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〜〜ぱるたの子育て日記〜〜



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■…2007年08月30日(木).......わかんない=やりたくない
夏休みもあと数日。今年は9月1日、2日が土日のため、始業式は9月3日だ。それをいいことに、まだ宿題が終わっていない子供ら。ユイマはたぶん一夜漬けだとしても自力でこなすだろう。問題はぷみぷみだ。

残す宿題はあと感想文のみ。だた、この感想文がくせ者だったのだ。

彼女の話は長い。最も伝えたいことのずっとずっと手前から話を始めるので、本題に入る頃にはいったい何を話したかったのか聞いている方が疲れてしまってわからなくなることも多い。でも本人は超マイペースな人間なので、相手が何を知りたがっているか、や、相手がもう疲れてしまっていることなどお構いなしに、延々と自分が話したいように話す。
そういう日頃の態度が文章にも表れる。

今年の課題は400字詰めの原稿用紙3枚に納めることなのに、書かせてみたら6枚になっている!(書かせるまでも大変だった。なんとか塾の先生の相談して塾で書いてみたら、とうながして、やっとここまで来たのであった。)

なにしろ読んだ本の中身を全部書きたいのだもの。本の紹介じゃなくて感想なんだから、紹介は最小限にとどめて感想をメインにね、と言っても、「わかんないーーー。どうすればいいのーーー?!」と泣き出してしまうのだ(ウソ泣きなんだけどね)。

仕方がないので、私がばっさり地の文を削ってどうにかこうにか3枚に納めて見せた。こうやって削るの。でね、長ったらしい文章は表現を変えて短くするの。と説明し、ばっさり切った部分はこことこことここ、という具合に説明していくと、一か所、どうしても自分としては削りたくない部分が含まれていて、急に不満顔になる。

じゃ、こんどは削り方もわかったことだし、自分でその4行分(削りたくない部分は4行だった)を縮めてごらんなさい、と言うと「ええっ!? わかんないーーー。できないーーーー。どうすればいいのーーーー!?」とまた、わからないを連発し始める。

彼女は、やりたくないこと、やってもうまくいきそうにないこと、面倒なことを目の前にすると、すべて「わかんない」と自分の心に蓋をしてしまって、それ以上前に進もうとしなくなるという悪い癖がある。それなのに、できないことに対してものすごく不機嫌になるのだ。

ピアノのときもそう。これで先生はどれだけ苦労したことか。やればできるのに、一寸気持ちを変えて取り組めばできるのに、気持ちに蓋をしてしまうのでもったいない、と何度言われたことか。
今度は塾の先生に対してこれをやり始めている模様。もちろん、私に対しても相変わらずやっている。

感想文の期日は迫る。これ以上塾の先生にお願いするのは、申し訳ないのであとは私が引き受けたものの、私の手に余るこの状態、いったいどうしてくれようか。



■…2007年08月12日(日).......ヒロシマ慰霊旅行・・・ジュンコの日記・・・
ジュンコの了解を得たので、彼女の日記をこちらでも公開。

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8日9日と広島旅行にいっていました。

いつどういう経緯で知ったんだかもう思い出せなくて、でも小学生の私が奇妙な熱意をもって、図書室の分厚い原爆記録写真集やら被爆体験手記やら読みあさっていたことからもう低学年の頃には知っていたんだろう、去年の暮れに亡くなった祖母が被爆者であったということ。

夏ごとに原爆死没者慰霊式で石棺に名簿をいれてるようす、テレビで一度は皆見たことあると思うけど、あれ被爆者手帳持っていても、申し出ないと特に何もないまま終わってしまうのね。初めて知りました。
テレビがないので今年の名簿追加のようすを確認してはいないし、お骨が入っているわけでもないけれどとにかくおまいりするための旅行でした。
資料館の地図や航空写真を指差して確認したり、住んでたお家が爆心地から1.2キロ、通ってた学校の場所は…なんて話をしながら街を歩くなんて本当思ってもみなかった。それこそなんだかテレビのドキュメンタリーみたいで、現実感の薄さに気が遠くなる感じがする。でもそんな自分に憤りも感じる。一瞬で鉄骨ひしゃげて石が溶けて5キロ先まで窓ガラスが割れて壁にも人にも突き刺さって川には炎と数えきれないくらいの死体って全部本当の話なのに。身内がそこにいたのに

私にはかろうじて原爆も戦争も「他人事」ではないから、というか本当は世界中の誰も他人事であってはいけないのだけど、でも日本の世界のわるい人らは、存命する被爆者の老衰を、こういうことをなるべく早く皆が忘れてくれることを、62年間じりじりじりじり待っているわけでしょう、一番ゆるしちゃいけないのはそういうことと思う。
一番必要なのは、何遍でも思い出して、体験していなくても勉強して、あのとき何があったのか、それがおこるとどうなるのか、あの時より技術が発達してる今それがおこったらどんなことになってしまうのかって少しでも考えたり話したりすることと思う。

ところではだしのゲンがドラマ化されたそうで、もちろん上記のとおり家にテレビのない私は未見なんですが、原作で一番こころに残ってるシーン、被爆したおじさん(離れの畳の上でずっとねてる)の皮膚にわいた蛆をピンセットでゲンがとってあげるっていうところ、血便を出して血を吐いて苦しむところ、骨をすり潰した粉を飲めば血を吐いたり毛が抜けて死ぬことはないっていう迷信にすがって焼け野原で人骨を集めるおばさん、ちゃんとドラマの中に出てきてましたか?
出てきてないならちゃんとみんな原作よんでくださいね。ギギギ

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注釈)1.2キロ:私たちも、母も、被爆地点は爆心地から1.2キロと聞かされていたが、よく調べるとたぶん0.8キロだったのではないか。1キロ圏内では、半分の人が即死状態だったことを思うと、彼女が生き残ったことは奇跡としか言いようがない。
しかし、その奇跡が、生涯、母には罪の意識となってつきまとっていたことを、私たち娘はつい最近知ったのだった。

注釈2)ギギギ:はだしのゲンで、被爆者が苦しむときの擬音として描かれていた。



■…2007年08月11日(土).......広島慰霊の旅
8日から一泊二日で、ジュンコ・ユイマ・私の姉・姉の娘チカちゃんと私の5人で、広島慰霊の旅に出かけた。

飛行機に乗って広島へ。お昼すぎに市内に入り、宿となる全日空ホテルへ行き、遅いお昼を取ってから出かける。まずはホテルから元安川沿いを歩き、原爆ドームへ。川沿いの道は散歩道のようになっていて、木陰が気持ちよい。いたるところに慰霊碑や詩碑があり、様々な言葉が刻まれている。

原爆ドームは、まわりに柵がめぐらされ、すぐそばに寄ることはできない。私が子供の頃に訪れたときはすぐそばまで行って壁にさわったように思うが、記憶違いか。

元安橋を渡って、平和記念公園に入る。慰霊碑にたどり着く頃には、背中に汗がたらたらと流れるのが分かるほど暑い。2日前に平和記念式典が執り行われたばかりなので、慰霊碑の周りはまだ花でいっぱいだった。

慰霊碑の前に立つと、向こうに原爆ドームが見える。みなで手を合わせ、お参り。

報道によると「この1年間に死亡が確認された5221人の名前を記した原爆死没者名簿3冊が慰霊碑に納められた。名簿は91冊、死没者は25万3008人となった。(時事通信社)」そうだ。母の名前を直接目にすることはできないが、名簿に名前を加える申請をした父の所には、広島市長の名の下に、まちがいなく母の名前が記されたことを証する書類が届いた。

原爆手帳を持っている人が亡くなれば自動的に名前が加わるのかと思っていたが、そうではなく、申請をした人だけが名簿に加わる。申請せず亡くなった被爆者の方もきっとあるだろうに・・・そんな思いもわき上がる。

原爆資料館に行って見学。元気だったユイマもだんだんと口数が減り、うっすら涙ぐんでいるような表情をしていた。私も、淡々と当時のことを伝える映像を見ているうちに、胸がいっぱいになってくる。

夜は、市内在住のいとこの家に行き、翌日は伯父伯母(いとこの両親)のお墓参りに行くことに決めた。

9日は朝ゆっくりめの時間にホテルをチェックアウトし、まずは三瀧霊園へ。母の姉にあたる伯母が亡くなったのは6年前。ユイマもわずかに大伯母のことは覚えていた。ジュンコに至っては本当によくしてもらったので、お墓参りができて良かったと思う。古本屋を営んでいた伯父は、ジュンコの成長に合わせて本当にぴったりの絵本をいつも送って下さっていた。そのことも改めてお礼を言う。生きているうちに、お礼を言えなくて本当にごめんなさい。

昨夜のいとこの話だと、三瀧霊園からぐるりとハイキングコースなどもあり、三瀧寺もおもしろい場所だと聞いていたので、言われたとおりに歩いてみると、確かに三瀧寺がおもしろい。真言宗のお寺らしく、奥の院を巡っていくと羅漢さんやお地蔵さん、慰霊の碑たくさん。世界平和の視点から十字架などもあって、なんて懐の深いこと!
秋になると、もみじがとても見事なのだそうだ。夏の暑い日は緑のもみじが私たちを涼しくしてくれる。三瀧の名の通り、三つの瀧があるようで、どこに行っても水の流れる音がして、それもまた涼しさを感じさせてくれる。

空点庵という茶店で一服した後は、比治山公園へ。母からよく比治山の名は聞いていた。この山を越えて女学校に通っていたとか。
比治山公園の展望台から市内を一望したあとは、時間もあることだし、せっかくだからと、市立ひろしま美術館へ行った。チカちゃんの夏休みの宿題の一つに、美術館を見て感想を書くというのがあるらしく、また、絵を勉強しているジュンコも、県立美術館、現代美術館、市立美術館の3つのうち、見るとしたら、市立美術館に行きたいというので。
ジュンコの言うとおり、常設展がすばらしく、また、たまたま開催されていた「山岡コレクション」も興味深く見ることができた。
これも母が巡り合わせてくれたプレゼントだと、嬉しくなる。

はやめに空港に行き、おみやげなど買ったあと、夜のフライトで東京に戻ってきた。

広島の街にはいたるところに慰霊の碑が建っている。でも、いくら建ててもおいつかない、祈っても祈ってもまだ祈り足りない。そんな気がしてくる街だった。



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ぱるた