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2010年03月25日(木)
「ヤフーニュースでは、コソボは独立しなかった」

『ネットの炎上力』(蜷川真夫著・文春新書)より。

(「ヤフートピックス」について)

【トピックス編集チームは約20人で編成されているという。3交代シフトで24時間カバーしている。大阪支社にも2人配置し、いざという場合に東京を補完できる態勢だという。ほとんどが新聞記者、放送記者の出身で、30代が中心となっている。J-CASTでも同じ問題を抱えているが、編集者としてはもう少し経験を積んだほうが好ましい。新聞社でいうと、デスクの経験者だ。しかし、年代が40代以上となると、よほどの人でない限り、ネットに弱く、過去の経験に引きずられてしまい、ネットならではの編集に向かない。
 トピックスチームの責任者は読売新聞の大阪経済部記者出身の奥村倫弘氏である。40歳。新聞社でいうとデスク直前の年代である。1998年に転職しており、ヤフーの中ではベテランである。98年といえば、ヤフーの草創期で、トピックスが誕生したのが98年7月。まだ、海のものとも山のものとも分からない時代の転職決断だったと思う。私が新聞社を退職したのも同じころで、ネットの将来は期待できたが、いつ、ネットメディアがブレークするかは分からない時代だった。奥村氏に先見の明があったというより、転職決断の勇気が素晴らしかったと言ったほうがよいだろう。
 奥村氏が2009年7月に日本記者クラブで「ネット・ニュース、報道機関の社会的責任とモラル」と題するレクチャーをおこなった。集まった記者が聞きたいことの一つが、トピックスにどんな選択基準があるのかである。文章化されているような基準は無いようだった。新聞社にも、ニュースを掲載する基準が細かく文章化されているわけではないから、当然と言える。
「ニュースの価値判断が出来る人間がニュース選定に当たるべきだ」との考えて記者経験者を採用しているということが、「ヤフートピックス」の記事選択基準を示している。新聞、放送のニュース価値判断に近いということである。しかし、現場には、読まれる記事を選ぶか、読ませる記事を選ぶかの葛藤があるという。アクセス数が大きければ、広告売り上げにつながる。会社のためになる。「会社のために、読まれれば読まれるほどお金になるのだから、読まれる記事を選んで何が悪いのだ」という誘惑が怖いという。
 ヤフーで読まれている記事のジャンル別シェアを見ると、誘惑がよく分かる。
 2009年5月の統計では、エンターテインメントが31%、国内ニュースが17%、スポーツが16%。この三つのジャンルで60%を占める。奥村氏は「海外ニュースは7%」だと嘆いた。海外ニュースがいかに読まれないかとの例で、「ヤフーニュースでは、コソボは独立しなかった」と社内では言っているのだという。コソボの独立は2008年の2月。独立の日、一番読まれた記事はお笑いのR-1ぐらんぷりで「なだぎ武が2連覇」だった。コソボ独立記事のアクセス数はR-1ぐらんぷり記事の50分の1だった。
 こういう奥村氏の話を聞いて、ある質問者は「奥村さんはヤフーニュースに絶望して、また、新聞に戻るのではないか」と皮肉な感想を述べた。
 編集の現場には、悩みや葛藤もあることが分かるが、「ヤフートピックス」はヤフーのニュース感覚、編集感覚の真髄といってよい。新聞的バランス感覚もあるが、一方で、新聞とは違った編集にしたいという意思もうかがえる。】

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 この文章を書かれている蜷川さん(現在はジェイ・キャスト代表取締役)も、朝日新聞社出身で、『AERA』の編集長も経験されている「記者経験者」です。
 この本によると、「ヤフーニュース」のなかでも、トップページに表示される「トピックス」に選ばれると、その「関連リンク」にまで非常に多くのアクセスがもたらされるため、この「トピックス」には、大きな影響力があるのだそうです。
 僕もポータルサイトは「Yahoo! JAPAN」にしているのですが、たしかに、あの「トピックス」は、ついついクリックしてしまいます。
 僕と同じような、「なんとなくYahoo!をトップページに設定して、なんとなくトピックスをクリックしてしまう」というネットユーザーはかなり多いと思われますので、たくさんのニュースのなかで、何を「トピックス」に選ぶのかというのは、とても重要なことのはずです。

 マスメディアでは、どんな記事を書くのか、だけではなく、「どの記事を大きく採り上げるのか」という「編集権」に大きな意味があるのです。

 最近、「マスメディア不信」が、とくにネット上では声高に叫ばれ、「もう新聞やテレビの時代は終わった」と言う人も少なくないのですが、この文章を読んでいると、ネット上のニュースも、所詮、新聞記者が取材して書いた記事を新聞社出身のポータルサイトのスタッフが編集して載せているものでしかない、ということがわかります。
 「マスコミはくだらない記事(たとえば麻生さんが帝国ホテルのバーに入り浸っているとか、酒井法子の覚せい剤関連の記事とか)ばかりを紹介して、読者をバカにしている」と、「マスメディア批判」をしているネット上の「知識人」たちは大勢いるのですけど、「読まれている記事は、2009年5月の統計では、エンターテインメントが31%、国内ニュースが17%、スポーツが16%。この三つのジャンルで60%を占める」という現状を考えると、「低俗な記事」が多いのは、伝える側だけの責任ではないと思われます。
 逆に、「商売」としてだけ考えれば、「くだらない記事」のほうが、よっぽどニーズが高いし、効率も良いのです。
 実際は、ネットでニュースを配信する側のほうが、むしろ、「もっと世界の出来事にも目を向けてくれればいいのに……」ともどかしく感じているのではないでしょうか。彼らが、本当に「読んでもらいたい」と思っている記事は誰にも読んでもらえず、一部の「くだらない記事」だけがクローズアップされ、叩かれてしまうのは、きっと悲しいことのはず。
 ネットによって、「情報を受け取る側が、見たい記事ばかりを選ぶ」ようになっていけば、ネット上のニュースは、みんな『夕刊フジ』とか『サイゾー』あるいは『J-CAST』みたいになってしまうのかもしれません。

 もちろん、R-1ぐらんぷりの結果やスポーツの試合も、大事な「ニュース」です。僕だって、そういう記事のほうを先にクリックしてしまいます。
 「マスメディアのレベルの低さ」を嘆く前に、マスメディアだって商売なのだから、「自分たち読み手が求めている記事が、優先的に提供されている」という事実を認めなければならないと思うのですよ。

 僕も最近はほとんど新聞を読まなくなってしまったのですが、先日、ある地方紙を久々に読んでみて、ちょっと驚きました。
 やっぱり、ネットに掲載されている記事とは、分量も考察の深さも違うんだよなあ。

 マスメディアを「変える」ためには、まず、受信する側が変わらなくてはならないのでしょう。どんな素晴らしい記事でも、読む人がいなければ、何の価値もないのだから。