まろやかな日々
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2005年02月27日(日) 生きていく

3日ぶりにPCを立ち上げたら
24本のメールが来ていた。

でも、内容があるのはその半分もない。

北海道に行く前は、毎日見ていたPC。
でも、帰ってきても
すぐに立ち上げようとは思わなかった。
なんだか、億劫になっていた。

そういうことで、妙にホッとしたりする。
私は、まだ依存しきってはいないって
安心したりする。

それだけしかないって、寂しいもの。

私が関わる全てのものへ
自分の存在意義を確かめながら生きている。

昨日みたいに、やり切れなくなったり
悲しくなって泣いたりしながら
それでも、全力でぶつかっていく。

生きていく。

あの頃私は。。。

2005年02月18日(金) 排卵

シゴトを午後から休んで
病院に行ってきました。
排卵しているか、確認するために。
今日は、生理初日から数えて
14日目なのです。

検査項目は4つありました。
1:尿
2:分泌物(排卵時には、顕微鏡で見るとシダ植物のような模様になるらしい)
3:エコー(卵子の大きさのチェック。排卵時は17〜23)
4:子宮内膜の厚さ(排卵時には厚くなる)

個人差で多少幅があるようなのですが
排卵時の平均値があるそうで、検査によっておおよその排卵時期が解る仕組み。
それで、タイミングを計るのです。
今回がダメでも、このデータを参考に出来るしね。

で、今日の私の状態は
どれを取っても、排卵が近いとは言えないということが判明しました。

まぁ、血液検査で
排卵し難いホルモンバランスだって解っていたけどね。

卵胞は1日に1〜2mmしか大きくならないそうなので
火曜日に、もう一度診てもらうことになりました。

彼は、それまで禁欲生活です。
かわいそうに。

でも、うれしいことが1つ。
今回のエコーで診たところ
子宮筋腫は3.5×2.5ということが判明。
前に言われていたのより小さいの。
とてもホッとしました。

それでも、やはり小さくても筋腫は治療の妨げになるらしく
「筋腫があるから、ホルモン治療はギリギリまでしないようにしようね。
 どうしてもダメならその時考えよう」
と、言われました。

卵胞は、右側で12.5と8.5の2つと
左側で6.5の3つが育ち始めていました。
「いつもこの時期になると、右腹が痛くなるんです」
と、言うと
「あー、排卵痛だね。これだと痛くなるよね」
と言われました。
突っ込んで聞けなかったけれど、火曜日にきちんと聞いてこようと思います。

また半休取ることになるけど。
ヒマだからいいのだ。
これが、前の職場だったら絶対無理だったな。

帰りには、以前から気になっていた
漢方+針の治療院に行ってみました。

鉄不足と言われてから、ずっとお茶断ちしていたけれど
どうしてもガマン出来なくて
鉄分を壊さないお茶が欲しいというのもあったし。

いろいろ話を聞いてもらって
やっぱり、今の病院の効果を高めるためにも
体質改善が必要だなって感じました。
針は、それが有効みたい。

彼も許してくれたので
来月くらいから、行ってみようと思います。

いつもお邪魔しているHPで
今までずっとクヨクヨしたカキコしか出来なかったけれど
彼との子どもをこの手に抱くために頑張ろうって
前向きなカキコが出来るようになってきました。
みんなも、そんな私を祝福してくれました。
待っているのは、それぞれの赤ちゃん。
でも、1人じゃないんだって思いました。

これからも、頑張れそうな気がします。



あの頃私は。。。
2003年02月18日(火) 自虐
2005年02月14日(月) バレンタインデー

古巣の後輩にもらいました。

彼ではなくて、私が。

時々一緒に遊んでいるの。
愛を感じてしまふ☆

彼は悔しがっていました。
えへ♪

い〜でしょ〜。

あの頃私は。。。
2003年02月14日(金) バレンタイン
2002年02月14日(木) まろ@プロポーズ/きぬ@ナミダの訳
2005年02月13日(日) グレーゾーンの幸せ

友だちが遊びに来ました。

彼女は、学生の時からの友だちです。
ちょうど、10年くらいになるのかな。

いろんなコトがあった。
その度に、絆が深まっていく関係。

私が結婚する直前に、一緒に旅行に行って
結婚式には、立ち会ってもらって。
彼女が結婚する時には、私が付けたヴェ−ルを使ってくれて
私は歌を歌って。

家は遠いし
お互いシゴトを持っていて忙しいから、なかなか会えないけれど
電話やメールよりは直接会った方がいいって思っていて
会った時には、それまでの時間を埋めるように気兼ねなくお喋りしているの。

正義感が強く努力家で
いつもクラスの中心にいた彼女。
就職してからも、全力で突っ走ってきました。
私は、そんな彼女をかっこいいなと思っていたし
いつも一所懸命なところを尊敬していたの。
そして、ご主人と出会い結婚。
そんな彼女が、社会人10年目にして
人生の岐路に立たされていました。

1つは、3月末の退職。
もう1つは、不妊。

退職については、シゴトがあまりにもハードで
身体を壊すくらいのものだったので、限界だと常々言われていました。
でも、それ以上に彼女は
精神的に追い詰められていました。

子どもが出来ないことで圧力を掛けられていたのです。

彼女は、お医者に
「子どもが出来るのは、かなり難しいし
 出来たとしても、母体が耐えられるかどうか解らない」
と、言われてしまっていたのに。

本当に悔しい。
今どき、子ども子どもって
うるさく言う職場があるなんて。
親ですら言わないのに。

それ以上に、悲しい。
やり切れない。
諦めるしかなかった彼女の話を聞いても
どうすることも出来ない自分。

何も言わなくても、親はきっと期待しているだろうからって
双方の両親に打ち明けた彼女。
どんなに辛かっただろう。

ずっと
出来るか出来ないか、ハッキリしてくれよ!
・・・って、思っていたけれど
チャレンジ出来るだけ幸せなのかもしれない。

私は、グレーゾーンの今の状態が苦しくて
出来ないって宣告された時の辛さなんて、考えてもいなかったんだ。

ごめんね。
ごめんね。

貴女の言葉で、目が醒めた。
私、頑張る。負けないから。

そして、ご主人と一緒に乗り越えようとしている貴女を
ずっと応援してる。

また、お喋りしようね。


あの頃私は。。。
2005年02月12日(土) 経過見

まもなく薬がなくなるところだったので
病院に行きました。

前回から新しい薬だったので
体調を崩していないか聞かれました。

生理がまだ終わってなかったので
今回は特に検査はせず
基礎体温から判断した排卵しそうな日に
検査をすることになりました。
排卵時期の身体の状態を確認するみたいです。
なので、次は金曜日です。

午後はまったりと過ごしました。


あの頃私は。。。
2005年02月11日(金) 幸せのチョコ

先月末から今月頭にかけて
彼の両親の誕生日だったのです。

ままりんの体調がよくなかったようなので遅くなってしまいましたが
今日、2人のお祝いに食事に出かけました。

ぱぱりんに、早々とバレンタインのチョコを渡しつつ。
彼にはその前に渡しちゃった。
だって、あまりにも美味しそうで待ち切れなくて。

今は、遠くのチョコレート専門店からもお取り寄せ出来るから
本当に便利。
職場の女の子みんなで頼んでおいたの。
勤務時間以外は、ほとんど彼と一緒だから
気が付かれないうちに買えてよかったです。

私が買った史上、一番高級なチョコで
ホントにホントに美味しいの!
幸せのチョコと名付けたくらい。

江國香織のエッセイで
「夫には、自分以外の人にチョコレートを贈らないよう頼んである」
というのがあって
なるほど、と納得してしまったわ。

だから彼に、同じことをお願いしてみたんだけれど
全然伝わらなかったみたい。残念☆



あの頃私は。。。
2003年02月11日(火) 子ども
2002年02月11日(月) きぬ@彼の両親
2005年02月10日(木) ケツの穴が小せぇな

・・・と、彼が言いました。

私たちの、古巣の職場のハナシ。
夕食で出かけた焼肉屋さんで。

私も彼も、長くそこで働いていたから
内部事情はよく解る。
特に私は最近までいたしね。

昼休み、古巣の仲良しさん2人に偶然会った時
グチの嵐だったのです。

それは、小さいけれど
繁忙期である今は放って置けないようなコトの積み重ねで。
彼女たちと一緒に憤ったのと同時に
私の直下だった後輩のコトが心配になったのです。

余計に追い詰められやしないかって。
彼女たちは「あの子はよくやってる」って言っていたけれど。

同じシゴトをやっているのに、チーム間でいがみ合う必要が何処にある?
自分の本当のシゴトを放棄してまで。
協力し合えないからOBが助けに行っているのに
嫉妬やねたみって何なの。

でも、古巣。
手は出せない。

私が、その現状とやり切れなさを訴えた時
彼が表記のセリフを言ったのでした。

でしょーでしょー
そうなんだよ〜!

・・・なんて、勢いに乗って飲み食いしていたら
食べ過ぎで胃が痛くなってしまいました。

く、苦しい。。。



あの頃私は。。。
2003年02月10日(月) 予想外の手紙
2005年02月09日(水) 初めてのメール

ここで日記を書き始めて、随分経ちますが
初めて、エンピツのフォームでメールを頂きました。

今朝、気がついて
本当にビックリしました。

でも、うれしかった。
ありがとうございます。

申しわけありませんが
直接、返事をするつもりはないので
返事に代えて、今日はその人に宛てて日記を書こうと思います。

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☆初めて私にエンピツフォームメールを送ってくれた人へ

 メール、ありがとうございました。
 ビックリしました。とても。
 web上にあるからには、様々な人が見るのは当然なのですが
 カウンターの回転がかなり遅いので
 誰も見ていないものだと思い込んでいました。
 だから、見られていることを意識せずに書いていたのですが
 あまりにクヨクヨとしているので心配してくださったのですね。
 うれしかったです。

 日記の中でしか私を知らない人から見れば
 相当クヨクヨと、毎日思い悩んでいるようにイメージされるのでしょうね。
 当初ここで日記を書き始めた時は、別に日録をつけていたし
 結婚するまでの色々を残すことが目的だったので
 ココロに残ったコトだけをアルバムのように残せればいいと思っていました。
 結婚後、メインの日記がここに移っても
 基本的なスタンスは変えるつもりはありません。
 ここは、毎日を記録するというよりは
 ココロに残った出来事を残す場所と考えています。
 web上であっても日記である以上、自己満足でいいはずです。
 だから、日付は飛び飛びだし
 日付を遡って書く時もあるし
 書きかけのも、タイトルだけになってしまっているのもあります。
 内容だって、貴女が心配されるような
 偏ったものになる時もあります。
 ただ、ここでの私は一部であり全部ではありません。
 「他に夢中になれるもの」も、十分持っています。
 ここには書いていないけれど。
 でも、どんなに夢中になっていても
 我に帰った時に思い出してしまう程、ココロを占めているものってありませんか?
 それが、私にとってここに残しておきたいものであり
 今は、残念だけれどクヨクヨ話ということなのです。

 心配してくれて、本当にありがとう。
 でも大丈夫です。大丈夫。
 これからも、私は私のペースで
 残したいことを残したいように書いていきますので
 よろしかったら、今後も暖かく見守ってくださいね。
 
 そして。
 お互い、頑張りましょう。 
 治療を超えて、奇跡に会えるように。
 幸あれ。

     
  

あの頃私は。。。
2002年02月09日(土) 今日の夕食
2005年02月07日(月)

「病は気から」っていうけど
今日の私はまさにそんな感じ。

胃痛で、シゴトを休んだ。

昨晩、何だかよく解らないけど
涙が出て止まらなくなった。

彼が、ずっと抱きしめていてくれた。
「大丈夫」って何度も何度も
泣き止むまで言ってくれた。
そして、手を繋いで眠った。

子どもが出来ないことが
私をそこまで追い詰めているのだろうか。

胃もココロも、とても痛くて苦しかった。
訳も解らず泣くなんて
頭がオカシクなったんじゃないかって思った。
「私のコト、おかしいなって思ったら
 ちゃんと病院に連れていってね」って
何度も訴えてた。泣きながら。

変なの。

今日、彼をシゴトに送り出してから
ずっと寝てた。
寝て、起きて
水を飲んで、また寝た。
何もしなかった。
胃痛も生理痛も忘れるくらい眠った。
ちょっと、スッキリした。

解っている。
苦しみ、もがき
それでも、前を見続けるしかない。
浮き沈みを繰り返しながら、ちょっとでも前に進めるよう
泳ぎ続けるしかないんだ。

でも、たまには
こんな休憩もいいよね。

彼が許してくれるなら。

ありがとう。



あの頃私は。。。
2005年02月06日(日) 無気力

彼は朝から出かけている。

何もする気になれない。
彼がいないと特に。

昨日。
月末に行く北海道の防寒グッズを買いに行った。
靴とインナーと防水スプレーとカイロ。
1月末に退職した友だちからは
「お疲れさま」と贈ったフラワーアレンジメントが無事届いたとメールが。
夜は、実家の家族と今半。
親戚から今さらもらったお祝いで。

ああ。。。
今日こそ掃除しないといけないのに。
シチューを作ったり、明日のお弁当の仕込みもしなきゃいけないのに。

もうダメ。
もう何もしたくない。

気分が重くて、だるくて、ツライ。


あの頃私は。。。
2005年02月05日(土) 1年なんて

鉄剤の副作用は、もう慣れたのか
今は何ともありません。

そして、今日から生理。

妊娠する気でいて、生理が来ることなんてすっかり忘れていたので
出血にビックリして数えてみると、ピッタリ30日でした。

普通に、いつもの
正常な生理。

やっぱり、ダメだったんだなぁ。。。

これで、「子ども作ろう!」って思ってから
ちょうど1年になります。

1年。
ガッカリし続けて1年。

答えが「yes」か「no」しかなければいいのに。
そうすれば、「もしかしたら・・・」なんて期待に
踊らされないですむ。

この1年がなくなってしまえばいい。
病院に行ったあの日から、新しく始められたら。

でも、このやり切れなさが
簡単に消えるわけない。



あの頃私は。。。
2002年02月05日(火) 今日の夕食
2005年02月04日(金) 手紙

大好きな北海道の友だちから、手紙が来ました。

あの頃私は。。。
2002年02月04日(月) きぬ@バレンタインチョコ/まろ@オトコのロマン☆
2005年02月03日(木) 初対面

昨日、同期に第2子(♂)が誕生したので
病院に会いに行きました。

誕生まで波瀾万丈だった彼女。
表情には達成感が漂っていました。

体調が良さそうだったので、少しお喋りすることが出来て
彼女の話はもちろん
私の話も聞いてくれ、とても心配してくれました。
とてもうれしかった。

うらやましい気持ちもあったけれど
赤ちゃんを見ていると、とても穏やかな気持ちになってきて
彼女にココロから、お祝いを言うコトが出来ました。

幸あれ。
幸あれ。
これから、楽しいことがいっぱい待っているよ。

あの頃私は。。。
2004年02月03日(火) 訃報
2002年02月03日(日) きぬ@オモテナシ

華泉 |MAIL
まろの気まぐれ日記
まろ様へ
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