知らない大勢の人が、此処を通ることになるのだろう。かつて私が日常を生きていた場所を、ごはんを食べたり歯を磨いたりピアノを弾いたり勉強をしたりしていた場所を、そうと知らずに通るのだろう。踏んでいくのだろう。私という人間がここで生活して、ここで育ったことを知らずに。そして私自身も、それを徐々に忘れていくのかもしれない。 引っ越したことや、前の家が解体になったことについては、今さらどうにもこうにもできることでもないし、そうなったことを受け容れていくしかないのだろうと思うし、そうしようと思う。ただ、此処を通る人のほとんどは、かつて此処が私の生きていた土地で、私にとってとてもとても大切な場所であったことを知らないのだなと思うと、寂しいような気がするのだった。知って欲しいとも思わないけれど…いや、ちょっと思っているかも、でもそれは無茶なことだとも思っていて…、でも大多数の人にとっては、此処は“ただの道路”なんだというのが、少し悔しい。 もっとも、それを言い出すと、この世の中に“ただの道路”“ただの土地”というのはないわけで、大多数の人にとっては何の変哲もない場所が、ある人にとってはとてもとても思い入れの詰まった大切な場所だというのはよくある話だと思う。で、「大多数の人」に対して、「ある人にとって此処はとても大切な場所なんだよ」と言うのも無茶といえば無茶な話なのだろうと思うし、大多数の人にとってはそれはどうでもいいことなのだろう。そう思うと、私自身が、ここが私の生活していた場所であることを忘れた方がいいんだろうと思ったりもする。それでも日記にこうやって書いてしまうのは、忘れたくないからで、それが間違っていると言われても、忘れられないからで。それでもいつか忘れるのかもしれないけれど。 ちょっとよくわからなくなってきたから、おしまい。
もくじ / この前 / この後 |