まろやかな日々
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2005年10月31日(月) 歯医者


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でも、それはもう過去形。
人生初の出来事が、起きてしまいました。
センセイに、「残念だねぇ」と言われながら。

結婚後初めての歯医者でした。
1度、別の歯医者に行ったんだけれど
どうしても合わなくて、レントゲンを撮っただけで
治療も掃除もされぬまま、行くのをやめてしまったの。

最後に掃除したのは、結婚する前。

今日行った歯医者さんは、駅前の
時間の融通が利くところで
ネットのランキングでも上位のところです。

診察を受けて、レントゲン。
説明がとにかく丁寧で、実際に鏡や写真で状況を見せながら
治療方針を詳しく教えてくれました。

今日はとりあえず、左の奥から2番目の歯がC2なので
その治療をして、歯石を全部取ってもらいました。

それから、歯肉炎になっているので
歯磨きをきちんとすること、と言われました。
今なら、まだ間に合うらしいです。
口の中の最近は、約300種類いて
虫歯になりにくい人は
虫歯菌が少ない代わりに歯周病菌が多く
歯周病になりやすいんだって。
そして、まさに私がそれに当てはまるそうです。

それで、歯周病対策の一環として
左上の親知らずを抜くことを勧められました。
残りの3本は、結婚前に抜いてしまっていて
当時のレントゲンでは、左上の歯は生えそうもない角度で
歯茎の中に埋まっていたのに。
今回のレントゲンで、しっかり生えていて
しかも、他の歯よりも伸びているコトが判明したのです。

他の親知らずがないため、必要以上に伸びていて
歯ブラシが歯の裏まで届かず、全然汚れが落ちていない状況でした。
このままだと、そこから歯周病になってしまうし
虫歯になることも考えられるし、顎関節症にもなりうると言われ
そこまで言われたものを残しておく理由も全くなかったので
抜くことにしました。

次の月曜日に抜歯です。

お会計の時に、治療計画書なるものを頂き
そんなのを貰うのは初めてだったので、何だか恐縮してしまいました。
でも、いい歯医者さんが見つかってよかったなと思いました。

ただただ、今は
もっと早くかからなかったコトを悔やむばかりです。

母が、まだ虫歯になったコトがないので
話すと、ますます得意気になっていました。

無念です。。。




あの頃私は。。。
2004年10月31日(日) 前祝

2005年10月30日(日) 本気

何もする気になれなくて
彼に「私、何もしたくない病なんだ」と言ったら
とても心配して、ネットでいろいろ調べてくれました。

うつ病の症状に当てはまるかも・・・ってコトを見つけて
「病院に行く?」と聞いてくれたけれど
一時的なものだと思ったので、もう少し様子を見ることにしました。

彼が、少し考えてから
「家、買おうか」と言いました。
私が最近とても欲しがっているし
そのことに私が希望を見つけて、何もしたくない気持ちから脱出してほしい
と、思ったのかもしれません。

でも、全然興味を持っていなかった彼が
どんな理由にせよ、本気になりつつあることが
とてもうれしかったです。

実際に購入するのは、ずっと先になったとしても
彼と、いろいろなショールームに行ったり
不動産屋さんを回ったりして、勉強しながら夢を膨らませたい。
今の住まいは、もともと彼が1人で住んでいたところなので
新居を選んだりっていうのを経験したことがないのです。

次の引っ越し先を終の住処と思って
値段も内容も妥協しないで、ゆっくり考えていこうと思います。

目標は、2年後。

頑張ろうね。
ありがとう。



あの頃私は。。。
2005年10月29日(土) 再会

昨日、職場のセンパイの家にお呼ばれして
係の人たちと再会しました。

係のみんなや、以前私と組んでいたセンパイや
他の係の仲良しのセンパイから、お見舞いをいただいてしまいました。

こんなに元気になったのに
何だか、申し訳ない気持ちになりました。

とても、楽しいひととき。

みんな、待っていてくれている。
それが伝わって、とてもうれしかったです。

シゴトへの気持ちが遠くなってしまっていたけれど
みんなに逢って、グッと引き寄せられた気がしました。

頑張ろう。
頑張ろう。
きっと、きっと大丈夫。

後は、体力を付けるだけ。
もう少しだから、待っていてね。


あの頃私は。。。
2003年10月29日(水) 悪者
2005年10月28日(金) 順調

今日は、退院後初めての診察がありました。

お腹の傷の確認と
子宮の中の様子の確認。

お腹は、傷テープで気触れがあったものの
「とてもキレイになっている」と言われました。
気触れを治す塗り薬が処方されました。
それから、傷が盛り上がって来る可能性があるので
もうしばらく、紙テープなどで
傷の左右の肉を寄せて留めておくようにと言われました。
これで、傷が1本の線の様になって目立たなくなるそうです。

子宮の中も、とてもいいみたいです。
「カタチも状態も、健康な女性の子宮に戻ったね」
と、言ってくれました。
「3ヶ月くらいは避妊してね」ということです。
そして、次の診察も3ヶ月後。
その時に、妊娠してよいか言ってくれるのだと思います。

その間に、出来ることをやっておこう。
歯医者の予約もしました。
それから、風疹の予防接種。
センセイに聞いたら、「やっておくといいよ」との返事でした。
近くの内科に相談しようと思います。

他にも、出来ることあるかな。
鍼とかも、やってみたいな。
体調を万全にして、春にはきっと笑えるように。


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あの頃私は。。。
2004年10月28日(木) やり切れない
2005年10月27日(木) 記念日デート

昨日、結婚記念日だったから
今日は記念日デートです。

なかなかのハードスケジュール。
病み上がりのクセにね☆

ランチは六本木。
私たちの結婚式のプロデューサーだった人に紹介してもらったお店で。

それから、銀座。
私のピンキーリングをフルオーダー。

そして、東京タワー。
私たちの結婚式のカメラマンに依頼して、記念日撮影。

だんだん疲れて、前屈みになってしまったりしたけれど
彼が気遣ってくれて、とても楽しく過ごせました。

幸せだなぁ。

明日から、また頑張ろうって気持ちになりました。
彼と一緒なら、大丈夫だよね。


あの頃私は。。。
2004年10月27日(水) 目が点
2003年10月27日(月) 予想外の人
2005年10月26日(水) 3周年

0:00になって、今日の日付に変わるのを待って
2人で「おめでとう」を言った。

変わらずに、同じ気持ちのまま
一緒にいられる幸せ。

彼ママからは、お赤飯とケーキを
学校の友だちからは、カードメールをいただいた。
 
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私たちを気にかけてくれる人たちが
確実にいるという幸せ。

昨晩の夜更しが祟って
今朝、寝坊してしまっても
彼が、職場レクのボウリング大会で帰りが遅くなっちゃって
お祝いは明日になってしまっても
今日は特別な日。

これからも、ずっと。

手を繋いでいこうね。



あの頃私は。。。
2004年10月26日(火) 結婚2周年
2003年10月26日(日) 1年
2002年10月26日(土) きぬ@門出
2005年10月25日(火) お互い様

久しぶりに、友だちと2人で逢った。
私が病休になって、2人で逢うことが実現した。

普段は、各々の夫を交えて逢っていた。
家族ぐるみの付き合い。
でも、それが窮屈な時もあった。

彼女が、この日記に過剰に反応し
私がそれを必要以上に嫌がったことで
とても不安定な関係になっていた。
今日は、それを修復するためのもの。
その前に、彼女には私の気持ちをメールで送り
彼女は理解を示してくれていた。
でも、関係を完全に元に戻せるのか
自信があったわけではない。

退院後、1人で運転するのは初めてだったこともあり
ちょっと緊張しながら、彼女を迎えに行き
近くのイタリアンレストランでランチをした。

話をしてみたら
心配事は全くの杞憂だったコトが解った。
彼女の実家で双児が待っているのに、ギリギリまで話し込んだ。

お互いに、苦しいコトがあって
お互いに、悩みがあった。
同じように、話してないコトがあって
お互いに、それでよかった。

それでも、友だちでいられる。

それが解ってよかった。
彼女のある側面は
私にとって、とても羨ましいものであるけれど
彼女にも、私の羨ましい側面がきっとあるのだ。

お互い様なんだよね。



あの頃私は。。。
2003年10月25日(土) 1周年前夜
2002年10月25日(金) きぬ@明日
2005年10月24日(月) 電報

私が結婚する直前に再開した
長野に住む、学校の友だち。

卒業以来だった。

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その友だちが結婚した。
昨日。

とても純粋で
誰からも好かれた友だち。

幸せになってね。

でも、でもね。
・・・前夜に結婚報告をするのはやめて。

バタバタと、電報の手配をしたら
友だちの名前をド忘れし。
本人に聞いちゃったよ。



あの頃私は。。。
2002年10月24日(木) きぬ@またしても。
2005年10月23日(日) バーミックス

もうすぐ、結婚3周年。

私が運転出来るかどうかの確認も兼ねて
彼と結婚3周年記念品を買いに行きました。

最初の年は、DVDで
その次の年は、生ゴミ処理機。
そして、今回はバーミックスです。

これで、料理の腕が上がるといいな♪

それから、私の秋物や
友だちのお見舞いのお礼など、いろいろ歩き回って買っていたら
私の疲れに比例して、どんどん腰が曲がっていく!

急に無理しちゃいけないね。
慌てて帰宅したら、一気に睡魔に襲われて
それから3時間近く昼寝してしまいました。

運転は、問題なかったです。
もしかしたら、立ったり歩いたりしているより
運転している方が、ずっと楽かもしれません。
でも、シートベルトがお腹に当たって痛いので
しばらくは、間にバスタオルを挟むコトになりそう。

とりあえず、運転が出来れば
出歩くのに困らなくなるので、うれしいな。

早く、休みを満喫したいです。



あの頃私は。。。
2004年10月23日(土) うれしかったり、心配だったり
2002年10月23日(水) きぬ@心配事
2005年10月22日(土) 七回忌

私の赤ちゃん。
今日が七回忌だった。

命日・平成11年10月22日
「カ字 芳苑華 千袖(ちしゅう) 嬰子之霊位」

昨日、ただ1日の生きていた日だった。
お供養をお願いしているお寺から連絡があった。

彼は、昨日の朝
「お布施しておいてね」と言って出勤した。
私からは何も言わなかったのに。
彼から、思い出してくれた。

覚えていてくたのは、私だけじゃなかった。
何年経っても、赤ちゃんがいたコトを
解って、覚えていてくれている人がいた。

1人じゃなかった。

そして、これからも
1人じゃなくて、一緒に生きていく。

ねぇ。
今はまだだけれど
赤ちゃん、きっと来てくれるよね。
また、逢いに来てよ。
私、今度こそ絶対に
大切にするから。

それまで、空から見ていてね。
安らかに。。。




あの頃私は。。。
2004年10月22日(金) 依頼
2002年10月22日(火) きぬ@1枚だけ。
2005年10月21日(金) ローレル

月曜日に、貰ったトマトでトマトソースを作って
翌日、そのソースでパスタを
その次の日の朝はリゾットを作りました。
時間をかけてトマトソースを作ったりって
仕事している時は全然出来なかったことです。

彼にも大好評で
パスタを食べながら、「これ、どうやって作ったの?」
って、聞かれた時のコト。

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・・・いや、ローリエだってば。
とっても恥ずかしかったです。
でも、彼が大爆笑してくれたからいっか。

そんなに家事は得意じゃないけど、余裕を持って出来る今が
今だけだと解っているからこそ、とても愛おしく感じます。
余裕があるからか、顔つきも変わってきた気がするの。
入院前は、シゴトに追い詰められて
顔つきがキツクなっていたというかね。

思えば、「明日のご飯は、こういうのやってみようかな〜」とか
夫と話ながら、楽しく食卓を囲むことが出来たのは
結婚したての数カ月だけだったかもしれない。
本当に守るべきなのは、こういうことだったんだよなぁって改めて思いました。
彼は何も言わないけれど、とてもうれしそうにしていたし。

思いきって、彼に聞いてみたら
やっぱり、家で「おかえり〜」ってしてくれた方がうれしい
って、言っていました。

どうしよう。
そんなことを言われたら
ますますシゴトから気持ちが離れてしまいそうです。


あの頃私は。。。
2004年10月21日(木) 千袖
2003年10月21日(火) 献杯
2002年10月21日(月) きぬ@同居人
2005年10月20日(木) 心理学

自分のココロを助けたい。

どん底までに沈み込むココロ。

どうすれば、助けるコトが出来るだろう。
何か、きっかけを求めて
ネットの海を彷徨った。

そして、ここを見つけた。

その中の、カウンセラーの方のコラムを読んで
涙が止まらなくなった。

言葉にするコトの出来なかった感情を
ピタッと言い当てられたような気がした。

その人は、不妊治療の後に
シゴトを辞め、一から心理学を勉強してカウンセラーになったそうで
私の中に、「心理学」というものが一気にクローズアップされた。

心理学。
高校の時、興味があったものの
大学受験に失敗して、近づくコトが出来なかった学問。

ココロを勉強し、ココロを知ること。
それが、ココロを助けるきっかけになるような気がした。

大学の通信で、勉強してみようかな。

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「どうして大学じゃないといけないの?
 だいたい4年も続けられるの???」
と言われて、言い返すコトが出来なかった。
完全に、私の負け。
だって、自信がないんだもの。

でも、やってみたいな。
忘れようとするんじゃなくて、気を逸らそうとするんじゃなくて
凹んでも、それでいいんだって思いたいんだよ。
誰かの言葉じゃ納得出来ないんだよ。
最初から、きちんと納得して
許してあげたいんだよ。

でも、まだ
「絶対大丈夫」とは言い切れない
弱い自分。


あの頃私は。。。
2004年10月20日(水) さりげないこと
2002年10月20日(日) きぬ@彼のつぶやき
2005年10月19日(水) 子宮

生理が始まった。

一昨日くらいから、微妙に出血があったんだけれどね。

前回の生理から、ほぼいつも通りの周期だった。

子宮って、健気だなぁ。

早く、そのベッドに赤ちゃんが来てくれるように
頑張るからね。


あの頃私は。。。
2003年10月19日(日) 孫の日
2002年10月19日(土) きぬ@そのまま
2005年10月18日(火) お金

体外受精の費用をどうするか。

それは、どこまで治療を頑張るのかに繋がっていく。
どんなに気持ちがあっても、借金してまで治療を続けることはできないから。

でも、各地方自治体で助成制度が設けられている。
彼は、私が「お金がないのに」って泣いた時
「助成制度があるから平気だよ」って言っていた。
それで、私たちが暮らす自治体で
どれだけ助成してくれるか調べてみた。

そして、解ってしまった。

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たぶん、彼も知らないんだろうな。
それでも、いいって言ってくれるかな。

ごめんね。

・・・と、思っていたら。

彼に話してみると
「それって、収入と所得の間違いでしょ」
と、あっさり言われました。

すっかりダメだと思っていたけれど
お金のシゴトをしていたくせに、初歩的な間違いを。。。
恥ずかしい☆

でも、大丈夫みたいです。
よかった♪



あの頃私は。。。
2003年10月18日(土) 思いも掛けないプレゼント
2002年10月18日(金) きぬ@お祝い
2005年10月17日(月) 10/17のメール

おはよう。
体調はどうですか?
私は、土曜日の夜に自宅に帰ってきました。
昨日は夫とのんびり過ごして
今日から主婦生活スタートです。
といっても、まだ本調子ではないのでちょっとずつなんだけどね。
無理せず、休み休み掃除でもしようかな♪
貴女も無理は禁物よ。

シゴトを辞めて、子どもだけの生活になること。
それを否定しているわけではないの。
私が、自信ないだけなの。
夫と楽しく話をするために必要な「聞く力」「話す力」。
子どもだけの生活になっても、いろんなところにアンテナを張り巡らせて
聞く力・話す力を維持していけるか。
何を話しても「子ども」になってしまわないか。
子どもの話しか出来ない、単調でつまらない人間になってしまわないか。

いつだか、私の結婚が決まった時に
「あんた変わったよ」って、貴女たちに言われたコトがあったよね。
すごく浮かれていた時だった。
辛かった日々があったからこそ手に入れた幸せがうれしくて
みんな解ってくれるって思い込んでた。
みんな、各々の大変さを抱えている中で祝ってくれてるのにね。

同級生が次々と子持ちになっていき、お祝いしたい気持ちはいっぱいあるのに
苦しくてやり切れない気持ちになったこと、何度もあった。
子どもがいても変わらずに話せる友だちって、とても少ない。
それだけになってしまって、せっかく久しぶりに逢っても会話が成り立たない窮屈さ。
シゴトを辞めることで、そういう自分に近づいてしまいそうで怖い。

でもそれは、シゴトじゃなくても構わないんだよ。
新聞とか、外の世界に興味を持ち続けることが出来ればそれでいいの。
あと1年のうちに、それを身に付けたい。
妊娠出来るのは、来年の4月から。
それから1年。もし妊娠も出来ず
シゴトにも希望を見出せなかった時は、もう辞めようって思う。

なんとなく予感していたんだ。
手術を受けても妊娠出来ないんじゃないかって。
それを聞いた時、やっぱり・・・って思ったと同時に
空しさでいっぱいになった。
これでも、前に進んでいるのかなぁ。
家族や職場に負担をかけているのに
ただ、もがいているだけで進めてないんじゃないかって思うよ。

夫と、家を買うために溜めていたお金を
ゴールの見えない不妊治療や体外受精のために使う。
夫は、それでいいって言うけど
本当にいいのかな。。。
私と一緒にならなければ、夫はこんな目に遭うこともなかった。
でも、諦め切れないよ。
夫との生活、そしてその先にあるハズの子どもと一緒の生活。
それを求めるのは我がままなんかじゃないよね?
もう少し、頑張ってもいいよね?


あの頃私は。。。
2002年10月17日(木) きぬ@誤字
2005年10月15日(土) 帰宅

彼が、休日出勤のあと迎えに来てくれて
夜、やっと家に帰ることが出来ました。

帰りたくて仕方がなかった。

結婚してから、年越しの時くらいしか
泊まったことのない、実家。

居心地はいいんだけれど
でもやっぱり、自分の家とは違う。

食器の場所が変わっていたり、使い慣れていないシャンプーが
この家に住んでいない日々の長さを物語る。

小さくて散らかっているけれど
彼がいて、大好きなもので一杯のこのアパートこそが
私の家。

まだ、本調子ではないけれど
元気で、帰ってこれてよかった。
本当に、そう思う。

あの頃私は。。。
2002年10月15日(火) きぬ@ウェルカムボード
2005年10月14日(金) 編み物

昨日、寝る間際
友だちとメールしていた時に、「ヒマ〜」って送ったら
「じゃあ、編み物でもすれば?」って、返事が帰ってきたの。

そのコトを彼に話すと
「俺、編んでもらったコトない。。。」と、言うので
マフラーを編むことにしました。

私が昨日、彼のGパンを直そうとしてミシンの針を折ってしまったので
母が手芸屋さんに買いに行くと言っていて
そのついでに、毛糸や編み針を買ってきてもらうようにお願いしました。
クルマがなかったので、一緒に行けなかったのです。

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譲ってってお願いしたのに、拒否されたのでした。ケチ☆

彼が、母の見立てた毛糸を気に入ってくれたので
あとは私が編むだけです。

夢中になって編んでいたら、3分の1まで編めたのですが
そのあと、手首が痛い!

馴れないことは、少しずつだよね。
どんなことでも無理はいけないんだね。

でも、早く彼にプレゼントしたいからさ。
よろこんでくれるといいな♪



あの頃私は。。。
2002年10月14日(月) きぬ@買い出し
2005年10月12日(水) 無念

もう、何ヶ月も前からチケットを取って
彼と一緒に、ずっと心待ちにしていたショーがありました。

リバーダンス。

今日でした。
退院した次の日では、往復の移動に耐えられるはずもありません。

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これじゃあ、おばあさんだよ。。。
歩くのも、とてもゆっくりだし。

それでも、外泊中は
彼と一緒に、ご飯を食べに行ったりしたんだけれど。

センセイには、退院の時に
そのうち、普通に歩けるようになるよって言われているんだけれど。

ホントか???

仕方がないので
チケットは、後輩にあげてしまいました。
楽しんだようでよかった。

でも、1枚12,000円のチケット。
うぅ、無念。。。

また、来日してくれるといいな。
その時は絶対に観に行くんだ!



あの頃私は。。。
2003年10月12日(日) 記憶
2002年10月12日(土) きぬ@打ち合わせ(5)
2005年10月11日(火) 退院

無事、退院しました。

最後の診察は、ちょっとバタバタしたけれど
防水テープとガーゼも取ってもらって
傷テープだけになりました。

一部、傷が見えるので
ちょっと怖いけれど、順調みたいです。
このまま、シャワーに入れるんだって。

次の診察は、2週間後
28日になりました。

彼が、職場に無理を言って時間休をもらい
私を迎えに来て、実家まで送ってくれました。

しばらくは、実家で療養します。

実家に向かうクルマの中で、私の職場に電話して
退院したことを報告すると
みんな、とてもよろこんでくれました。
待っていてくれてるんだなって思うと、うれしかったです。


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あの頃私は。。。
2002年10月11日(金) きぬ@キス魔
2005年10月10日(月) 正直な気持ち

おはよう
明日が退院予定なのですが、外泊で家にいます。いろいろご心配お掛けしました。
先日お邪魔した時は慌ただしく帰ってごめんね。
結局、家で薬飲んでも胃痛は治まらず参ったよ。

入院のことは、敢えて何も言わないでいてくれてると思っていたので
ビックリしました。それに、貴女の夫君が恐い顔で言うからさー(-_-;)
いろいろと気にしてくれてありがとね。
でも、そっとしておいてほしかったです。本当はね。
まろが「友達なんだから、放っとけるわけないよ」と言うので
そのとおりなのかなぁと思うけど。

あの日も実は、まろに無理して会うことないって言われていたの。
帰り道で苦しむ私を見て、やっぱり行かせなきゃよかったって言ってた。
立っているのがやっとの精神状態なので、自分でも何が痛いか判らないし
痛みを避けて歩けないの。まともに当たって傷付いちゃうんだよね。

でも、それでも会い続けるのは
関係が切れたらそれっきりになってしまう気がするから。
大好きで逢いたいのに、怖くて会えないなんてことになったら不幸だから。
痛みから逃げてしまった後、久しぶりに逢った時に
どれだけ幸せか、最愛の夫や子どもに囲まれてどれほど満ち足りているか
見せつけられたら、ココロから喜べる自信がない。
その頃、私がどうなっているかも解らないのに。
だから今、目を逸らしたくないんだよ。

確かに、その度にココロの葛藤が有るかもしれないけれど。。。
でも、今は葛藤があってもちゃんと吐き出せているから。まろもいるし。
ただ、何度も言うようですが、日記に書いてあることで
実際には言ってないことに対して反応するのは止めてほしいの。
ほっといてほしいんです。
入院のコトも、言ってなかった。こっそり入院したかったんです。
こういうふうに、見られていることを意識させられるコトが繰り返されているので
本気で、もう書くのを辞めようかとも考えています。
でも、あそこは私のココロの拠り所。
書いてバランスを取っているところがあるの。だから、取り上げないで。
貴女の判断に任せるけれど、どうしても言わずにいられないなら
もう見ないということも含めて考えてほしいです。どうか、よろしくお願いします。

私は、話すかどうかの判断基準に「仲のよさ」っていうのがないの。
例えば、仲が良くても夫に言えないことがあるように(私は違うけど)
親にも言えないことが有るように。仲が良くても言えないことが有ると思う。
貴女も、自分の治療の全てを私に話したわけじゃないでしょ?
でも、だからといって友だちじゃないってコトではないよね。
心配させたくなくて言えなかった、とか
言っても解らないだろう、とか
言うことで惨めな気持ちになるから話したくなかったってのもあるかもしれない。
それでいいんだと思うの。責めるつもりは全然ないよ。
だから、私が何も言わなくても
貴女が大好きな友だちであることは変わらないからね。
いつか、私が立ち直って気分がいい時に話してくれるだろうなって
のんきに待っていてください。

明日、退院したら姑くは実家にいることにしました。
まだ、まっすぐ立てないの。前かがみになっちゃって。
だから、貴女が出産後すぐご飯を食べに行ったのを思い出して
すごいなぁって改めて思っちゃった。
無理に連れ出して実は辛かったかな?ごめんね。
自分で体験しないと解らないことばっかりだよ。
今回、こうやって一方的にハッキリ言わせてもらったけれど
貴女も何かあってここぞ!って時は遠慮なく言ってね。
これからも仲良くしてね。
逢うのは、月末になりそうです。
それでは、また。



あの頃私は。。。
2002年10月10日(木) きぬ@怒られちゃった
2005年10月09日(日) 他言無用

昨日、お見舞いの件で
どうしても言いたいコトがあって、メールを送りました。

彼女に話した人は、もう解っていました。

その人も、とても大切な人でした。
その人には、嘘がつけないというか
隠し事が出来ないようなオーラがあるのです。
中途半端に誤魔化すことは出来なかった。
だから、「他言無用ね」と前置きした上で話していたのです。

でも、話してしまっていた。
それくらい、軽いことなのかなって思った。
生死に関わることじゃないから?
私は、その人の言葉に
すごく励まされていたのに。

お見舞いをお断りしようと決めた時から
このことをきちんと伝えるべきか、すごく悩みました。
でも私は、大切な人だからこそ根に持ったりしたくなくて
嫌なことを嫌って言うのも親しい仲には必要だと思ったから、話すことにしました。

その人からは、すぐに返事が来て
自分よりも親しくしているからという
その人の判断で、話をしていたのだというコトが解りました。

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結婚を言いふらされる時に必ず言い訳する
「おめでたいコトだからいいでしょ」とか、大嫌いです。

親しいかどうかだけで全てを話すってのは、私の場合はないし
あったとしても、その親しさは周りが測るものではなく
本人が判断すること。
親しいからこそ、いつも逢っていないのならば心配させたくないって思います。

それに、どんなことでも
本人から聞くのが一番うれしくない?
人づてに聞くことに寂しさを感じるのは、私だけかしら。
だから、本人から聞くであろうことは言わないようにしているし
本人が言ってくれるまで待っていようって思うんだけれど。

みんなは、そうじゃないのかな。。。

どちらにしても、今となっては仕方ありません。
今回、お見舞いをお断りしたことが
モノを申したことが
今後、彼女や
その人との関係に影響しないよう、努めるだけです。

お互い良い顔の時に逢えるといいな。
無理無理じゃない時にね。
その頃には、きっと私も吹っ切れるようにするからさ。



あの頃私は。。。
2005年10月08日(土) お見舞い

彼が、術後説明の内容を私に話してくれた日
もう1つ話したことがありました。

「昨日(10/3)、家に電話があって
 手術のことを聞いたらしくて、お見舞いに行きたいって言われたんだよ。
 いいよって言っちゃったけれど、いけなかったかな?」

家に電話をしてきた友だちは
とても仲がよかったけれど、私が言わずにおこうと決めていた人でした。
仲はよかったけれど、頻繁に逢っているわけではないから
心配させたくなくて、敢えて言わないでおこうと決めていた人でした。

彼から話を聞いた時は、そのことよりも
自然妊娠出来ないかも・・・、ということにショックを受けていたので
別に何も考えずに受け入れていたのです。

でも、次の日
まだ夜が明ける前から目が冴えてしまって
ぼんやりと天井を見つめながら考えていたら
やっぱり、どうしても苦しい気持ちで一杯になってしまって
こんな気持ちじゃ会えないと思ったの。

久しぶりに逢う人に「大丈夫?」って聞かれて
身体は大丈夫でも、ココロは全然大丈夫ではないのに
平気なフリをしなきゃいけない自分。
想像するだけで胸が苦しくなりました。
そういう苦しさを出来るだけ味わうことのないように
だから、何も知らないでいてほしかったのに。

お見舞いは、お断りしようと決めました。
自分のココロは自分で守らないといけない。
とても早い時間だったけれど、こっそり彼にメールして
お断りしてくれるよう、お願いしました。

ワガママだって言われても
今はもがき続ける時。
自分のココロを助けるためには
どうすればいいのか
必死に考えて実行する時。

それで、いいよね。

自分を助けたい。



あの頃私は。。。
2002年10月08日(火) きぬ@ヴェール
2005年10月07日(金) 外泊

朝から、帰りたくて帰りたくて
看護士さんや、センセイに逢う度に
「外泊は・・・」って言っていました。

本当は、母が来る頃に出られればよかったの。

でも、夕方の診察後に外泊という話だったので
午前中に、久しぶりのシャワーを浴びました。

なんと気持ちのいいこと。

お腹は、防水テープが貼ってあったのですが
ちょっとドキドキしながら、とてもうれしかった。

帰りたいって、それだけのために
元気になってきたのがうれしかった。

これからのコトも
赤ちゃんのコトも
シゴトのコトも
何も考えずに。

何も考えなければ・・・
もっと単純に、シンプルに生きていけたら
どんなにいいだろう。

彼との生活に喜びを見い出し
今ここに生きているコトだけに幸せを感じることが出来たら。

でも、不幸なことに
私はそれだけじゃ生きられない。

だから、頑張るしかないんだって思う。

結局、夕方の診察もナシになって
彼の迎えを待って、外泊になりました。

再入院は、月曜日の夜です。


あの頃私は。。。
2004年10月07日(木) 最低
2002年10月07日(月) きぬ@搬入
2005年10月06日(木) 10/4〜10/6 覚え書き

<10/4>

  05:30  傷が痛み出す
  06:00  痛み止めを飲む(ロキソニン)
  10:00  歯を磨き、身体を拭いてもらって点滴しながら歩く
        トイレで尿導カテーテルを抜く
  12:00  昼食
  15:00  彼ママ&母が来院(16:00頃帰宅)
  16:30  痛み止めを飲む
  18:00  彼が来院
        夕食
  19:00  ガーゼ交換
  19:30  彼が帰宅
  21:00  消灯
  21:30  痛み止めを飲む

 他人とは、あまり逢う気になれない。
 癒着が起きないように、とにかく歩くのがいいらしい。
 点滴を引きずりながら、看護学生さんに付き添ってもらって歩いた。
 でも、すぐに疲れてしまう。


<10/5>
 
  06:00  起床
  07:00  ガーゼ交換
  07:30  朝食
  08:15  診察・背中の麻酔を抜く
        出血が続いているが、それはいいことらしい。
  10:30  痛み止めを飲む
  12:00  昼食(半分残す)
  13:00  初ぶー
  15:00  彼パパ・彼ママ・母が来院
  17:50  彼が来院
  18:00  夕食
  18:30  妹が来院
  20:15  点滴終了(今日は5本だった。これで今後はなし)
        ガーゼ交換
  21:00  消灯

 友だちの面会を断ってもらうよう、彼にお願いした。
 お腹の管を、今日外す予定だったみたいだが
 体液がたくさん出ているので明日になってしまった。
 同じ手術日の人は、もう抜いてもらっている。いいなぁ。。。


<10/6>

 昨晩から咳が止まらなくなってきた。
 3:00過ぎからは、眠れそうになると咳が出て結局眠れなかった。
 咳をすると傷に響いてとても苦しい。
 朝、看護士さんに言ってマスクをもらった。

 今日から普通食になった。いえ〜。
 食堂での食事も再開。

 お通じがあった。何と6回も!
 まだ、腸の調子が整わずゴロゴロと激しく動き音がする。
 でも、それは通常のことらしい。

  15:00  彼ママ&母が来院
  17:00  彼が来院
  17:15  お腹の管を取る
  18:30  妹が来院

 やっと、お腹の管を取ってもらった。明日からシャワー可。
 でも、昨日取ってもらった人たちは今日からシャワー。
 頭が痒い。。。早く頭を洗いたいよ〜。

 あまりに咳が止まらず苦しいので、夕方に薬をもらいたいと 
 看護士さんに訴えたら、トローチを処方された。
 1日4個まで服用してよいとのこと。
 19:00と20:30に服用。

 1日を過ごすのが、暇で苦痛になってきた。
 通りかかったセンセイに聞いてみると、連休中に外泊出来るとのこと。
 明日、訴えてみよう!早く帰りたいよ〜。


  

あの頃私は。。。
2004年10月06日(水) バカだな。・・・くっ☆
2002年10月06日(日) きぬ@レンタサイクル
2005年10月05日(水) 授かった生命

主治医の診察が、処置室で行なわれました。

背中に入ったままだった、麻酔の管を抜いた後に
診察台で、子宮の経過を診てもらいました。

出血は、まだ続いていて
そんな中、診察台に乗るのは嫌だったけれど仕方がありません。
Nセンセイは、出血の様子を診て
「それくらいなら心配いらないよ」と言いました。

そしてエコーを診て
「ホントに綺麗になっているよ。よかったね」
って、ココロからうれしそうに言ってくれたのが印象的でした。

私が「卵管が通ってなかったって聞いたんですけど」
って、言うと
「もう少し落ち着いてから話そうと思っていたんだけれど」
と言った後に、こう続けました。

「一度妊娠したって聞いているし
 そんなに時間かけてやってわけじゃないから、決まったわけじゃないんだよ。
 ただ、妊娠出来るようになる少し前に
 体外受精も出来る病院で検査を受けた方がいいってだけで。
 それにね。

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 他の動物みたいに、食物連鎖に則って生きているわけじゃないんだから。
 アプローチが違うだけで、授かった生命っていうことは変わらないんだよ」

そっか。
そうだね。
何だか、ちょっと安心しました。

私には、ベビーが来てくれるだけで奇跡なんだもんね。
もう少し、頑張ってもいいんだよね。

そうだよね。




あの頃私は。。。
2002年10月05日(土) きぬ@独身最後の。
2005年10月04日(火) 予感

なんとなく、予感していた。
手術をしても、それが全ての解決にはならないだろうと。
妊娠することは、難しいだろうと。

そういう予感に限って、もれなく的中するのはどうしてだろう。
だからといって、ショックを受けないわけではない。
予感があったからこそ、それを打ち消したくて
より強く、期待してしまうものなのだ。
そして、深く傷つく。
思い出す度に、涙が止まらなくなる程に。

彼が来て、夕食を取った後
「言おうかどうしようか、すごく迷ったんだけれど・・・」
と、彼から切り出した。

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私は、「ああ、そう・・・」とだけ答えた。
必要以上に、落ち着いていた。
「でもセンセイが、あまり気にすることないって言っていたよ。
 妊娠は半年しないとダメだけど、その前にもう一度よく調べた方がいいって。
 角度がよくなかっただけかもしれないからって」
と言う彼の言葉にも、普通に応じていた。

そっかぁ。ダメなのか。
やっぱり。。。

消灯時間になって、ぼんやりと考えていたら
涙が溢れてきた。
拭っても拭っても止まらなくて
天井を見つめて、黙って泣いていた。

傷が疼く。
何のための傷なんだろう。
どうすれば、許してもらえるんだろう。

自分の力では、妊娠することが出来ないなんて。

希望を見失ってしまいそうだよ。



あの頃私は。。。
2002年10月04日(金) きぬ@徹夜
2005年10月03日(月) 生還

手術の日でした。

・・・生きています。

心配してくれた人たち、みんなありがとう。


  05:30  起床
  08:00  昨日の下剤が効き始める
  09:00  浣腸
  10:00  家族が来る
       (彼・彼ママ・両親・妹)
  12:15  オペ室へ移動
  12:30  オペ(15:00まで)
  15:20  ナースステーションの後ろの部屋に移動
  15:30  家族帰宅
       (その前に、彼と母に術後説明があったらしい)


その後、18:00までは30分置き
それ以降は4時間置きに体温と血圧測定がありました。

全身麻酔の影響で身体が冷えきっていたらしく
電気毛布などで身体を暖めていました。
オペ後、彼が来た時に握手をしたのですが
彼曰く、ありえないくらい冷たかったそうです。
でも、その後38度まで発熱したので
身体を暖めつつ、氷枕をしました。

お腹の管から、体液がドンドン出てきて
ガーゼを2回取り替えてもらいました。
腹帯まで汚れてしまいました。
下からも、出血があり
尿取りパットを当てていました。
しばらく、出血は続くみたいです。

ちなみに

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早く、元気になりたいな。
でも、焦りは禁物です。


あの頃私は。。。
2004年10月03日(日) 相性
2002年10月03日(木) きぬ@席次表
2005年10月02日(日) 手術前日

外泊は、今日の朝まで。
10:00には、病院に戻らないといけません。

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なので、彼ママ&彼パパに送ってもらいました。
彼ママ曰く、「一生恨んでいい」そうです☆


  09:20  再入院
  11:00  オリーブ油(医療用)で、ヘソ掃除
  12:00  昼食
  13:20  妹が来院(14:30まで)
  14:45  シャワー&梯毛
  16:00  彼が来院(19:30まで)
  17:00  散歩
  21:00  消灯
        下剤(朝から効く)&睡眠補助剤を服用

 10月になったからか、掛け布団が暑くなっていた。
 それで暑かったのか、明日のコトを考えて緊張しているのか
 あまり眠れなかった。眠るのに22:00過ぎまでかかった。


明日。
明日になったら。
きっとキレイな私になってる。
信じてる。




あの頃私は。。。
2002年10月02日(水) きぬ@開通
2005年10月01日(土) 大失態

今日は、彼の友だちの結婚式で
彼は二次会から出席することになっていました。

招待状に「平服で」と書いてあったからと
Gパンで行く気だったのを、どうにか思いとどまらせてスーツを着せ
会場は、思いのほか近かったので
お酒を飲みたいからと、自転車で向かった彼を送り出したのは
開宴の45分前でした。

10分くらいしたところで、彼から電話が。
「自転車がパンクしたから迎えにきて、会場まで送って」
近くのコンビニで待っていると言うのです。

慌てて家を飛び出して、クルマを走らせました。
夕方のこの時間は、道路が混んでいるのは目に見えているのです。
間に合わないコトは明白でした。
なのに、クルマに乗り込んだ彼は
いたって暢気。
自分が出席するわけでもないのに、焦っている私がバカみたい。

どうにか、開宴後15分で到着し
私は、帰って実家で食事をしました。
そして、自宅の駐車場に着いた時
彼から「迎えに来て」と連絡が入りました。

夜の道路は、とても空いていて
15分で会場に着くことが出来ました。
そこに現われた彼は、とても酔っていて
しかも、友だちを2人連れていました。
その人たちを送るのは、全然問題なかった。

でも、そこから悲劇が。。。

走り出して、20分くらいして
我が家の近くを通り過ぎた頃、彼が突然「クルマ停めてくれ!」と言ったのです。

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ひえぇ〜!やめて〜!!!
程なくして、信号は青になってしまいました。
クルマを信号の先に停めながら、心底後悔。
・・・自宅に置いてくればよかった。。。

そして、2人を無事送って自宅に帰り
眠りについた真夜中。
この世のモノとは思えない、うなり声みたいな音に
目が醒めました。

時計は4:00少し前。
横を見ると、彼がいない。
まさか、急性アル中とか?

慌てて見に行くと、彼がトイレに顔を突っ込んでいました。
「キモチワルイから、わざとやってるの」

・・・。
無事ならいいよ。
でもさ。
私、明日からまた入院なんですけど。
明日、大丈夫なの?

入院して、彼を1人にしていいのかな。
ちょっと心配です。



あの頃私は。。。
2004年10月01日(金) 害のない人
2002年10月01日(火) きぬ@異動

華泉 |MAIL
まろの気まぐれ日記
まろ様へ
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