まろやかな日々
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2005年08月28日(日) 満ち潮

タイトルと、ここでのハンドルネームを変更しました。

「彼と私の日常」→「満ち潮」
「きぬまろ」→「華泉」

結局、検索されてしまうとは思うんだけれど。

それでも、自由に書いていく。
そういう決意だと思ってくれていいです。

気分一新。

幸せや希望が満ちていくように。

寄せて返す波のように
行ったり来たりしながら、それでも
満ちていくように。

どうか、お願い。



あの頃私は。。。
2003年08月28日(木) 頭痛

2005年08月27日(土) 8/25のメール

こんばんは。
こっちは段々と風が強くなってきました。
そっちはどうですか?
海の側だから、波のうねりや風の音がすぐ近くに感じられるでしょ?
怖いね〜。
ウサちゃんも、さすがに今日は室内だね。
明日も、散歩に出ても海の近くに行っちゃダメだよ☆
強風で転ぶと大変だし。

貴女には、今のところ不思議と妬ましい気持ちはないの。
何でだろう???
羨ましい気持ちはいっぱいだけど。
まだ、生まれてないからかもしれないな。
たぶん、出産してから
「あの時大変だった〜」とか言われたら、きっと思うんだろうな。
「でも、出来たんだからいいじゃん」って。
思えば、今までのやりきれなさも
妊婦さん相手に生まれた気持ちではなくて
出産した後の、「うれしくて幸せな大変さ」を見せつけられた時に感じてた気がする。
滲み出ちゃうものなんだろうけど。
でも、解っていても
今の私には、まだまだ手に届かないものだから
見せつけられると耐え切れない時があるんだ。

夫も貴女のダンナさんと同じように
子どもに執着し過ぎて、私が私のココロを壊してしまいそうだって言うよ。
もう十分幸せなのにって。
メスを入れなければ子どもが出来ない私は、確実に欠陥人間なんだと思っているから
どうして想われているのか解らないんだ。
人を好きになるのは理屈じゃないって解っているんだけど。
だから、「どうしてそんなに心配なの?」って聞かれるくらいに
「好きだよ」って伝えているし、「好きだよ」って言ってもらっているの。
こうして落ち着いている時は満たされているんだけれど
とても不安になる時があって、その度に助けてもらっているよ。

ダンナさんが、貴女が一番なんだって言ってくれて私もうれしい。
いい人生を2人で歩いていくんだって、お互いが同じように思っていれば
どんなことも必ず乗り越えられるよね。
たまに争うコトがあっても、その奥に愛があれば大丈夫。
傍から見ればヘンテコなやり取りでさえも、愛があればこそ!だよね。

貴女とこうしてメールのやり取りをすることで
自分の気持ちや、貴女や夫の気持ちを確認したり
正面から向き合うコトが出来ます。
言葉を紡ぐ作業は時間が掛かるし、エネルギーもいっぱい必要だけれど
今まで見えていなかったものや、見ようとしていなかったものが見えてくる。
とても大切だし、本当に有り難いです。
いつもありがとう。

ワンちゃんの話を聞いて
私もまたネコと生活したいなぁって思いました。
小学校から高校までの間、ネコと暮らしていたのよ。
多い時は5匹くらいいたかな。賑やかだった〜。
ネコって気まぐれっていうけど、少なくともウチにいたネコはそんなことなくて
寂しい時や落ち込んでいる時は、いつも寄ってきて側にいてくれた。
私にとって、初めての「守りたい存在」だったかもしれないな。
今はもう、みんないなくなってしまったけれど。

そんなわけで、ネコをほしいと思ったものの
今の住まいじゃ絶対不可能なので(T-T)
とりあえず家だ!って気合いを入れてみたり。
夫にも相談したんだけど、手術後半年間は妊娠しちゃいけないらしく
それまでヒマなので、物件探しでもしようかなと思っています。
いい家見つかるといいけど。
夫は今の地域にこだわりたいらしいからなぁ〜。





あの頃私は。。。
2002年08月27日(火) きぬ@難関
2005年08月26日(金) 8/24のメール

こんばんは。
メールありがとう。

夏も終わりに近づいているけど
今年は久しぶりに夏らしい夏だったような気がするな。
夕立ちが来て、雷が鳴る中
自転車をダッシュで漕いで帰った学生時代を思い出したよ。
毎日びしょ濡れでさ。
でも、その後に出る虹がすごくキレイで
雨上がりの空を見るのが楽しみだった〜。
空気も涼やかなんだよね。
近年は温暖化で夕立ちがなくなりかけているんだってね。
真夜中に雷がなったりして。
日本特有の季節も、あの頃の思い出も
遠くに行ってしまいそうで寂しいよ。

いろんな情報や物が溢れかえっている今の時代は
信じることが一番難しいね。
見えないものを感じて、信じるということが。
愛や友情や生命の重さ。
絶対にそこにあるはずなのに、信じ切れない弱さ。
失ってしまった時に気がつくんだ。
信じ切れなかったコトを責めてしまうんだ。
一瞬でも信じることが出来なかったから
大切なものが零れ落ちてしまったんじゃないかって。

だから、都合がよすぎる?とか
そんなのはどうでもよくて、心配する必要は全然なくて
信じて信じて、その力で希望を
奇跡を引き寄せたい。
報われないとしても、それでも思う力が強さなんだよね。

絶対、夜は明ける。

今日のこのフォントのオレンジね。
「夜明け色」っていうんだって。
背景は私のPCではベタ塗りしか出来ないみたいなんだけど
偶然見つけたこのフォントカラーが、今の私たちにピッタリな気がして。

誰もが解っているハズなんだ。ホントは。
普通に結婚して妊娠して元気な子どもを出産することが
必ずしも幸せに繋がるとは限らないことを。
認めたくないだけ。
見えないものを信じ切れないから、カタチを欲しがっているだけ。
押し付けられる身としては、いい迷惑だけどね(-_-;)
だけど、私もその圧力に屈して
自信を持って幸せだと言えない弱い人間だよ。
夫が一点の曇りもなく「一緒にいるから幸せ」って言ってくれることが
どれだけ救いになっていることか。
本当は、それだけで十分なんだよね。

ありがとう。
怖いって、言っちゃいけないような気がしていたの。
夫や周りを不安にさせたくなくて。
口にすることで、もっと怖くなってしまいそうで。
でも、「生きているから怖いんだよ」って
当然のように言ってくれてうれしかった。気が楽になったよ。
どんなにみっともなくても、乗り越えられればいいんだって思えた。
乗り越えようって。
彼に私たちの赤ちゃんを抱いてもらうために頑張るって
決めたのは私なんだから。

体調はどうですか?
不安な気持ちに潰されないように
ゆったり1日を過ごしてね。



あの頃私は。。。
2002年08月26日(月) きぬ@いえ〜☆
2005年08月25日(木) 8/23のメール

こんばんは。
メールありがとう。
何度も何度も読んだよ。うれしかった。
体調は、すっかりよくなりました。
結局、次の日も休んじゃったんだけど。
ホントに忙しい時期なのに、無理矢理休みました。
結局6連休。今日も休むから。
貴女こそ体調どう?
無理はいかんよ。くれぐれも。

「ママになる準備が出来たら・・・」って話、耳に痛かったよ。
忙しさにかまけて、最近食生活が滅茶苦茶だから。
ほとんど外食になっているもん。
準備って、ココロだけじゃなくて
身体だけでもなくて、全体のコトなんだと思った。
とても褒められた妻じゃないからね。
いくら仲良くしていても、それだけじゃダメなんだって感じたよ。
夫が許してくれているから、こんな状況でもやっていけているんだもんね。

貴女は、ちゃんと準備出来てたと思うよ。
仕事で傷つく一方だった身体も休めて、ちゃんとご飯も作って。
家で夫婦がリラックス出来る状態を作っていたもんね。
タバコだけだよね〜。惜しい☆

本当に、本当に
赤ちゃんが、貴女のお腹で元気を取り戻して大きくなってくれることを
ココロから祈っています。
貴女たち夫婦の元に辿り着いたことに幸せを感じて
安心して生まれてきてほしい。
素敵な2人だって、いつも思うから。
これからは子どもを真ん中に、増々暖かく愛のある家庭を作っていけると思うから。

でも、残酷に聞こえるかもしれないけれど
赤ちゃんに万が一のコトがあった時、悲しむだけ悲しんでも
自分を責めることだけは止めてね。
それが、とても心配です。
貴女は、ちゃんと妊娠出来るんだよってメッセージを
赤ちゃんが身体を張って伝えに来てくれたんだって信じてほしいの。
時間がかかってもいいから。
何だか、赤ちゃんの話をする貴女が落ち着き過ぎていて
覚悟しようとしているんだろうなって思ったんだ。

「大丈夫」って手放しで励ますだけではなくて
厳しいことでも、ココロからの言葉なら伝えられるだけの関係を
とことん語り合って、理解しあおうと務めた10年の間に築けていると思っているから
あえて言わせてもらいました。不安にさせてしまったらごめん。
今はお腹にいる奇跡のコトだけを考えて、1日1日を大切に過ごしてね。

手術受けるって決めて、早い時期から友だちや友だちに話したのは
自分の決意を固めるためでもあるの。
筋腫を取るオペは一般的になったとはいえ
私の場合は人より難しいと言われているし
自分のお腹を切るということをイメージ出来ないんだ。
それでも、生きている自分を。
お腹に傷を抱えた自分を。
今は、その後の希望よりも怖いって気持ちの方が強い。
だって、これで本当にベビーが来てくれるかも解らないのに。
だけど、信じるしかないよね。
いい方向に、きっと進んでいけるって。
これからも夫と一緒に
仲のよい友だちや家族に囲まれながら、楽しく生きていけるって。
そうやって、ココロを何度も揺らしながら毎日過ごしています。
あと1ヶ月ちょっと。入院してしまえば覚悟も決まるのに
不安を抱えながら手術を待つ1ヶ月は、すごく長いね。

昨日も病院行ったのかな?
貴女も、病院に行くまでの1〜2週間を
不安を抱えて、すごく長く感じながら過ごしているんだよね。
でも、貴女の夫も私もいる。
独りじゃないからね。
手探りでも、ゆっくりでも1歩ずつ
少しずつ前に進んでいこう。
お互いの道は別々でも、助けが必要な時にはすぐに手を差し出せる距離にいるんだよ。
そして、いつも見守っているからね。
うれしい時は一緒に喜んで、悲しい時は一緒に悲しめるところに
いつも私はいるからね。

本当にありがとう。
これからもよろしくね。


あの頃私は。。。
2003年08月25日(月) 家路
2002年08月25日(日) きぬ@封印
2005年08月24日(水) 佐渡の宿+食事

この時期、会場周辺の宿は
どこも満室になってしまいます。

毎年、春過ぎから宿を探し始めるのですが
その頃には、もう断られるばかりです。

ツアーや、列車と一緒に申し込むなどすれば空きもあるんだろうけれど
移動はクルマだし、ツアーも嫌なので
自力で取るしかありません。

結局、観光協会に斡旋してもらって
やっと取ったのでした。
それが、5月のこと。
やっぱり、1年前から予約するべきなのかしら。。。

宿は、おばちゃんが1人で切り盛りする海の側の民宿でした。
お風呂とトイレは共同。
ご飯も、部屋もまぁまぁ。
朝食付きで、1泊1人5,000円。

でも、おばちゃんの人柄がとてもいいの。
彼も気に入って、「来年もここにしたい」と言っていました。

お昼と夜の食事は、フリーマーケットで自分で調達です。

土曜日の昼→サバサンド
    夜→チャーハン・炭火焼き肉のバラ

日曜日の昼兼夜→カレーとナン・炭火焼き肉のバラ

何といっても、一番美味しかったのは「炭火焼き肉のバラ」です!
彼も何度も食べてるし。

今までの佐渡で、忘れられない食事が
最初の年のフリーマーケットのバジリコスパゲッティー。
美味しかったなぁ。
毎年探すんだけれど、あれ以来ないのよね。


↑エンピツ投票ボタン

食事の度に飲むんだもん。
私が飲めないじゃないかぁ〜。


あの頃私は。。。
2004年08月24日(火) 落胆
2003年08月24日(日) 佐渡2日目
2002年08月24日(土) きぬ@やりたいこと
2005年08月23日(火) コンサート+送り太鼓

アース・セレブレーションのラストを飾るのは
鼓動のスペシャルコンサートです。
今年は、ケルト音楽との競演。

港を見おろせる公園の中の特設ステージ。
芝生の上に、ゴザを敷いて
夜風に吹かれながら、その時を待つ。

魂を震わすように響くリズム。
風に乗って軽やかに流れるケルトのメロディー。

時々、雨に打たれながらも
踊ったり、手を叩いたりしながら楽しみました。

2,000人以上が集まったその空間は、確実に1つになっていました。
思いのほか多い、外国の方たちもみんな。

ダイナ満足☆です。

帰る日。
出港するフェリーを、鼓動のメンバーが太鼓を叩いて送り出してくれます。
フェリーに乗り込んだら、甲板までダッシュ!
でも、もう人でいっぱいで
見ることはほとんど出来ませんでした。

それでも、音は聞こえるから。
来年までの別れを惜しんで、耳を傾けます。
そして、出港。

少しずつ、陸から離れていくフェリー。
小さい太鼓を叩きながら、こっちに歩み寄ってきた鼓動のメンバーが
「また来いよー!」って叫んだ瞬間!
ドカ〜ン!!!って大雨。
雷まで。

それでも、それでも
ずぶ濡れになりながら、送り続けるメンバー。
感激しました。

この写真。
私の宝物になりました。

また、来るからね。



あの頃私は。。。
2004年08月23日(月) 佐渡
2003年08月23日(土) 佐渡初日
2002年08月23日(金) きぬ@ペアリング
2005年08月22日(月) 愛は着々

佐渡から無事帰りました。

久しぶりのPCで
8/19の日記を読んだ彼が
「おまえも着々人生じゃん!」
と、言いました。

そうかなぁ。
「着々」って、順風満帆な感じがしない?
順調な人は、何やっても上手くいくんだよね。
いいよね〜。
絶対にゴール出来るか解らないのに挑戦せざるをえない今の私の状況は
少なくとも順調ではないと思うよ。

私がそう言うと、彼は言いました。
「そりゃそうだけどさ。
 比べたって仕方がないことだし。。。 ←エンピツ投票ボタン

 だから、おまえは着々だ。間違いない」

・・・そうなの?
そういうもの???

なんだか、よく解らなくなりました。
まぁ、いいや。

ただ、彼の言葉はとてもうれしくて。
彼と一緒にいてよかったなぁって思ったのです。


あの頃私は。。。
2003年08月22日(金) 出発前夜
2005年08月21日(日) 嵐の佐渡

佐渡の天気は不安定で
昼間は晴れて暑いのに、夕方から夜にかけては雷を伴って強い雨が降りました。

昨日は、島に着いてお昼を食べた後
太鼓のワークショップに初参加。

鼓動のトッププレイヤーの方に指導を受けて
ベースとソロの太鼓を叩くのです。

ドンドコドンドコドンドコドンドコ・・・。

彼も私も汗だくになりながら
自分が生み出す音の響きを楽しみました。

夜は、フリーマーケットでご飯を調達して
芝生の広場で、遠くに落ちる雷を見ながらのんびり。
それから、いつもの馴染みの人に挨拶に行きました。
セッションが出来なかったコトだけが心残り。

今日は、えむぞうでドライブ。
島1周の野望を微かに抱きながら、海沿いの道を走りました。

しかし!
途中で道が狭くなり過ぎて、最後まで走れるのか不安になった
            +
島が思いのほか大きくて、コンサートまでに戻れるのか解らなくなった
            +
私が、地図を見過ぎてクルマ酔いをしてしまった
・・・ということで、途中で引き返すことになってしまいました。

実は、5回も行っているクセに
こんなに遠くまで移動したのは、初めてでした。
朱鷺も、金山も行ったことがないのです。

来年は、大きな道で
違う町にも行ってみようねと話しながら戻りました。

でも結局、私のクルマ酔いは治まらず
コンサートの時間まで、宿で寝るハメに。。。

彼は、ドライブの途中でパチンコ屋を見つけてしまったので
私が寝ている間ヒマだから、打ちに行きたい!と言っていたけど許さず。

時間までのんびりして、カッパを来て出かけました。




あの頃私は。。。
2004年08月21日(土) お盆の後に
2003年08月21日(木) お盆に寄せて
2002年08月21日(水) きぬ@課題曲
2005年08月20日(土) 許せない親子

今日から、恒例の佐渡です。
アース・セレブレーション。
彼と過ごした最初の夏から、毎年行っています。
もう5回目だね。早いなぁ。

今年は、えむぞうも連れていきました。
フェリーの料金は、えむぞうが一番高いです。
でも、だからと言って料金をケチって2等(じゅうたんで雑魚寝)にするのはダメ。
結構揺れるので、船酔いしやすいのです。
去年、良さを知ったので
迷わず1等(じゅうたんの指定席。毛布・枕付き)にしています。
2時間半の長旅なので、のんびりできないとね♪

ところが。
今回は全然快適じゃなかった〜。
原因は家族連れ。
父母と男4人の子どもたち。
一番下の子は1歳半くらいで、ちょうど走り回るのが楽しくて仕方ない様子だったの。
その子が、疲れ切って爆睡する私の足にタックルしてくるの!3回も!!!
お陰で、半分も眠れなかったよ。
私は4時起きだったの。4時間ほぼ休みなしで運転しているの!
・・・なんて言ったとしても解るハズもなく。
チラッと迷惑そうに親を見る。
そうすると、「すみませ〜ん」って全然悪いと思っていない様子で言うんだよね。

この、「子どもが小さいんだから許してくれるでしょ」っていうのが
見え見えの態度!
許すかどうかってのは、こっちが決めるコトで
謝る時には、誠心誠意が基本じゃないのか?
だいたい、子どもが小さいからって公共の場でも好き放題させるものじゃないし
子どもを大人しくさせられないようなら、連れてくるんじゃないっての!

そこまで怒り炸裂になってから、ハッと我に帰って
こういう感情も、子どもが出来ない僻みなんだろうかって心配になりました。

あとで、タックルを2度されていた彼に聞いてみると
あっさり「そんなコトないよ」って言ってくれたのでホッとしました。

子どもが出来ても
そういう風には絶対にさせないようにしようね。

2人で約束して
そのためにも、この試練を乗り越えようって思ったのです。





あの頃私は。。。
2003年08月20日(水) お見舞い
2002年08月20日(火) きぬ@配付
2005年08月19日(金) 人生着々

最近、「秋」って言葉に敏感に反応してしまいます。

涼しくて、いろんなコトを満喫できる秋。
私にとっては、勝負の秋。

なのに、入院している頃のお誘いがあったりして
返事に困っています。

こんな私の状況なんて知らないんだから
当然なんだけれど。

ある友だちからは、メールで
「家を買った友だちの家に
 秋以降、お祝い持って遊びに行こうよ」
って、書いてあったの。

さらに、そのメールには
「皆、着々と人生歩んでるねぇ」
という言葉もあって、ちょっと凹みました。

今の私の道は
「着々」からは到底離れていると思っていたから。

そう書いてくる彼女は
少なくとも今は「着々な人生」なのでしょう。
そういう時って、みんなそうだって思いたくなるんだよね。

でも、私は着々なんかじゃないのって
全て話すのも嫌だし。

ヘッチャラな振りして返事をするのも
結構疲れます。





あの頃私は。。。
2002年08月19日(月) きぬ@夜通し
2005年08月17日(水) ココロの傷

ココロの傷は測れるものではなく
完全に理解することなんて、出来るはずもないのです。

もう、10年も前のことなのに
思い出して痛みを彼に訴えようとすればする程、涙はいっぱい出てきて
それだけで、十分なのです。

本当に、痛かったことを伝えるのには。

許していても、愛していても
忘れられないのです。

時々、忘れさせないように疼くのです。
痛みは、鈍く繰り返す。いつまでも。

だから、今の幸せが
愛おしく、大切に思えるのかも知れません。


あの頃私は。。。
2005年08月13日(土) 5番目

とっても不幸なコトだと思うけれど
私は、両親の愛情を信じ切ることが出来ない。

本当に助けてほしい時に、助けてくれなかったから。
味方になってくれなかったから。

友だちをクルマで送った帰り道で
何故かその話になって
彼は、そんなこと絶対ない、と言った。

だって、おとうさんは実家に行くとすごく喜んでいるし
おかあさんも病気のコトで電話掛けて来たりするじゃないか。

でも、好きだったら助けてくれるんじゃないの?
好きかもしれないけれど、5番目くらいだよ。
味方になるくらいの好きではないんだよ。

それで、話は終わったけれど
なんだか、とても悲しくなった。

認めたくなかった。
助けてくれなかったコトも
私がそう思っているコトも。

家に着いて、彼に
「本当に、好きでいてくれていると思う?」と聞いてみた。

彼が、「思うよ」と言ってくれたので
もう一度だけ、信じてみることにした。

ずっと、そう思いたかったんだ。

あの頃私は。。。
2002年08月13日(火) きぬ@プレゼント
2005年08月08日(月) 運命の日

病院に行って、手術日を決めてきました。

9/29から入院で
10/3に手術です。

入院は、10日程度で
シゴト復帰は3〜4週間後になるだろうと言っていました。

次の診察は9/5で
その時に手術前の検査をするそうです。

その時に、入院や手術の詳しい話をするのだと思います。

貯血のコトを聞いてみましたが
「とても時間やお金がかかることだし
 今回の手術で、実際に輸血が必要なくらいに出血するようなことは
 確率がかなり低いので、それは必要ないと思います」
との回答でした。

やはり、手術は生理がない時がいいんですよね?と聞くと
「もちろんそうです。
 手術日に当たりそうな時は、前もってピルを飲んでもらい対応します」
と、言いました。

まぁ、時期的に問題ないでしょう。

でも。。。
タイミングが取れるのは、あと1回。
上手くいくといいけれど。


あの頃私は。。。
2002年08月08日(木) きぬ@和装
2005年08月06日(土) 湿気

共通の友だちを連れて3人で
花火を見に行きました。

その後、地元で飲んでいる中で彼が
「オンナって、グチグチしてて嫌な感じ〜」
と、発言したのをきっかけに
湿気っぽい人とカラっとした人の話で盛り上がりました。

私自身は、短気で単純な性格なので
女性特有といわれる湿気っぽさは苦手です。
私も、落ち込み方はハンパじゃないけれど
メリハリがあるってことでよし。

でも、そうやって分けてみると
思いのほか、男女を問わず湿気っぽい人っているんだね。

ちょっとビックリ。。。


あの頃私は。。。
2002年08月06日(火) きぬ@サンプル
2005年08月05日(金) 悲鳴

うれしかった。
涙が出る程に。

でも、痛かった。

友だちが、誰よりも早く教えてくれた「妊娠」。

市販薬でそれが判って
月曜日に、病院に行くという。

私が、手術日を決める日に
「おめでとう」って言われるであろう彼女。

彼女が味わっていた辛さ、苦しさ
誰よりも解っていた。
だから、本当にうれしかったの。

なのに、一緒に感じる痛みに混乱した私は
彼との関係に波を立ててしまった。

彼に謝って、許してもらった後も
悲しい気持ちは、どんどん押し寄せてきた。
それは、妊娠できない悲しみというよりも
今までに感じたことのある全ての悲しみが、グルグルと渦を巻いて迫ってくるようで
どうしたらいいのか解らなくなって、涙が止まらなくなった。

助けてほしかった。
でも、彼は
許したにもかかわらず、私がいつまでもいじけているのだと勘違いして
助けに来てくれない。

本当に助けてほしい時には、誰も来てくれない。
いつも、そうだった。
今日もまた。

ココロが、悲鳴をあげて
深夜の街に飛び出そうとした時
彼が、やっと気がついて抱きしめてくれた。

遅いよ。。。

彼の温もりが
私のココロを溶かしていく。



あの頃私は。。。
2005年08月04日(木) 疑問

ずっと引っ掛かっていた。

私は、これ以上の幸せを求めちゃいけないのか。

2人で安定した収入を得られて
好きなことを自由に出来て
彼とは相思相愛で
お互いの家族とも上手くいっていて
友だちもそれなりにいて。

もう十分なの?
その上、赤ちゃんまで欲しがるのは
図々しいことなの?
赤ちゃんが来なくたって
他のコトで満たされればいいの?
赤ちゃんが来ないことを悲しんじゃいけないの?

彼に訴えたら
「そんなコトないよ」と、あっさり言われた。

そんなコトを言われたとしても
きっとそれは本心じゃない。
俺たちが羨ましいだけなんだから。

ああ、彼はこうして
いつも私を修正してくれる。

前を向いていられるように。



あの頃私は。。。
2002年08月04日(日) 経済危機
2005年08月03日(水) 友だちへの手紙

こんばんは。
私は、今週末花火行くよ。楽しみ♪
でも、家から見えるって羨まし〜。行くのはいいけど帰りが大変なんだよね。
暑いし混むしで、考えるだけでも憂鬱だよ(-_-;)

私も、人のコト言えないよ。
別れたオトコと関係が切れなくて、妊娠して
解った直後にそいつにも家族にも堕ろせって言われて、ショックで次の日流産なんて。

始まっちゃいけない生命だった。解っていたのに、始めさせてしまった。
どんな結果になっていたとしても、仮に生まれていたとしても罪なんだと思った。
守れなかったことで、さらに自分を責めていたの。
ずっと、この罪を償わないといけないって。

夫は、このことを知っていて理解してくれてる。
だから結婚前、筋腫が大きくなるってリスクがあっても
私が二度とそんな思いをしたくないからと望んだピルを飲むことに反対しなかった。
でも、それが今は余計に申し訳なくて辛いよ。
生理が来る度に、やり切れない気持ちになる。
妊娠出来ないことも、筋腫の手術が必要なコトも
私は罰なんだって思えるけれど、夫は何の罪もないのに巻き込まれて。

だから、本気で妊娠するために取り組まなきゃって思った。
夫に私たちの赤ちゃんを抱いてもらうために。
手術でも何でも、私に出来ることは何でもしようって。
そして、今度こそ失った生命の分まで愛そうと。

23才の夏から、罪の意識に怯え続けて20代がもうすぐ終わる。
30才目前の今、手術することをきっかけに新しい自分になれたらいいなって思うんだ。

話してくれてありがとう。
少しでも前を向くきっかけになってくれればいいなって思うよ。
自分のお腹の中に、確かにいた生命だもん。
どんなカタチであれ、失った痛みは同じだよ。忘れることなんて出来ないよね。
でも、それでいいんだと思う。
失ったことがある私たちだから、もっともっと大切に出来るんじゃないかな。
お互い、道は険しく長いけれど自分のペースで進んでいこうね。
ココロは、すぐ側にいるから。



あの頃私は。。。
2002年08月03日(土) きぬ@家族旅行
2005年08月02日(火) 親友

私は、親友だからって
何でも話せばいいとは思っていません。
それで、関係の濃さを測ろうとも思っていません。

親しき中にも礼儀ありっていうし
言えないこともいっぱいある。

それは
心配させたくないからでもあり
傷つけたくないからでもあり
嫌われたくないからでもあり
今の関係を壊したくないからでもあり。

でも、共通しているのは
その人が大好きで
とても大切だっていうこと。

何も言わなくていい。
でも、話してくれた時には
絶対に味方でいるし、力になるよって思っている。

大切なのは
その人との間に何か起きた時に、完全に修復出来るだけの強い絆を
常に持ち続けているのかっていうことなんだ。

全てを話せるかどうかなんて、関係ないんだよ。


あの頃私は。。。
2004年08月02日(月) 惰性
2005年08月01日(月)

前の人と別れたのも
その前の人と別れたのも
魔性ちゃんと決別したのも
夏だった。

初めての急性胃炎も
初めての胃カメラも
2回目の胃カメラも
夏だった。

初めてのMRIも
手術を決めたのも
夏。

そして、何度も
友情のあり方を考えさせられるのは
夏。

彼と一緒になって
花火や、海や流れ星
それも素敵な夏の思い出だけど

夏の影は、濃すぎるの。

だから私は
夏が嫌い。


あの頃私は。。。
2003年08月01日(金) 1番じゃない
2002年08月01日(木) きぬ@3兄妹

華泉 |MAIL
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