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〜〜ぱるたの子育て日記〜〜



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■…2009年10月21日(水).......MRIの結果
ユイマJ大病院診察日。私が行けないので、ジュンコに付き添いを頼んだ。ありがたや。

ジュンコからなのか、ユイマ本人からなのかはわからないが、萩山の病院のこと、国分寺のクリニックのことを伝えると、MRIの結果は出しておいた方がいいですね、と先生自ら言ってくださり、あっというまにデータを取り寄せて、その場でユイマにCD-ROMを渡してくれたそうだ。
しかもあとの会計で分かったことだが、文書料はタダだ!
薬はきっちり次回国分寺までの間の日数分処方された。

ジュンコに、担当医の印象をメールで聞くと、こんな答えが。

> 萩山と武蔵野の病院を混同してるあたり
> 大病院ぽいかつ精神科寄りの大味な人だなと思いました
> あてにするのがまちがっています
> 薬をくれればいいです

ジュンコもまた私よりもずっと冷静である。

ちなみに、MRIの結果からは脳には異常が無いとのこと。CTでも異常なくMRIでも異常が無いということで、外科的治療が必要なてんかんではないことがはっきりしたと言ってよいのかな。



■…2009年10月15日(木).......ノイノイに彼氏が出来た!
ユイマの病気話ばっかりじゃぁなんなので、明るい(??)話題も書いておこう。
ということで、ちょっと前の話題。

銀婚記念欧州旅行に行っている間、朝晩iChatで東京の子供たちとつなぎ顔を見て話をして、行ってらっしゃい、おやすみなさいの挨拶、簡単な日常報告など受けていたわけだが、この日、日本は夕方午後4時30分ごろ、パリは朝8時過ぎ、なんと、ノイノイに彼氏ができたんだよ、とジュンコから衝撃の事実が明らかにされたっ!

なになに、そういえば、10月3日(私たちが旅行に出かけた日だ)の学校公開日に、今日コクる!(注:コクる=告白する)と言っていたけれど、成功したわけ??

と聞くと、その通り!だと。

しかも、iChatつなげたとき、まさに、その意中の君、T川Sタロウ君とデート中だったのだ。

デートってどこで?

いや、近所のS辻公園で、ついさっき出たばかり。

わはは。でももう4時30分だから時間切れじゃない?(夕べの鐘というのが鳴って、子供たちはおうちに帰る時間なのだ)

などとと言い合っているうちに、予想通り、ノイノイが帰ってきた。そして、10分くらいしかあそべなかったし、Sタロウ君は5時半まで帰ってくるなってお母さんから言われてるから、お願い!5時半まで遊ばせてーーー!と妙にハイテンションでお願いしまくるノイノイなのだった。

時間を過ぎて外で遊ばせるのは不安だったし、Sタロウ君は今、我が家の前にいるというし、じゃ、いっそのこと、うちに上げたら?ジュンコもいるし、ということになって、ノイノイの彼氏、Sタロウ君、我が家に初お目見え。

ノイノイは相手のことを気遣っているようで全然気遣っておらず、うきうき気分でいっぱいのハイテンション。Sタロウくんはそのノイノイに完全に振り回されてる状態で、自分がどういう状況におかれてるのかもわかってない感じ?

ま、とにかく。iChat画面通じてご挨拶した。こんにちは。はじめまして。

聞くと、ノイノイはSタロウ君に手紙を書いたら、OKの返事が来たとか来なかったとかで、とにかくつきあうことになったんだって。

私たちは朝ご飯を食べに行く時間になってしまったので、挨拶したとたんに、すぐじゃあまたね、ばいばいとお別れして、その夜。ジュンコから聞いたところによると、Sタロウくんのママから電話があり、本人とても“楽しかった”そうですので、次回は“是非、うちにも遊びに来て”ください、とのことだったそうだ。

本当に楽しかったのかなー。ま、いっか、そう言ってるんだから、信じよう。
うん。そうしよう。(笑)

ところで、ノイノイに彼氏ができたってことで、一番落ち込んでるのがぷみぷみだ。先を越されたー、しかもノイノイに!?よりによって、ジュンコじゃなくて、ノイノイに?!
しばらくつっぷしていたらしい。

彼女も意中の人がいて、でもなかなか思うようにいかず状態だからね。
ま、がんばってくれ。





■…2009年10月14日(水).......診断つく
今朝、ユイマと萩山の病院へ。

9月1日の発作から今日までの間に、再度の発作、投薬、私たち夫婦の欧州旅行などもあり、この1ヶ月半は長かった。

担当医は私たちの話に良く耳を傾け一言も漏らさない勢いでカルテに書き込んでいく。もちろんぷみぷみの証言記録も読んでもらった。
今日の先生はJ大とは全く違って、これだけのことを観察できるとは素晴らしい、看護師になれる!とぷみぷみのことを褒めて下さった。

そして、結論としては、やはり「てんかん」
正式な診断名としては、「特発性全般てんかん」というものだそうだ。

てんかんという病気について、正しい認識をしてもらうためだろう。ユイマに対して、大変ていねいに病気のことを説明してくださり、また、治療についても、現在の日本にいることがどれほどラッキーなことか、くりかえし説く。

曰く。
医療もままならない後進国だったら、あるいは50年前の日本だったら、あなたはてんかんの治療を受けることができなかったかもしれない。でも今あなたは日本に生まれたおかげで非常に安価に良い薬を手に入れることができる。薬さえ飲めば、発作を抑えることができ、パイロットや宇宙飛行士というようなもの以外の職業ならどんな仕事にもつける。投薬治療を行い2年間発作が起こっていないと証明されれば、運転免許も取ることができる。
それに、あなたは男性だから、結婚しても全く問題がない。女の人なら妊娠中にどんな薬でも赤ちゃんに影響があるから、リスクがあるけれど、男性はそういう心配は無い。ただ、相手の人に病気のことや薬のことをわかってもらわなくちゃいけない。そのためには、あなた自身が病気のことをきちんと理解していなくちゃいけない。

・・・これらの説明を、素直に頷きながら聞くユイマ君であった・・・

先生のお話では、薬は25才くらいまでは飲み続けることになるだろう、とのこと。で、薬の量や種類については、日常的な指導になっていくので、専門病院を紹介してくれた。今度は国分寺の病院だ。

帰宅してすぐ国分寺に連絡を入れる。が、その病院も大変混み合っていて、萩山の紹介状をもってしても、予約は1ヶ月以上先。11月27日にやっと取れた。

これで、国分寺に行くまではJ大をつなぎに使うことに決まった。MRIもJ大で撮ったら、データは国分寺に持って行く予定だ。

さてユイマの反応。

晩ご飯のときに、妹たちに向かって「妹たちよ、俺は、じつは「てんかん」だったのだよ」とおどけて言っていたけれど、本当のところは「てんかんと聞いて、しょぼんとしていた」のだそうだ。
でも、今日の先生の説明のおかげで、薬を飲み続ける覚悟はできたのではないかしら。
だって、もし薬を飲まなかったらどうなるか、ということもちゃんと聞いたのだから。

ちなみに、もし、薬を飲まなかったら、発作が頻回になっていき、知的にも問題を来していく、とのこと。この知的障害を来すという説明が、ユイマには一番効いたようだ。






■…2009年09月10日(木).......J大脳神経内科受診顛末
9月7日月曜日に脳波検査を受けたユイマだが、昨日また発作。次回の診察は9月28日(しかも小児科)となっていたが、そこまで待っていられない。今朝朝一番にJ大病院に行き、脳神経内科初診を申し込む。が、小児科の予約がはいっているのに脳神経内科の初診を受け付けることはできないと言われて、待つこと1時間。やっと小児科の許可がおりたので脳神経内科で受診できることになったが、もう午前の診察は締め切った後だった。結局午後1時半の診察となったため、私は一日会社を休み、ユイマも学校を一日休むことになってしまった。

まあそれはいいのだ。問題はJ大の医師の対応である。

昨日の発作はぷみぷみがそばにいるときだったので、一部始終を彼女からヒアリングし書き取ったものを持って行き、問診票につけて出しておいた。診察室に入ると、まずその文章について医師は「これなんですか?これ、だれが書いたんです?」と聞く。私です、と答えると、ふっと笑って、面白い文章だ、とつぶやいた。

↓これ。

ーーーーー

ぷみぷみの証言

ユイマが部屋から出てきてぷみぷみの部屋に入ってきた。普通に。
洗濯物でも取りに来たのかなと思ったら、畳の部屋の真ん中に座って絵を描いていたぷみぷみの斜め前に座ったので、どうしたの?と聞いたら、なんだかこわくなってきた、と一言。
どういう意味かなぁと思って見ていたら、ユイマはすわったまま顔を斜め後ろに向けて震え始めた。首が左右に小刻みに振れ始めたので、ぷみぷみはどうしたのかと思って見ていたらころんと右側に倒れて(白目むいてた。そのときすぐ電話してくれたのだが、それが6時29分)がくんがくんと震えが大きくなって、足はそこにあるおもちゃ箱をがんがんをけるように動き、両手はまっすぐ固まったままで上下に動いた。少しおさまったら、いびきのような音を立てると同時によだれが沢山出て、泡がぼわぼわしたので、ティッシュでふいてやった。そしてぼんやり気づき始めた。
この間、約10分あるかないか。

本人の弁

いつも倒れる直前のことは覚えていない、思い出せないと言っていたが、今日は、あ、思い出した。すごくこわいよ、という。

心の中に別の誰かがいるような感じ。そいつに監視されているみたいで、そいつが、ほらこわいだろ、ほれみろ、みたいなことを言う感じでそれにあらがうことはできなくて、それは言葉では言い表せないくらい怖い。
そして、そうなってしまうと自分がだれなのか、ここがどこなのか、生きているのかどうかもわからなくなる。つまり全く現実感が無くなる。そして。。。
ということらしい。

今日はこれはマズイ、また来る、と思って妹の顔を見れば直るかと思って隣の部屋に行ったけれどダメだったそうだ。


ーーーーー

確かに今読み返すと変な文章だけど、でも、こっちは必死なのだ。てんかんなのか、もしかして不安発作の可能性もあるのではと思い、わざわざ本人の弁まで書いたのに・・・。

医師はさらにぷみぷみの年齢を聞いて「あー小学生か−、11才?12才?」
12才です、と答えると、12才ねぇ・・・とつぶやく。小学生の言うことは信頼できないとでもいわんばかりに。

そのあと、カルテに書いてあった「勉強できない。成績悪い」というコメントを声に出して読み、勉強できないの?とユイマに聞くのだ。それに対してユイマが「あーできないっすねー」などと答えるものだから、まったくもー!!
どういう意味で勉強できるできないって言ってるんだよー!!

そもそもこのコメントは、最初に救急にかかったときに対応した小児科の医師から、ユイマは勉強はできるか?と聞かれ、どう答えたらいいのかわからず戸惑っていたら、成績はどうですか?と質問を変えて聞かれたので、成績はあんまり良くないです、と答えたのだ。だって1学期の成績、赤点は無かったけれど惨憺たるものだったから。
でもそれが、勉強できない、成績悪いというコメントとなってカルテに書かれているって、どうなのよ(-"-;)。

その後一通り診察。体操みたいなことさせたり歩いたり、かっけのテストみたいなことしたり。

そして、結論。脳波の結果はまだ出ていないので断定はできないけれど、これだけ頻回に痙攣がでているので、きっとそういう体質なのでしょう。(どういう体質ですか?てんかんということですか?と尋ねると、まあそうです、という答え。)
MRIの検査を入れておくから、まずは薬を飲んで発作を抑えた方がいい、というので、薬を処方してもらった。そして、血液検査を受けていって下さい、というので、それも受けた。(ユイマに聞いたら、6本も採られたよ、とのこと。検査代だけで17990円だった。実際は3割負担だから6000円くらいだけど。)

MRIの日取りは10月16日。10月14日に国立精神・神経センター病院に予約を入れていることは言いそびれてしまった。

********************

noripと相談した結果、初心に返って(?)我々が一番信頼しているA村先生が示して下さった道筋通りに進もうと決めた。

つまり、

A村先生が国立精神・神経センターに紹介状を書く→J大で脳波を取る→J大で先に薬を出してもらう→脳波の検査結果をJ大から借りる→国立精神・神経センターに検査結果を持って行く→診断をしてもらう→治療をする

脳波検査の結果が出るのは来週らしいので、来週になったらJ大に結果を貸してくれと頼もう。そして、MRIの日程がもっと早まらないかもう一回頼んでみよう。

さて、ユイマの様子だが、彼は不安傾向があるところは私と似ているけれど、私と違って予期不安に惑わされるようなことは今のところ無いようだ。倒れるのはやだなー、とは言っているけれど、意外とけろりとしている。
俺、すごく健康なのに、変だよねーなどと言って笑っているのだ。
悲観的になっているのは私だけなのかもしれない(反省)。

noripもいつもながら冷静だ。今日の医師はてんかんの専門ではないことと、ぷみぷみメモへの対応を聞いて、その医師には相談する気がしない、とばっさり。

とにかく、正しい診断と正しい治療を受けられるよう、親としてできることを淡々とやろう。




■…2009年09月04日(金).......備忘録
9月2日朝一番で、萩山の病院に電話。
初診であること、紹介状はかかりつけの先生に出してもらえること(たぶん)、脳波のデータは持って行けること(たぶん)、の3点をもってしても、一番早いタイミングで10月14日。一ヶ月半先だが、仕方がない。その日の一番ということで予約を入れた。

9月2日10時すぎ A村こどもクリニックへ。
A村先生に顛末を話し、これからどうしたらいいか相談。J大学では脳波検査の予約は取れているが、最終的な診断は萩山で希望していること、そして、その萩山の予約はとりあえず取れていることをお伝えすると、早速、萩山への紹介状を書いてくださった。これで、ルートはできたと思いますよ、と言っていただけて勇気百倍。そして、10月14日までのことをどうするか、薬を先にのんでいてもいいかもしれない。J大学で出してもらっても良い、というアドバイス。とりあえず脳波検査までは薬無しでいくことに決まった。

9月4日 ユイマ学校担任へ手紙を書いて持たせる。

O先生、
いつもお世話になっております。ユイマの母です。
新学期早々欠席してしまい申しわけありません。実は、始業式の日の夜、ユイマがひきつけのようは発作を起こしまして救急車で運ばれるということがありました。
幸い近所のJ大学附属病院に受け入れてもらうことができ、血液検査とCTを撮りました。が、この2つの結果からは特に異常はみとめられなかったそうです。しかし症状からてんかんの疑いがあるため、脳波の検査も受けることになりました。
検査日は、来週月曜日9月7日月曜日の午前中です。終わり次第登校させますが、場合によってはお休みとなってしまうかもしれません。
同様に、10月14日には、萩山の病院に予約を入れました。この日も検査や診察が終わり次第登校いたしますが、欠席となってしまう可能性もあることをあらかじめお伝えしておきます。
以上、よろしくお願い申し上げます。
ユイマ母

学校でも発作がおきるかもしれないとか、今までにも何度か同じようなことがあったとか、そういった込み入ったことは一切書かずにシンプルに書いてみた。
経験豊富なO先生ならこれで充分意図は伝わるだろう。

とりあえず、以上備忘録。





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