まろやかな日々
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2005年07月31日(日) 母の電話

お昼前、友だちに逢いに行くのに
駅まで彼に送ってもらっている途中
母親から電話がありました。

「具合はどうなのよ。手術するって聞いたけど」
と、言うので
「すぐに掛かってくるかと思ったら、電話が来ないから
 たいして心配してないのかと思ったよ」
と、答えたら


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・・・心配しているって、そっちかよ☆
冗談であってほしい。。。

まだ、手術日が決まってないので
決まり次第、連絡すると言いました。

病院が遠いと、通うのが大変だと気にしていましたが
距離はあっても、曲がるトコロが2ケ所しかないので
迷うことはないでしょう。

出産でもないのに、娘の入院の世話なんて
したくないだろうな、と思ったら
親不孝で、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

ごめんね。


あの頃私は。。。
2004年07月31日(土) 影絵
2002年07月31日(水) きぬ@MとN/まろ@絶対N!

2005年07月30日(土) 漢方セミナー

「元気でハツラツとしたお母さんじゃないと、赤ちゃんは来ないんだよ。
 栄養が足りないお母さんのトコロに来たら
 栄養を十分にもらえなくて、きちんと発育できないし
 お母さんも、栄養が足りないと鬱や悪阻になりやすくなるし
 赤ちゃんを抱えて10ケ月もたないかもしれないし
 なんとか出産出来たとしても、その後の赤ちゃんの世話をして
 身体がどんどん疲れてガタガタになっちゃう。
 いくら望まれていても、お母さんが苦しむって解っているところに
 赤ちゃんが行くと思う?
 まずは、自分の身体作りから始めないと」

漢方薬局の、妊娠セミナーに行きました。
上記は、その講師を務めた代表者の言葉です。

セミナーって言葉に、彼は過剰反応していたけれど。
最初は、行っちゃダメ!って言っていたけれど
どうにか説得して、心配されながらも参加することが出来ました。

行ってよかったです♪

セミナーは、1.5時間で参加者は10人くらい。
舌で今の健康状態をチェックして
食生活もチャックして、東洋医学的に妊娠に向けて必要なコトについて
話をしてくれるという内容。

まず、面白かったのが
結婚してすぐに子作りするのが身体の状態はベストなんだ!っていうこと。
結婚した直後は、気分が高揚していて
ホルモンバランスも充実しているコトが多いんだって。
年齢的に見ても、女性は7の倍数で年を取るそうで
ピークが28歳なので、ピークを過ぎてから子作りを始めると
支障が出る場合が多いとのことなのです。

今の時代は晩婚化が進んでいるし
結婚しても、シゴトが落ち着いてから。。。とか
2人の時間を楽しみたい。。。などと子作りを始めるのが遅くなりがちなので
本人は自覚していなくても、妊娠しにくい状態になっている人は
相当数いるんじゃないかという話でした。

私たちが子作りを開始したのが28歳。
ちょうどピークの頃で、それから老化が始まっている今もベビーが来ない。
筋腫があるって解っていたんだし、もっと早くに取り組めばよかったのかな。
でも、私は
子どもが全てではないし。

体調は、舌の状態に現われるらしく
私の舌の状態は・・・青い。
これは、身体が冷え過ぎていて邪気が溜まっている状態なんだって。
食生活も最近は忙しくて滅茶苦茶。
そういう状態に、参加者の多くがなっているらしく
「漢方を飲めば、全てが解決されるわけじゃないのよ!
 あくまでも手助けだけなの。
 まずは食べることから改善しないとダメ!!!」
と、講師にお説教されちゃいました☆

耳に痛いことばかりだったけど
養生しただけで、卵管が詰まっていた人も自然妊娠出来た!って話を聞いて
養生すれば、手術後の癒着も最小限になるのかしら?って期待しちゃった。
単純な私☆

手術前から体調を整えて、手術を無事終えて
バッチリな状態で、妊娠に向かって行きたいな。

今日はセミナーだったので、他に人がいて
個人的な話は出来なかったけれど
きちんと話を聞いてみたいなって思いました。

彼は許してくれるかしら。。。



あの頃私は。。。
2005年07月29日(金) 心の波

何度も言うようですが、ここは私のココロの一部であって
全てではありません。

確かに、残しておきたいような
ココロが、+にも-にも揺さぶられた時に書いているのだけれど。

でも、-の感情の時には
その感情だけに引き摺られないように、制御する気持ちが働いているから
大丈夫なんです。

海のように
波は、寄せるだけではなくて
返す力を持っている。

どんな大きな心の波だって
返す力を持っている。

ここが全てだと思われて
書く内容を縛られてしまうこと程、苦しいことはありません。

ここは、私のココロの拠り所だから。

これからも
私のココロのカケラは
ここに仕舞ってもいいでしょ?


あの頃私は。。。
2003年07月29日(火) 労い
2002年07月29日(月) きぬ@メール
2005年07月28日(木) 報告

火曜日。

職場に報告した。

私とコンビを組んでいる後輩(♂)は
4月から配置替えで今のシゴトになった。
私も、4ヶ月で独り立ちすることになって
本当に辛かったから
病休とはいえ、長く休むのは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

上司にも報告した。

まだ、日程が決まってないので
手術する予定ということだけ伝えた。
そして、シゴトが大変な時期ということは解っているけれど
それは考えずに、自分の身体を第一にしたいということも。
だから、病院との都合が合えば
なるべく早く、決意が揺らがないうちに
手術を受けたいということを話した。

2人とも、解ってくれた。
シゴトはいいからと言ってくれた。
ありがたい。

私は、私の道を
まっすぐ進むからね。

夜は、母親にも報告しようと思って実家に電話したけれど
母は卓球でおらず
仕方がないので、妹に報告した。

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つ、冷たい。。。
まぁ、いいけど。
たぶん口だけだからね。

あの頃私は。。。
2002年07月28日(日) きぬ@めぐり逢い
2005年07月27日(水) 最終決定

おととい、ピーコ先生に話を聞いてもらった後。
ピーコの助手先生(♀)にも話を聞いてもらった。

基礎体温のコト。

前のトコロでは、高温期が短いって言われていたんですけど
それは不妊に関係しているんですか。
「それだけが原因かどうかは、何とも言えません。
 でも、きちんと二層に分かれているし
 排卵が遅いだけだと思います。
 ただ、排卵が遅いと
 その分卵子の質が落ちてくるので、それで妊娠し難い場合もあります」

その話に納得して、帰り道に彼が
「同じ写真を持って行っているのに、説明がこんなに違うなんて」
と、ビックリしていました。
大学病院のセンセイは、厳しい見解。
ピーコ先生は、前向きな見解。
「実際に自分が執刀するわけじゃないから、ピーコ先生は気楽に話せるのかもね」
と、彼が言いました。

前向きに考えられるようになってきたけれど
これで決めていいのか、やっぱり不安もあって
ネットで見つけた、都内にある口コミで人気の病院に
サードオピニオンを聞きに行こうと思いました。
最後に、もう一度。

でも、電話したところ
来月末まで予約でいっぱいだそうで、諦めました。
ここで待っても、別な病院を探しても
結果は同じような気がして、時間が無駄に経つだけだなって思って。

早くベビーに逢いたい。
それだけなんだもの。

ここで、手術を受けようと決めました。
自分の可能性を開くために。

彼には、心配も負担もかけてしまうけれど。
応援するって言ってくれたから。

夕飯を食べた後、習字に行きました。
習字のセンセイに、手術を受けることに決めたと言いました。

彼との間で決めただけだったので、口にしたら
しっかりとした覚悟が出来ました。

頑張ろう。
頑張ろう。
きっと上手くいくよ。


あの頃私は。。。
2002年07月27日(土) きぬ@ペーパーアイテム
2005年07月26日(火) 希望の光

昨日、午後から
彼の検査結果を聞きに行きました。
そして、私の結果についても相談しました。
センセイは、ピーコみたいな人。

彼の結果は、よくありませんでした。
有効な精子が、前回の数値の半分もいないの。
前回もギリギリだったのに。
「たぶん、体調の良し悪しで
 この幅で変動するってコトなんだよ」
と、センセイは言いました。
「これは・・・、微妙だねぇ。タイミングだけでいけるかどうかっていうのは。
 そもそも、タイミングっていうのは4回で頭打ちだからね」
言いながら、データを見せてくれました。
私はサッパリだったけれど、彼は説明されるまでもなく理解したみたい。
もう既に、タイミングで半年が経っている私たち。
転院したのは正解だったんだ、と思いました。

私のMRIの結果を見ての見解についてセンセイは
「取った方がいいと思うな」
と、言いました。
「出来ている場所がね。これもまた微妙なのよ。
 妊娠して、子宮が大きくなった時に
 筋腫が上の方に行けばいいけど
 横に来た場合胎児を圧迫する可能性が高い」
そして、エコーでも診てもらってから言われました。
「それにね。この大きさだと、結局取るコトになるよ。
 症状がない今のウチの方が、ダメージは少ないよ」
それから、私たちの話を聞いてくれました。

大学病院のセンセイは、リスクのコトばかり言うんです。
子宮を取るかもしれないとか。
「それはね。
 患者への説明をきちんと行なうということが徹底されているからだよ。
 今は、少しの説明不足でもミスだ何だって叩かれる時代だから。
 だから、いん石に当たるくらいの確率でも説明するんだ。
 いん石に当たるくらいの確率でも
 もし当たってしまった時に説明されてないってコトになったら
 本人や家族は納得しないだろうし、裁判で医者は必ず負けるからね。
 でも、実際に子宮を取るような事態になるのは
 それくらい低い確率の話だよ」

手術の方法は、開腹って言われたけれど
他の方法はないのですか。
「腹腔鏡で手術することもあるけれど
 病院でそれが可能であるにもかかわらず、この症例はしないと言われたのなら
 本当に大事を取って、安全策で行くってコトだね。
 腹腔鏡手術は、カメラを使って行なう手術だから結局は慣れなんだよ。
 それを専門でやっている医師がいる病院なら
 この症例でも出来るっていうだろうね」

やっぱり、開腹手術をしたら普通分娩は出来なくなってしまうのですか。
「それも、大学病院ではお約束の説明だね。
 きちんと説明してくれていると思うよ。
 確かに、普通分娩は難しい。子宮の切ったところが弱くなっていて
 破裂してしまうコトがあるからね。1.5%くらいの確率で。
 でも、病院によっては普通分娩に積極的にチャレンジさせるところもある。
 ダブルスタンバイといってね。手術の準備もしておくんだ」

帝王切開で出産した場合、何人も産むのは難しくなるのですか。
「そんなことはないよ。癒着の程度にもよるけどね。
 10人産むっていうのは難しいけど、3人くらいは平気だと思うよ。
 ただ、それは絶対とは言えないんだ。あくまでも可能性で考えてね」

これは、個人的な意見になるけれど
と、前置きしてセンセイは言いました。
「納得行かなければ、他の病院に行くのもいい。
 その場合は、腹腔鏡を専門にやっているところとか
 タイプの違う病院に行かないと意味がないよ。
 ただ、いろんな病院にかかるのは精神的に厳しいと思うよ。
 今かかっている大学病院のセンセイは、しっかりしているようだから
 任せるのもいいんじゃないかな」

そうか。。。
そうだね。
段々、腹が決まってきました。
前向きに。

「キレイに取ってさ。
 何も問題ない状態にして、半年経ったらまたおいで。
 そしたら、本気で挑戦しよう」

きぬちゃん、って
ちょっと慣れ慣れしいピーコ先生だけれど
力になってくれそうな気がしました。

ちょっと、光が見えました。

 

あの頃私は。。。
2002年07月26日(金) きぬ@恐妻組合
2005年07月25日(月) 検査結果

大学病院で行なった、ガン検診とMRIの結果を聞きに行きました。
早めに家を出て、1番に診察してもらいました。

ガン検診は問題なし。
筋腫のコトは、MRIの写真を見ながら説明されました。
筋腫は5〜7cmの球体。
内膜に接し、子宮を圧迫していました。
これじゃ、妊娠出来ないな・・・って素直に思いました。

「手術した方がいいと思います」
と、センセイが言うと
彼が珍しく興奮して
「絶対に手術はうまくいくんですか」と、聞きました。
私の身の安全を第一に考えて言ったのだと、すぐに解りました。
センセイに「それは言い切れません」と言われて
ますますエキサイトした彼をなだめた時
緊張していた気持ちが一気に落ち着いて、きちんと話を聞く覚悟が出来ました。

手術するとしたら、どのような方法で行なうのですか。
「この状態だと、開腹手術がいいと思います。
 内膜に接しているので、難しい手術になります。
 確率は低いですが、出血が酷い場合
 子宮を全摘出することもあります」

お腹は、縦に切るのですか。
「そうです」

手術後、妊娠した時の出産方法はどうなりますか。
「帝王切開になります」

やはり、筋腫が妊娠の妨げになると考えますか。
「それは、言い切れない。
 妊娠は、健康な人でも
 ものすごい確率の下に成立するのだから。
 しかし、仮にこの状態で妊娠したとしても
 身体や、胎児が出産までもつかどうか解りません。
 母体をいい状態にしてから、妊娠を考えた方が安全だと思います」

逆に、手術したことによって妊娠出来なくなるということはないのですか。
「それも、絶対にないとは言えない。
 回復すれば、癒着が起き易くなり
 それが新たな妊娠の妨げになる場合があります。
 縫い方を工夫して硬式野球のボールのようにしたりするなど
 癒着が起きないように尽力しますが。。。」

命にかかわるものではないし
すぐに治療を要するような症状が出ているわけではないので
結局、決定するのは本人なのです。
  
「今すぐ決めなくても大丈夫だから。
 決めたら、また来ればいい」
と、センセイも言いました。

自分が
納得出来るか、どうかだけ。

診察を待っている間、廊下に貼ってあった新聞などを見ると
それを専門にやっているだけあって、経験を積んだ医師のようだし
今日の説明は、初診の時とは違って
信頼出来そうな感じがしました。

でも、ハッキリとした症状がないからこそ
不妊治療の観点から、本当に必要なのかどうか
確認しようと思いました。

MRIのデータを貸してください、と言うと
紹介状を書いてくれました。
でも、返さなきゃいけないみたい。
有料でコピーも出来ると教えてくれたけれど
とりあえず貸してもらうことにしました。

診察室を出ると、彼はエキサイトしたことを
とても反省していました。

でも、彼がいたから。
私は落ち着いて話が出来たんだよ。

「欠陥商品でごめんね」と言ったら
怒られました。

それでも、一緒にいてくれることに
感謝の気持ちでいっぱいです。

午後からは、彼の検査結果と一緒に
この結果についても相談します。



 

あの頃私は。。。
2002年07月25日(木) きぬ@うれしい言葉
2005年07月24日(日) 催促

双児を産んだ友だちに逢いに行った。
彼女の実家には、何度か行ったことがある。

手土産と、お祝いのママバッグを渡したところで
彼女のお母さんがやって来て
「こればっかりは授かりものだけれど
 早く赤ちゃん、欲しいわよねぇ」
と、言われた。

何て返事をすればいいのか、解らなかった。
悪気はないんだと思う。
それとも、不妊だって知っていて同情していたの?
「私は赤ちゃんが出来ないんです。頑張っているんです」
って、言えばよかったのだろうか。
でも、それでなくたって
ここに来るのに、こんなに勇気がいったのに
わざわざ自分の傷を広げるようなことなんて、言えるはずもない。
ただ、笑って誤魔化すだけ。

今まで、職場でほのめかされても
冗談にして流すことが出来たのに。
気を使って言わないだけなのかもしれないけれど
親にすら言われたことがなかった。
初めてまともに言われて、こんなにキツイ言葉なんだって思い知った。

苦しいけれど、我慢。
彼女に悟られちゃいけない。
彼も、彼女夫妻に打ち明けたいのを我慢しているんだから。

ベビーを抱かせてもらうと、彼女が
「きぬちゃんに病院に連れて行ってもらわなかったら
 ここにはいなかったんだよ」
って、話しかけていた。
ちょっと救われた気がした。

でもね。
私は、あの病院じゃ手に負えないの。
どうすればいいのか、解らないの。
赤ちゃんを見るだけで、苦しいの。
毎日毎日。

思いのほか、長居してしまった。
帰り際に、ウチでは絶対に買えない高価なお皿を頂いた。

クルマの中で、「えらかったね」って彼に言われて
涙が止まらなくなった。
彼にも苦しい思いをさせてしまった。
ごめんねって、繰り返す。



あの頃私は。。。
2005年07月23日(土) 予約

彼の2回目の精子検査に行きました。

結果は月曜日です。
その日は、MRIの結果を聞く日でもあります。

今日の病院のセンセイにも
MRIのデータを診てもらいたくて、その依頼をしました。

彼が、検査を始める前に言ってくれたので
看護士さんが、待ち合い室にいた私のトコロに話を聞きに来ました。

症状がないので、本当に手術が必要なのか
不妊治療の観点から診てほしいということを話しました。

それは、これからここで治療を受けるというコトでいいですか?
と聞かれて、はいと答えると
彼と同じ時間に予約を取ってくれました。

新しい不妊治療。
不安と期待が入り交じっています。


あの頃私は。。。
2002年07月23日(火) きぬ@オンナのロマン
2005年07月21日(木) 葛藤

双児を産んだ友だち。
ベビーも退院して、実家に戻っているけれど
お祝いに行くことにした。

今度の日曜日。

「妊娠を優先して排卵誘発剤使い続けてたけど
 その過剰投与で多胎妊娠やたくさんの副作用ひきおこしてた。
 仕方ないと思ったし覚悟はしてたのに
 多胎で早産して子供見てはじめて後悔した。親の勝手だったのかな、って。
 肺や呼吸器が未熟でミルク飲むのも苦しんでる。
 自分の子が苦しむのを見るのは何よりつらいよ。
 いろいろ話きいてもらえたらうれしいな」

メールの彼女の話は、ちょっと苦しい。
心ない言葉を言いたくなる。
ソレデモ、デキタンダカライイジャナイ。
でも、妊娠出来ない自分のいら立ちを
彼女にぶつけてはいけない。
それは絶対に、してはいけないこと。

「私、彼女にヒドイことを言わないでいられるかな」
って、彼に聞いたら
「きっと大丈夫だよ」
と答えてくれた。

ちょっと自信ない。
でも、大丈夫だよね。

やさしい気持ちで、彼女に逢いたいよ。


あの頃私は。。。
2002年07月21日(日) きぬ@モーレア島
2005年07月19日(火) セカンドオピニオン

昨日、TVで
お医者さんが集まって
医療関係の討論やアンケートみたいなのをやっていました。

「セカンドオピニオンは必要だと思いますか?」
の質問に、会場の医師全員がyesと解答していたけれど
ある看護士さんは
「自分の治療方針を否定されている、信じてもらえていないと感じて
 面白くないと思う医師もいるのでは」
と発言していて、なるほどとも思いました。

もしかして、これから手術を受けるかもしれないという立場になった私ですが
今、検査してもらっている病院で結論を出そうとは思っていません。

今の病院の医師が合わないというのもあるし
本当に手術が必要なのか、きちんと見極めたい。

自分の命を預けるんだから
納得して、信頼出来る人にお願いしたい。

それが、セカンドオピニオンってことなのでしょうか。

セカンドオピニオンを受ける場合
多くの病院では紹介状を持ってくるようにというけれど
それは、とても高いハードルのように思います。

先述の、看護士の発言を思えば余計に。

もっと簡単に、いろんなお医者さんの意見が聞けるような
システムになればいいのにね。

私の試練は25日。
MRIのデータを借りられるよう、依頼する予定です。




あの頃私は。。。
2003年07月19日(土) 大掃除大会
2002年07月19日(金) きぬ@嘘
2005年07月18日(月) 5年

彼と付きあい出してから、もうすぐ4年半。

前の人とは、丸5年で別れた。

彼との付きあいが丸5年になった時
仲良く一緒にいられるかな。

不安になって彼に聞いてみた。

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よかった。
ちょっと安心した。


あの頃私は。。。
2003年07月18日(金) いただきもの
2002年07月18日(木) きぬ@もんじゃ
2005年07月15日(金) 穏やかな気持ち

昨日から生理が来たのに。
穏やか。

やるべきことが、解ったからかもしれない。
今は、仕方ないんだって。

でも、センセイは信頼できないし
問題は山積み。


あの頃私は。。。
2003年07月15日(火) 病院
2002年07月15日(月) きぬ@スパ
2005年07月11日(月) 不信

MRIの検査を受けました。

検査室の技師さんも、看護士さんも
とてもいい人。

ちゃんと説明してくれたし、準備も丁寧だったし
話も解り易かった。

検査が終わって、お会計の時
前回の検査の不足分が追加徴収されました。

そんな話、全然聞いていなかったので
窓口に、何のお金なのか尋ねてみると
迷惑そうに貼り紙を見せて、「センセイに聞いてないんですか?」と言いました。

聞いてないから質問してるんじゃ!

その貼り紙は、病理検査の内容によっては即日金額が決まらないので
次回になることもあります、と書いてありました。

だから、その内容が知りたいんだっつーの。

頭に来たので、結局何がなんだか解らないまま
追加料金を支払いました。

偉いセンセイは、治療費のことなんか
いちいち気にしてないんだろうけどさ。
彼が検査しに行った病院のセンセイは、最初に費用を話してくれたので
そのギャップに驚き、大学病院ってみんなそうなの?って
嫌な気分になりました。

そうなると、その偉いセンセイの
態度の冷たいところなんかが思い出されて来て
どんなに上手いセンセイだとしても
ここで腹を切るのは辞めようと思ったのでした。

信じてない人に、命を預けるわけにはいかないのです。


あの頃私は。。。
2003年07月11日(金) 2番
2005年07月09日(土) 精子検査

彼の精子検査に行きました。

ギリギリだったけど、問題ないみたいです。
よかった。
でも、2回は検査しないと正しくは判断できないみたいなので
2週間後にもう1度検査することにしました。
次の検査は、遠心分離して調べるそうなので
今日のように即日結果って訳にはいかないみたいだけれど。

結果を聞きに行く日も予約したのですが
その日は、私のMRIの結果を聞きに行く日でもあるので
データを借りて、こっちのセンセイにも見てもらおうと思っています。

彼には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ホントに。ホントに。

助けが必要な時は、真っ先に言ってね。
絶対、力になるからね。

あの頃私は。。。
2004年07月09日(金) 不謹慎な記憶
2002年07月09日(火) きぬ@衣装合わせ
2005年07月08日(金) 枯れた夫婦

地元の友だち2人(♂♀)と食事に行きました。

♀の友だちには、去年の夏に別れて即ヨリを戻した彼がいるんだけれど
一緒にいてもつまらないし、話すこともないと言っていました。

その彼のために、休みを丸1日作るのがもったいない。
友だちと一緒の方が絶対楽しいもん。
だから、2週間に1回くらいしか逢わないし
逢っても夜からで、ご飯をその辺のファミレスで食べておしまい。

キライじゃないんだけどさ〜
別れる理由もないしって彼女は言うけど。

それって、付き合ってるって言えるのかなぁ???

付き合っている期間は、私と彼よりも
彼女とその彼の方が長い。
でも、それくらい一緒にいたら
枯れた夫婦になっちゃうのかなぁ。
そんなの絶対嫌。
少なくとも今は、ずっと一緒にいても
話すことはいっぱいあるし、楽しく過ごせるのだけれど。

つまらないのに一緒にいるなんて
キライじゃなくても、付き合っている意味ないと思う。
それこそ、時間の無駄じゃないのかな。。。


あの頃私は。。。
2002年07月08日(月) きぬ@反響
2005年07月05日(火) 最後のプレゼント

土曜日に、私たちの結婚式のプロデューサーからメールがありました。

私たちが結婚式を挙げたレストランが
6月いっぱいで閉鎖し、取り壊すことになっていて
レストランに縁りのある品を
そこで結婚した一部のカップルに譲ってくれるそうなのです。

「今日、送りました」と
メールには書いてありました。

そして、日曜日。
その品は届きました。

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とても感激しました。
そこで結婚したカップルは、かなりの数いるハズなのに
その中から私たちを思い出して、プレゼントしてくれたことに。

緑の屋根の
あの佇まいを実際に見ることはもう、ない。
でも、思い出していける。
プレートの真ん中に印された、緑のロゴを見る度に。
写真を見るように、鮮明に。
私たちが、このレストランから
最大の祝福を受けて海に出たことを。

レストランからの、最後のプレゼント。
大切に、するからね。



あの頃私は。。。
2003年07月05日(土) 徒歩
2002年07月05日(金) きぬ@入選
2005年07月04日(月) 惚れ直す

先日、大学病院に行った後に彼が
「自分に原因があるのかもしれないのに、それがハッキリしないまま
 手術させるなんて出来ない」
と言って、精子の検査を決めました。

大学病院でも、そのコトを聞いたのだけれど
「婦人科では、やっていません。
 ここの泌尿器科か、別の不妊外来で検査してください」
と言われて、その時には出来なかったの。

病院を探していく中で、不妊治療専門の婦人科病院を見つけて
感じがよさそうだったので
彼が自分で電話して、今日の診察の予約をしました。

婦人科の医院に、男性である彼が自分から電話し
診察を受けることに何の抵抗も持たない。
自分が、必要だと思い決めたことに対しては
迷うことなく進んでいける。

そこが、彼の大好きなところ。
尊敬できるところ。

惚れ直しました。



あの頃私は。。。
2002年07月04日(木) きぬ@おしゃべり
2005年07月03日(日) 父との会話

昨日、昼間は同期2人と舞台を観て
習字教室にご挨拶に行った後
実家で夕飯を食べさせてもらいました。

彼はスロットに夢中で
夜までやりたいとのコトだったので。

妹は友だちと遊びに出かけていて
母は卓球サークルの練習に出かけるところ。

夕食は、久しぶりに父と2人で取ることになりました。

父と私は、結構仲がいいので話が弾んで
来年に迫った父の定年の話になりました。

定年後、どうするのか。
母や妹とでは怒ってしまって、ロクに出来ない話をしてくれました。

父は、工場勤務で
夏は40度もの気温の中で、40kgもの商品を運んだり
加工したりするシゴト。
滴り落ちる汗で商品をダメにしないよう、細心の注意を払いながら。

社員の高齢化が進む中、1人1人に架かる負担は増々大きくなり
やっとの思いで働いていると。
退職後、生活が厳しくなるということは解っていても
再雇用は考えていない、と言いました。

そこまで言う父を見るのは初めてだったので
「そんなコト言ったって、毎日パチンコは出来ないんだから
 ヒマで仕方ないかもよ」
と言ったけれど、決意は固いみたい。
年金を前倒して、どうにか食い繋げばいいと言っていました。
幸い、ローンもないし。

そっか。
45年も働いていたんだもんね。
それでここまで育ててもらったんだし。
何も言えないな。。。
せめて、ボケないようにしてねってくらいで。

糖尿病なのに、それでも生活習慣を変えない父が
あとどれくらい生きられるかなんて、誰にも解らないし
本人が言うように、それをビビッて好きなコトを我慢したくない
という気持ちも解らなくはない。
長生きしてほしいけど。

とりあえず、毎日エアロバイクは欠かさないでね。

ちょっとうれしかったこと。
友だちの子どもの話から

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認めてもらえた気がして、ホッとした。
うれしかった。

帰りは、卓球サークルから帰って来た母に送ってもらいました。
筋腫のコトや、今日の父のコトを話しました。
母とも、2人で話したのは久しぶりでした。

なんだか、親孝行出来る期間って
あと少しなのかもしれないなと、漠然と思いました。
今のうちに、大切にしよう。出来るだけ。




あの頃私は。。。
2002年07月03日(水) きぬ@パイナップル
2005年07月02日(土) 初パンク

月曜日、病院に着いた時
えむぞうの左前のタイヤが減っていることに気がつきました。

嫌な予感。。。

診察の後、彼が普段よりゆっくり目に運転して
最初に見つけたGSに入りました。

やっぱり
初パンクでした。
釘が刺さっていたみたいで。

私が免許を取ってから数えても初めてのことです。

タイヤを替えないといけないのかと思いきや
自転車のタイヤのように、修理できると聞いてホッ。

今は快適ドライブです。




あの頃私は。。。
2002年07月02日(火) きぬ@リゾートセット
2005年07月01日(金) 小さい人間

自分でも小さい人間だなって思うけれど
今の状況では、浮かれた話に付いていくことは出来ない。

子どもの話ならなおさら。

だからといって
慰めや励ましなんていらない。

特に、子持ちの人からは。

「出来るまで、私も大変だった」って、いくら聞いても
結局は出来たんでしょ、って思ってしまうから。

今日のTDLは、平日なのに何故か子どもが沢山いて
悲しくなった。

浮かれたメールも届いて
本当は一緒に浮かれるべきなのに、そんな気分になれなかった。

大好きな友だちなのに。
喜ぼうと思っても、苦しい。
そんな自分が、とてもちっぽけに思える。
大嫌い。
涙が止まらない。

泣きながらビックサンダーに乗って
思いっきり叫んだ。
ちょっとスッキリした。

彼が、そんな私を見かねて
その友だちに話そうとしていたけれど
言わないでと頼んだ。
まだ、我慢できる。
こんな小さい嫌な自分を曝したくないから。

だって、ちょっとずつ進んでいるはずなんだもの。
時間が足りないだけなんだ。
もうちょっとだけ、そっとしておいてくれれば
大丈夫。



あの頃私は。。。
2002年07月01日(月) きぬ@公表

華泉 |MAIL
まろの気まぐれ日記
まろ様へ
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