まろやかな日々
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2005年09月30日(金) 手術準備

入院2日目。準備は着々と進んでいきます。
特に、手術室看護士さんの説明で
手術の流れが、なんとなくイメージ出来ました。
そして、麻酔や輸血などの同意書にも署名をしました。


  06:00  起床
 
 朝食までが、けっこう長く感じる。
 夜中に目覚めることはないけれど、6:00前には目が覚める。
 気が張っているのかな。。。
 これから、散歩がてら彼に電話しようと思う。

  07:30  朝食
  08:00  Nセンセイが来た
  08:30  医長回診(4人で)
  09:10  ネプライザー(加湿器)の練習
 
 チューブを銜えて、口で息を吸い鼻から吐くの繰り返し。
 それでノドを潤し、痰を出やすくするらしい。

  10:00  シーツ交換
  11:00  手術室看護士の説明

 看護士さんは、手術の時の患者の格好で現われた。
 写真を見せながら、詳しく説明してくれた。
 1.朝から絶食・絶飲で、必要な水分などを点滴で補給する。
 2.ストレッチャーは、病室→手術室と
  手術室→手術台と2回乗るコトになる。
 3.背中に、痛み止めの麻酔のための管を入れる。
 4.それから、点滴で全身麻酔をかける。
 5.麻酔の効きを確かめるために、意識があるうちは返事をする。
 6.眠ってから、呼吸と尿の管を入れる。
 7.手術後は、まもなく全身麻酔が切れるので
  声が聞こえたら、深呼吸をすること。
 
  12:00  昼食  
  16:00  麻酔医の説明

 背中の麻酔は、管を入れる前に痛み止めの注射を背中に打つ。
 横を向いて、おへそを見るように丸まって受けること。
 管はビニールのように柔らかくて細く、違和感はほとんど感じない。 

  17:00  担当医師の診察(Nセンセイ・Eセンセイ)

 主治医に診てもらうのは初めてだった。
 「そんなに大きくないんだけれど、位置がね〜」と言っていた。
 それが、この試練を難しくしている。

  18:10  彼の来院を待って外泊(10/2の10:00まで)
  
 看護士さんに、看護学生の実習が10/3・4・6・11・12にあって
 私に付けたいと依頼された。
 回復の補助とか、血圧測ったりするらしい。
 話し相手にもなりそうだから、いいかな。
 そういう積み重ねで、いい看護士さんになるんだもんね。



あの頃私は。。。
2003年09月30日(火) 心ない居住者
2002年09月30日(月) きぬ@検査

2005年09月29日(木) 入院

入院しました。
不安もあるけれど、この先は光であることを信じて頑張ってきます。


  10:00   手術説明
  11:20   入院説明
  12:00   昼食
  14:00   検温・血圧測定
  15:00   彼が来院
  17:30   散歩
  18:00   夕食
  19:30   彼が帰宅
  21:00   消灯


手術説明の時に、私の主治医のセンセイと初体面しました。
女性のNセンセイという方です。
若くて、スラッとしていて
物事をハッキリと言うセンセイでした。
部屋に案内される前に、そのセンセイから手術説明を受けました。


 今回摘出する筋腫は「粘膜下筋腫」という、一番子宮内膜に近く
 妊娠にも影響の出やすい箇所の筋腫である。

 筋腫は良性であれば、摘出することもなく治療することも出来るが
 どの治療も、抜本的に解決するものではない。
 今後、妊娠を希望しているということもあるので
 摘出することで、より妊娠時に望ましい子宮に近付けるというのが
 今回の手術の目的である。

 従って、子宮全摘出ではなく筋腫核出となるが
 子宮内膜のギリギリのところを取り出すため
 安全で、より確実な開腹手術で行なう。
 しかし、他の手術に比べて困難な手術になってしまうことは否めない。
 手術は慎重に行なうが、万が一の場合には子宮全摘出になってしまう場合もある。

 摘出の際、内膜と筋腫の境目をハッキリさせるために青い水を流すが
 これは最終的には欠陥に取り込まれ、尿になって出ていってしまう。
 この水を用いて、卵管が通っているかも確認する予定である。

 傷口は、出来るだけ癒着しないよう
 癒着防止シート(最後には溶けて尿になる)を入れ
 野球ボールのように細かく縫っていく。
 表面の傷についても、傷が残らないように傷テープを用い
 ホッチキスなどで縫合することはしない。

 手術後、半年経てば妊娠してもよいが
 その時は、他の人よりも内膜がかなり弱っているので
 必ず帝王切開で出産してほしい。
 無理に自然分娩にして、子宮が破裂した場合
 母子が生存する確率は極めて低い。
 また、その時のことを考慮し縦に開腹する。

 この病院では、不妊治療・分娩には対応していないので
 治療や分娩の際に必要な情報は、依頼があれば全て提供する。


センセイに「何か質問はありますか?」と聞かれて
1つ質問しました。
「お腹は、何cm切るんですか?」

センセイは答えました。

←エンピツ投票ボタン

数cm少なく切って、中がよく見えなくて
安全に処置出来ないということになっては困りますから」

かっこいい!
そういう思い切りのよさが、適確で安全な手術には必須なんだって思いました。

母は、思いのほか内容が深刻だったので
ビックリしていたみたいでした。

私は、今まで外来で診てもらっていた医長が執刀すると思っていたのですが
そのセンセイは、あまり好きではなかったので
率直なNセンセイを信じて、任せようと思いました。

もう入院しちゃったんだから、今さら逃げることも出来ないのだけれど。

こうなったら、何もかも楽しんでしまおう!
とりあえず、写真。
毎食撮るようにカメラを用意してきたの。

今日、入院した他の人たち
4人部屋で相部屋の人たちとも、早く仲良くなれるといいな。

頑張るぞ〜。




あの頃私は。。。
2002年09月29日(日) きぬ@打ち合わせ(4)
2005年09月28日(水) とある掲示板にて

みなさん、ご無沙汰です。きぬぞうです。
いつもいつも凹む度に励ましてくれてありがとう。
実は、今度の木曜に入院することになったのでご報告です。
子宮筋腫の摘出なの。
前にもここでいろいろと相談させてもらったけど
思いきって取ることにしました。

すご〜く悩んだよ。
初診の医者に「筋腫で不妊だからすぐ取れ」って言われたのがショックで
別な病院に移って半年。
タイミングで半年頑張ったけど上手く行きそうな気配がなくて
もし筋腫でダメなのならいつまでもタイミングしてても意味ないから
ちゃんと検査したいって言って大学病院に転院することにしたの。
MRIで見た私の子宮は筋腫に潰されてて赤ちゃんが住む隙間は全然なかった。
それで、あ〜取った方がいいんだろうなって漠然と思ったの。
でも、症状はないし、それで妊娠出来るか解らないし
妊娠しても帝王切開になるっていわれて不安になったんだ。
だって、筋腫があっても妊娠する人いっぱいいるでしょ?
どうして自分はオペが必要なのか
ハッキリとした答えを見つけたくてセカンドオピニオンも受けたんだよ。
結局、どんなカタチであれ赤ちゃんに逢いたいからオペすることにした。
自分なりの近道なんだって思っているんだ。

シゴトは、1ヶ月半休むことになったけど
かなり行き詰まっていたから、リフレッシュ休暇だと思うことにしました。
子宮筋腫では死なないから大丈夫だよってよく言われるけど、生死が不安なんじゃなくて
これから先、この頑張りが報われるような
明るい未来が待っているのかどうかが不安なんだよ。
これを乗り越えた向こうで、きっと赤ちゃんは待っていてくれるよね。
みんなに大丈夫だよって言ってほしいです。

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NO.14126  私も応援してるよ

きぬぞう おひさしぶり
私も最近忙しくてなかなか来れなかったけど
ずっときぬぞうのこと気になってたんだ
そうかぁ、とうとう手術受けるんだね
治療したくてもできなくて、そしてすごくすごく悩んでたけど、
大きな大きな一歩を踏み出したんだね
”赤ちゃんを迎えるために”って決断したんだもの
心も体もリフレッシュしたきぬぞうには、
きっと神様がとびっきりかわいい赤ちゃんを
授けてくれるって信じてるよ
手術が無事に終わって元気に帰って来てくれるのを楽しみに待ってるからね

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NO.14122  Re[1]: 入院することになりました。

きぬぞう☆本当に頑張ってるね。
忙しくてなかなかばぶれずにいたのだけど
久しぶりにお邪魔したらそこに頑張ってるきぬぞうがいて心にずーんって響いたよ。
オペする事を決心するまでにも
本当に色々な気持ちになったり辛いこともあったでしょう。
先のことを考えると不安に押しつぶされてしまいそうになる事もあるでしょう。
でも無駄なことなんて何一つないよ!
きぬぞうが色んな思いで毎日を過ごしている今、
この時も何一つ無駄なことなんてないよ!
未来の赤ちゃんにも思いは届くと思うの。
頑張った分だけ必ず幸せは訪れる。そう信じてるよ。
だからきぬぞうの所にもたくさんの幸せが訪れる。私はそう信じてます。
頑張り過ぎないように頑張ってこうね!
応援してるからね!!

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NO.14121  Re[1]: 入院することになりました。

前向きな きぬぞう。
気分が凹凸するだろうけど、やるだけの事はやるんだもん。
大丈夫よ、頑張れ。
きっと、あかちゃんも待っていてくれると思うよ。
無事退院、ばぶ皆で待ってるね。

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NO.14119  Re[1]: 入院することになりました。

きぬぞう、思い切ってよかったね!
知り合いの人も筋腫持ちのまま妊娠して、とても苦労していたので、
先に子宮をきれいにしてからのほうがきっといいと思う。
仕事に行き詰ってたのも、今回リセットできるだろうし、よかったね。
応援してます!

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NO.14118  Re[1]: 入院することになりました。

自分でできることをやって行き着いた考えだ上手くいかないわけないよ。
きぬぞうは止まってない、前進してるんだよ。
心身共にリフレッシュして一歩進んだら良い風がふきますように。
応援してるよ。

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NO.14115  Re[1]: 入院することになりました。

おう、いいじゃんいいじゃんリフレッシュ休暇。
からだもこころもリセットだね。
うんうん、行き詰って暗い未来しか想像できない時ってツライよ。
私もそうだよ。
うんうん、大丈夫だよ。ぜったい大丈夫。
人生ツライことばかりではないよ、ツライの後はぜーったい楽しいことやってくるよ。
きぬの気の持ちようも大事だよ。
いらないものはとって、心身共に身軽になって!
うちらの妊婦への道は険しいけれど絶対ゴールはあるさ。
だんんさんもいるし、ばぶもいるし。
この1ヶ月半が良い時間になるよう祈ってます。
つか、しろ!!!なれ!!(笑)

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NO.14113  応援してるよ!

きぬぞう、久しぶりです。
わたしこそ、いつも励ましてくれてありがとう!
きぬぞう、本当によくがんばってるね。
よく決断したね。
きぬぞうが今までがんばってきた事、そしてこれからの手術、
全部全部、未来の赤ちゃんはきっと見てくれてるよ。
だから大丈夫だよ。
信じることはパワーなり!
きぬぞう、心から応援してるからね。

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NO.14112  Re[1]: 入院することになりました。

そっか〜・・・
赤ちゃんが住む場所がなかったのか・・・
じゃ、今回は「子宮のリフォーム」ってことで!!
住み心地がよくなった子宮は、次々とお客さんが押し寄せるかもよ〜?!
もう、お客さん順番に並んで待ってま〜す!!
がんばって行ってらっしゃい!!

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NO.14111  Re[1]: 入院することになりました。

きぬぞう、お久しぶり。
一歩一歩、がんばっている様子、伝わってきたよ。
筋腫の手術、今受けておいて正解なんじゃないかな。
セカンドオピニオンまで受けたんだもんね。
がんばったね。
さぁ、もう一頑張り。
手術がうまくいくように、そして赤ちゃんがやってくるように
祈っています。
ファイトだー!きぬぞう!



あの頃私は。。。
2003年09月28日(日) 賑やかな家庭
2002年09月28日(土) きぬ@精一杯の気持ち
2005年09月27日(火) 願掛け

髪を伸ばしていた。

いつの頃か
「妊娠して、産休に入るまで伸ばし続けよう」って、決めた。

もうすぐ背中にも届く長さになった
この髪は、私の敗北と挫折の証。

でも、今日
入院に向けて、髪を切った。

足元には、20cmにもなった
黒い房が散らばる。

髪が短くなって
新しい私になって
そうしたら、欲しいものも手に出来るんだろうか。

いつまでも続く不安を
髪と一緒に断ち切ってくれるといい。

どうか、上手くいきますように。

上手くいきますように。



あの頃私は。。。
2003年09月27日(土) 水漏れ
2002年09月27日(金) きぬ@圧力鍋
2005年09月25日(日) 9/25のメール

体調はどうですか?
台風、心配だね。海側だから怖いよね〜。
気を付けてね。無理に外に出たりしないように。

いよいよ、入院が決まり両親や職場に報告しはじめました。
私の父は、大したことなさそうに聞いていたけれど
そのあと口数が少なくなっちゃって、やっぱり驚いていたみたいだった。
職場では、必要最小限にしか話していなかったつもりだったけれど
そこから思いのほか広く話が伝わっていることが解って、複雑な気持ちになったんだ。
本当はこっそり、親にも言うことなく入院したいくらいだったから。

職場に報告した前日に、夫の家にも話に行ったの。
義父が出て、玄関先で軽く「わかった。お大事にね」って言われただけだった。
だから、軽く受け止めてもらえたんだと思っていたんだ。
なのに、すぐに話は義母から兄夫妻に伝わっていて「大丈夫?」ってメールが来た。
心配してくれてるって解っているけれど、惨めな気持ちで一杯になった。
どこかで苦労しているのかもしれないけれど
順調に見える人から優しい言葉をどんなに掛けてもらっても
素直に聞けそうもなかった。差を突き付けられている気がして。

夫が、私が傷ついたのを見て
「オオゴトにしたくないから、そっとしておいてほしい」と言ったことも
義母には、親族のいたわりを拒否していると受け取られてしまって
ますます話が大きくなってしまって。
結局、私が義母に何もかも話さないと収まらない状態だった。
義母に宛てて、遅い時間だったからメールだったけど
不妊に悩んでいたことや、手術に向けての決意などを書いた。
自分の醜い部分や惨めな気持ちを曝け出すことは
自分の情けなさを確認する作業だから、とても辛かったよ。
貴女が以前、ダンナさんのご両親に妊娠し難いことを伝えたコトを話してくれた
その時の話を思い出しながら頑張った。

幸い、母は私の気持ちをある程度解ってくれたの。
「『結婚→出産』が当然なんて全然思わない。
 今は2人で楽しむ時間を与えられていると思って、今出来ることを頑張りなさい」
って、返事が来たよ。
でも、自分の気持ちは本人しか解るはずないんだなって
再認識した出来事だった。
全てを理解することは出来ない
自分の経験した一番近い感情を探し出して、想像するのが精一杯なんだって。

それは、どんなことにもいえることで
貴女がこの前してくれた、障害者の話もそうだよね。
だからといって、伝える努力
伝わろうとする努力を怠ってはいけないんだよ。もちろん。
時には、伝えようとすることに疲れちゃうこともあるけどさ。
こうして、何度も往復する長文メールも
伝えあい、理解しあおうという気持ちの現われ。

子宮筋腫で死ぬことはまずないから、簡単な病気だって思われている。
それを前提に簡単に励ます人がいる。
でも、何度も泣いて
深く悩んで、今も不安に揺れながら出した結論に対して
軽い気持ちでコメントしてほしくないし
解りっこないんだから放っといてくれよって思っていた。
だから、親の言葉さえも素直に聞けない自分がいたの。
でも、その後
義父母が見せてくれた優しさに触れて、固く凝り固まっていたココロが
解された気がしたよ。
やっぱりそれも、伝え伝わろうとする気持ちがあればこそなのかな。
お互いにそう思えば、全てが伝わることはなくても
ココロのすぐ近くまで行くことが出来るんだね。

私のココロのすぐ側にあなたがいてくれること
ちゃんと解っているよ。いつもありがとう。



あの頃私は。。。
2004年09月25日(土) ありがとう
2003年09月25日(木) 決着
2002年09月25日(水) きぬ@締めきり
2005年09月23日(金) 目からウロコ

「子宮筋腫なんかじゃ死なないから大丈夫だよ」
って、励ます人はいっぱいいましたが

↑エンピツ投票ボタン

って、言われたのは初めてだったのです。

自分の身体に望んでいたものは
何も得られていないと思っていたけれど
不摂生を続けていた私の身体を大病から守るために
せっせと健気に毒を1つにまとめていたと思うと
愛おしさを感じてしまいます。

まさに、目からウロコの言葉。

ありがとう。
頑張るからね。


あの頃私は。。。
2005年09月21日(水) お守り

4月から一緒にシゴトしていた、10人のパートさん。
そのうちの半分が任期満了で退職することになって、送別会がありました。

異様な盛り上がりの中、早めに切り上げて家に着くと
友だちからのプレゼントが届いていました。

小さな絵本と
お守りと手紙。

最近、全然ココロに余裕が持てなかったけれど
ホッと気持ちが和みました。

彼女だって、大変なのにね。

彼女の優しさを力に変えて
乗り越えていけると思いました。

頑張るからね。

腐っても仕方がない。


あの頃私は。。。
2003年09月21日(日) 試乗
2005年09月20日(火) ままりんへの手紙

こんばんは。
いろいろご心配お掛けしてすみません。
それから、お食事にも誘っていただいてありがとうございます。
金曜日、楽しみだなぁ(^-^)

今回のコト、そっとしておいて欲しかったのは事実ですが
まろのお家に遠慮してとか、そんなことは全然ありません。
赤ちゃんが出来ないこと、ずっと悩んでいました。
職場で、未婚でもどんどん赤ちゃんが生まれる女性たちに接する度に
自分たちのところには、どうして来てくれないのだろうと思っていました。
あんまり深く落ち込むものだから
まろが「シゴト辞めてもいいよ?」って言う程でした。

今回、前からあった子宮筋腫が妊娠の妨げになっていることが判明し
手術を受けることにしました。
でも、これで妊娠出来るかは解らないし
リスクがあることも承知の上で、まろと相談して決めました。
メスを入れなければ妊娠出来ない自分の身体が、とても恨めしく辛いです。
まろや、家族みんなに申し訳なく思います。
本当にごめんなさい。

まろの家族にも、実家の家族にも赤ちゃんを催促されたことがなくて
本当に楽な気持ちで毎日過ごせたこと、とても感謝しています。
ありがとうございます。
でも、職場では同期や同僚など
私たちより後に結婚した人たちが次々とおめでたになる度に
周りから「まだ?」って聞かれたりして、やり切れない気持ちでいました。

ただの意地っ張りなんですけど
メスを入れないと妊娠出来ないことや
不妊に悩んでいることを周りに知られたくなくて
こっそり入院して、何事もなかったように復帰しようと思っていたんです。
過敏に反応してしまってすみません。
でも、1ヶ月半シゴトを休む予定なので
職場でも結局それなりにオオゴトになってしまったんですよね。

まぁ、こんなに長く休んで家のコトをするのは初めてなので
ちょっと楽しみだったりもします。いいリフレッシュになると思います。
本当に、ご心配をお掛けして申しわけありません。
どうか見守ってください。
これからもよろしくお願いします。
おやすみなさい。



あの頃私は。。。
2005年09月18日(日) 豪遊会・リーダー決定戦









あの頃私は。。。
2005年09月17日(土) 報告

昨日の夜、実家に行って
父に入院の報告をしました。

生理が来るかどうかを待つまでもなく
入院するのは決まりだろうと思ったので。

読みどおり、今日から生理。

父は、「別に死なないんだろ」って
気にもしていないように振る舞っていたけれど
そのあと口数が急に減ってしまったので
やっぱり驚いただろうし、心配もしているのだと思います。

今日は、妹が遊びに来たので
昨日、私たちが帰った後
父が不機嫌になっていなかったか訊ねたところ
「しゃべらかったけど、怒ってもいなかったよ」
と、言っていました。

ちょっと安心。

外泊出来たら、金曜日の夜はごちそうの予定です。

あの頃私は。。。
2002年09月17日(火) きぬ@ご褒美
2005年09月16日(金) 入院説明

先日行なった、術前検査の結果を聞きに行きました。
彼も、診察室の前まで一緒に行ってくれました。

今日は、今までとは違うセンセイです。
今までのセンセイ(医長)より感じのいいセンセイでした。

内診されて、「やっぱり大きいね〜」と言われても
嫌な感じがしなかったのが不思議。

やはり、問題は貧血だけでした。
処方された鉄剤を、きちんと飲み続けるようにと言われました。
生理が、今日明日で始まると話すと
それで増々貧血になるから、くれぐれもと念を押されました。

ちなみに、生理の状態を初めて聞かれましたが
最近、5日目に爆発的に量が増えることを話すと
筋腫に血液が塞き止められていたのが、一気に出るからと教えてくれました。
「経血が、黒っぽいとか茶色っぽい感じでしょ?
 塞き止められて、古くなっちゃったんだよね」
確かに黒っぽいのです。なるほど。

それから、入院の話をされました。
婦人科用の入院のための手引きを頂いて
入院受付で手続きをするように言われて、診察は終わりました。

「解らないことは、ありますか?」
これも、ここで初めて聞いた言葉。
質問はなかったけれど、診断書をお願いしました。
多めに休めるように書いてくださいって。
退院後、1ヶ月の自宅安静と書いてくれました。

入院受付で予約をして、書類をもらって
お会計を待っている間に手引きを読んでいたら
彼の顔が、どんどん強ばっていきました。
本当にココロから、心配してくれているのが解りました。
それで十分でした。

ごめんね。


あの頃私は。。。
2002年09月16日(月) きぬ@役立たず
2005年09月15日(木) 過労

クルマの中で、彼を待つ間に
シートベルトを首に巻き付けたらどうなるかなと
ぼんやり考えた。

立体駐車場のフェンスを乗り越えて
飛んでみようかなとも考えた。

疲れている証拠。

この身体を修理しなければいけないコトも
ゴールのない、空しいだけのシゴトも
想いとは正反対の現実。

疲れた。

疲れた。

彼に背中を撫でてもらっているときが
一番安らぐ。


あの頃私は。。。
2004年09月15日(水) 検査結果
2002年09月15日(日) きぬ@打ち合わせ(3)
2005年09月14日(水) バチあたり

不妊治療の技術が生まれるまでは
女性はコウノトリを待ち続けていた。

自然に、授かるまで。

もし、神様がいて
私には子どもなど必要ないと考えて授けてくれないのなら
それに逆らおうとしている私はバチあたりなんだろうか。


あの頃私は。。。
2003年09月14日(日) 旅行
2002年09月14日(土) きぬ@花嫁道具
2005年09月12日(月) 9/11のメール

おはよう。
いつもありがとう。
昨日は月が綺麗だったね。

子どもが出来た時、家を出てでも生もうって思ってた。
母と揉めた後、家に居続けることが辛くて家を出ようと真剣に考えた。
生きていなければよかったって、思った。
学生の時、何度となく衝動的に自殺したい願望に捕われていた時に
ホントに手を下してしまえばよかったと。

でも結局は、私は家を出なかった。
甘えていただけなんだよね。
自分の母親だから、解ってくれると思い込んでただけで。
別の人間だと解っていても、生まれた時からずっと一緒にいるんだからっていう
エゴがあった。
それに気付いてから、母との間にもっとハッキリした距離が生まれた。
愛しているから、許せないんだってコトも知ったよ。
たぶん、母の中ではなかったことになっている。だから普通に仲良く出来ている。
このままやっていけると思う。彼女には、妹が付いているしね。

前の人は、付き合い始めてすぐに大きな手術をしたの。
身体の欠陥が先天的にあって
それがきっかけなのか、後天的なものなのか解らないけれど発病して
主治医に「持って7年」と言われていて。
妊娠たのを報告した時
前の人は最初、言い訳かもしれないけれど
自分の身体的な奇形を理由にして堕ろすように言っていたな。
片親で、障害者を育てられるはずないって。
うるさい。そんなのヘッチャラだよって思っていたけれど。

結局、子どもがいてくれなかったのは
私が筋腫を持っているという身体的な欠陥もあったし
精神的に不安定だったというのもあるし
前の人が言ったように、もともとの細胞が弱かったこともあったのかもしれない。
今となっては、もう解らないけれど
どんなカタチであれ、私は生きていてほしかった。
生命の奇跡を、その可能性を
個人の都合で摘んではいけないと。

障害って何なんだろうね。
程度にもよるけれど、私には想像も出来ない御苦労があるんだろうね。
産まないという選択も、とても勇気がいると思うし
それも1つの愛のカタチだと思うよ。
でも、幸せかどうかって本人にしか測れないから。
周りには解らなくても、本人が幸せならいいハズだもの。
生命が輝き続ける限り、手に出来る可能性はある。
逆に生まれた時に五体満足なら幸せなのかなって、思う。
その後、判明したり
病気やケガで障害を持つこともある。
障害がなくたって、幸せを感じられない人はいっぱいいるんだから。
それを、神でも仏でもない私たちが推し量るのはおこがましいんじゃないかな。。。
人間は、他の生物よりも頭がよくなり過ぎて
いろいろ考えてしまうけど
生命の誕生という原始的な出来事は、もっとシンプルに捉えていいのかもしれない。
お腹にいる生命と、生まれでた生命に何の違いがあるのか
私には解らない。

でも、それは各々の状況から真剣に考えた結果であって
答えが出る問題じゃないからね。
だから、軽蔑なんてしないよ。変わらないよ。
私は、この世の全てに意味があると思っているの。
生きるも死ぬも。出会いも別れも。
これから手術を受けることも。
自分のクセで、悪い方に考えてしまいがちだけどねf(^_^)

こうして、考える機会を与えてくれたこと
感謝しています。本当にありがとう。

葉酸ね。大事なんだよね〜。
普通の食品だと、グレープフルーツにあるんだよね。
サプリは取ってないけど、ジュースや果物で取るようにしています。
妊婦って、柑橘類を食べたくなるっていうじゃない?
それって身体が葉酸を欲しているってコトなのかもね。

風疹の抗体の話は聞いたことあります。ハッチからだったかな?
私は、1度かかったことがあるんだけれど
それでもやった方がいいかね〜。
手術したら春まで妊娠できないので、今のうちだよね。考えとこ☆

今は、手術に向けて鉄剤を処方されています。
妊婦も貧血になりやすいっていうから、注意してね。
レバー平気?植物性よりも動物性の方が吸収がいいんだって。
レバーがダメなら、シジミとかアサリのお味噌汁がいいよ。

友だちの結婚式、残念だったね。
でも今は、自分の身体を大事にね。
そうそう、日取りと場所をもう一度教えてくれる?
私も祝電出すつもりなので。

手術前に会えるといいな。うれしいな。
3連休が2回あるけど、その中のどこかの日で調整しようと思っています。
日にちはもうちょっと待ってね。



あの頃私は。。。
2003年09月12日(金) お預け
2002年09月12日(木) きぬ@引き出物
2005年09月10日(土) 9/10のメール

おはよう。
レス遅でごめんね。落ち着いた時間が取れなくて。

赤ちゃん、いてくれてよかった。
検査のコト、気になっていたの。
最近、ご不幸もあったから。気持ちの波に生命がさらわれるコト
体験者なだけによく解っているから。

ゆったり。ホントに、ゆったりね。
不安な気持ちは、赤ちゃんも不安にさせる。
「いちゃいけないのかな」って思わせてしまう。
それでいなくなった後のやり切れなさは、言葉に出来ない程なんだから。

妊娠した時、それを前の人と母に伝えた時のコト
今もハッキリ覚えているよ。
私の身体に気をかけることもなく、「堕ろしなさい」って言ったの。
私だって怖かった。結婚してないのに、産みたいって打ち明けることが怖かった。
でも、女だったら。子どもが出来た時の喜びや愛おしさを解ってくれると思っていた。
だから打ち明けたのに。
言うんじゃなかったって、思った。目の前が真っ暗になったようだった。
たとえそれが、私を思ってのコトだったとしても
私には、体面を守るためのように思えた。こんな人母親じゃないって思った。
「言うんじゃなかったよ。放っといて!」って言って自室に入った後
涙が止まらなかった。
今、子どもを守れなかったら
私が生きている意味なんてないって思った。
でも、次の日から出血が始まった。

その日は、どうしても病院に行くことが出来なかった。
お腹を引っ張るような、今までに感じたことのない痛みと共に酷い出血が続いていた。
それは、赤ちゃんが必死でしがみついているのに離され流れていくような感覚だった。
生命が零れ落ちていくのを、どうすることも出来なかった。
なのに、普段どおりの生活をしなければならない自分。
母が、追い討ちをかけるように「堕ろしなさい」と
また言った。
私が納得するまで、毎日でも言い続けるつもりらしかった。
もう終わっているのに。
でも、こんな人にそれを言いたくなかった。喜ぶに決まっている。
「生理が来たんだよ。うるさいな!」それが精一杯のセリフ。

自分が一番悪いの。でも、母を許せない。
母が、嫌いというわけではないの。でも許せない。このことだけは。
それは、今も変わらない。
だから、今後子どもが出来ても
最後まで母には言えないような気がしている。
言うのが、怖い。
祝福してくれるか、不安だから。
母は、子どもが出来なくなって手術を受けることになった今の私の状況を
どう感じているんだろうって思う。
あの時のコトを、思い出したりしているのかな。
いや、きっと忘れちゃっているだろうな。

いくら母親でも、別の人間なんだもの。
合わないこともいっぱいあるよ。それが親不孝ってわけではない。
ちゃんと大切にしているじゃない。
何を言われても、今ここにある生命を守り抜くって決めたんでしょ?
親であるあなた達が、生まれる赤ちゃんに最高の祝福をすれば大丈夫だよ。
私も祝福の雨を降らすよ。
ココロの拠り所は、たった1つでもあれば生きていけるんだよ。

羊水検査。
もし悪い結果が出たら、どうするつもりなの?
生まれるまでに覚悟を決めるの?それとも、ご両親が言うようにサヨナラするの?
私は、知らなくていいと思う。どうであれ、産むって決めているのなら。
生命を育むって、自分と向き合うってコトなのかな。
もう一度、ご家族とちゃんと話しておいた方がいいかもしれないね。
私も早く、スタートラインに立ちたいな。




あの頃私は。。。
2003年09月10日(水) 蜘蛛
2002年09月10日(火) きぬ@ビーバー
2005年09月09日(金) TDS










あの頃私は。。。
2002年09月09日(月) きぬ@オメデタイからいいよね
2005年09月06日(火) 術前検査

昨日、シゴトを休んで
手術前の検査をいろいろとしてきました。

採血・採尿・レントゲン
心電図・肺活量。
それから、止血時間がどれくらいかを調べる検査。

レントゲンは、正面からだけではなく
側面からも撮影しました。

肺活量の測定は
トイレットペーパーの芯みたいのをくわえて行ないました。
普通に、吐き切った時の空気の量と
一気に吐いた時の空気の量。

止血時間を測る検査は
耳を切って行ないました。
2〜5分が正常だそうで、3分でした。

検査は、たぶん問題ないでしょう。

診察の際に、貧血の有無を聞かれて
以前、鉄剤を処方されていたことを話したら
1ヶ月分の鉄剤を処方されました。
胃薬なしだったので、負担がかからないか
ちょっと心配です。

最終月経と周期も聞かれました。
薬などで、時期をずらす必要もないようです。
でも、この周期で妊娠しないかと薄い期待をしている私は
着々と準備が進んでいくことに
なんとなく違和感を感じてしまいました。


あの頃私は。。。
2002年09月06日(金) きぬ@タスキ
2005年09月05日(月) 真っ向勝負

その日も、リリア展の最終日で
片づけを終えて、作品を引き取った後に彼女に逢いに行きました。

私は最初から、その作品を
彼女のご両親がマンションを購入したので
そのお祝いに贈るつもりでいました。

でも、それは
結果的に餞別の品になるかもしれませんでした。

彼女には、私と魔性ちゃんがやり取りした
メールの全てを転送していました。
結論を出すのは彼女だと思っていました。
友だちを取り引きすることなんて、出来ない。
勝手に決めることなんて出来ない。

どうしてこんなことになったのか
全て理解してもらった上で
彼女が決断したことを尊重しようと決めていたのです。

彼女が、私との縁を切ることになっても。

彼女も、もしかしたら最後のつもりで
私に逢ってくれたのかもしれません。

↑エンピツ投票ボタン

ああ・・・やっぱり。。。

解けなかったパズルが、やっと出来上がったような気がしました。
不自然だったのです。ずっと。
そのことについて、妙に優位に立つような言動が。
でも、見えてないフリをしていた。

ずっと、言わないでいることで苦しめてしまったコトを
申し訳ないと思うと同時に
この時に、ちゃんと言ってくれたことが本当にうれしかったの。

そして、彼女は私との縁を
今日まで繋いでくれたのでした。

元々の性格からか
私は、中途半端に関係を続けていくことは出来ません。

上っ面の関係を続けていくことは簡単だけれど
意味がないと思う。
友だちならば。

いろいろと環境が変わっていく中で、すれ違ってしまっても
あの時と同じように向き合うことが出来れば、乗り越えられると思います。

今がその時。

真っ向勝負。




あの頃私は。。。
2002年09月05日(木) きぬ@2つの指環
2005年09月04日(日) 24の夏

昨日の相手は
たぶんここを読んだ後に返事を送ってくれたのだと思います。

でも、2人で逢って
何を話そうとしているのだろう。
それは、私も解らない。
向こうも解ってないかもしれない。

ただ、何とかしたいって
逢って話すことで何とかしたいっていう気持ちは、きっと同じ。

24歳の夏に
私が今は「魔性ちゃん」と呼ぶ女性と決別しました。

前の人と別れて、1年後の夏でした。

それは、突然のコトでした。
一方的に
「あんたみたいなキレイゴトを言う人とは付きあえない。もう逢わない。忘れてくれ」
というようなことを、メールで告げられたのです。

何がなんだか解らず、メールで真意を確かめようとしましたが
魔性ちゃんの気持ちは変わることがなく
私も、その言われように段々冷静ではいられなくなってしまったので
結局、ケンカ別れのような格好で終わったのでした。

魔性ちゃんとのやり取りの中で、最後まで問題になったのが
昨日の相手のコトでした。

いつも、3人でつるんでいたのです。
彼女にとっては、魔性ちゃんも私も同じように友だちのハズで
私たちが決別したことで、板挟みになった彼女をどうするのか。

魔性ちゃんも私も
相手が彼女をとても大切に思っていると解っていました。
だから、お互いに「自分が引く」と言ったのです。

でも、決着は着かないまま
魔性ちゃんは、私からも彼女からも姿を消してしまいました。
私は
彼女は何も知らないんだから、本当のコトを話さないといけないと思い
最後のつもりで、彼女に逢いました。

5年前の、ちょうど今頃のコトです。



あの頃私は。。。
2004年09月04日(土) 妊娠なんて簡単だよ
2003年09月04日(木) 感染
2002年09月04日(水) きぬ@子連れの苦労
2005年09月03日(土) メールの行方

1日から、リリア書展は始まっています。

今年も思いのほか沢山のお友だちが来てくれています。
本当にありがとう。

月曜日に送ったメールは、まだ返事がありません。

届いていないのか
返事したくないのか
返事が出来る状態ではないのか
よく解らない。

確認するのも嫌だし
したからって、どうなるものでもないし
なんだか、疲れちゃったよ。

今の状態を打開したくて
痼りを残したくなくて
勇気を振り絞って送ったメールだったのにな。

別に、今のままでも付き合っていくことは出来たのだから。

けれど、それまで深かった分
今の浅さに満足することは出来なかったの。

大切な人だからこそ。

彼は、大丈夫って言うけれど
不安で仕方ないよ。


あの頃私は。。。
2002年09月03日(火) きぬ@彼の写真
2005年09月02日(金) コンプレックス

彼は、クルマの運転が苦手なんだって。。。
安全運転で、私はそうは思わないんだけれど。

上手いかどうかよりも
事故に遭うような、危ない運転をしないコトとか
同乗者に怖い思いをさせないコトの方が
大事だと思います。

私は、彼が運転するクルマに乗るのはとても楽しいし
安心して、快適に乗っていられるんだけどな。

でも、彼はそのことにコンプレックスを抱いている。
だから、私がちょっと「もうちょっと後ろにいた方がいいんじゃない?」
なんて言ったりすると、とても傷ついてしまうのです。

私の方こそコンプレックスの固まりで
それでも彼は側にいてくれるのに
同じコトで何度も傷つけてしまうなんて。

ごめんね。
傷つけるつもりはないんだよ。いつも。

許してね。




あの頃私は。。。
2004年09月02日(木) 配慮のない言葉
2005年09月01日(木) サイン

生理やおりものの、極端な出血の多さ
だらだらと続く不正出血
どちらにしても、その時は近づいていたのかもしれません。

身体は叫んでいたのに
必死にサインを送っていたのに
子どものコトで追い詰められるまで
気がつかなかっただけかもしれません。

そう考えたら
もし、これで子どもが出来なかったとしても
無駄じゃなかったんだって、思えるような気がしました。

彼と一緒に
これからも生きていくために必要だったんだって。


あの頃私は。。。
2003年09月01日(月) おんぶ
2002年09月01日(日) きぬ@御礼

華泉 |MAIL
まろの気まぐれ日記
まろ様へ
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