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2010年03月17日(水)
たった一つの「おじいさんと結婚してよかったと思うこと」

『桃色トワイライト』(三浦しをん著・新潮文庫)より。

(三浦しをんさんが祖父の七回忌の際に聞いた「おじいさんの思い出」)

【「おじいさんには、ホントにホントに苦労させられた」
 と、祖母の話は続く。「夕飯のしたくができて、家族で『さあ、食べよう』というときに、おじいさんは『その前に、ちょっと雨戸を閉めてくる』と言うんや。それで、ご飯を前に座って、おじいさんが雨戸を閉め終わるのを待つんやけど、いつまでたっても戻ってこない。どうしたんやろ、と思って見にいくと、もういないんや! 庭に面した窓から抜け出して、フラフラーッと町へ遊びにいってしまった後なんや!」
 私たちは笑い転げたが、実際にそんな糸の切れた凧みたいなひとと暮らしていた家族は、さぞかしやきもきしたことだろう。ロクな逸話がないので、祖父もあの世で居心地の悪い思いをしていそうだ。
「なにか一つぐらい、『このひとと結婚してよかったなあ』と思うようなことはなかったの?」
 と、祖母に聞いてみる。ちょっと考えた祖母は、
「なあんにもあらへんなあ」
 と、やれやれといった感じで答えたのだった。私たちはまた爆笑した。
 翌日は、いとこたちもやってきて、寺でお経をあげてもらった。二人のいとこは、そろそろ結婚しそうな雰囲気である。居合わせた人間が、みんな微妙に私から視線をそらし、強引に話題を変えようとする。なんだなんだ、同情はやめてくれ。気遣われれば気遣われるほど、そこはかとなくいたたまれぬ感じだ。
 祖母は一晩、「結婚してよかったと思うこと」について考えたらしい。
「一つだけあったな」
 と言う。祖父のためにもよかったと思い、「へえ、どんなところが?」と聞いてみた。
「おじいさんは、なにを出しても『うまい、うまい』言うて食べはった。私が、『これはちょっと失敗したな……』と思う料理でも、あのひとにかかると全部『うまい!』なんや」
 そ、それはただの味オンチじゃ……・
 私たちはみたび大笑いしたのだが、たしかによく考えると、ものすごい美点のような気もする。ちゃんと「おいしい」と言葉に出して、なんでも食べるひとって、いそうであまりいないからだ。私は祖父に改めて好感を抱いたのだった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 いやほんと、亡くなられて「思い出話」として語ると身内としては笑うしかないのでしょうけど、夕食直前に突然町に遊びに出かけでしまうような夫や父親というのは、家族からしたらたまったものじゃないだろうな、と思います。まあ、そういうのはある種の「病気」みたいなもので、本人にもどうしようもなくなっているのかもしれませんが。

 この話を読みながら、僕は常日頃、妻から言われていることを思い出さずにはいられませんでした。
「うちの食卓には会話が少ない」
 僕自身に「食事中は黙っていなければならない」なんていう規範があるわけではなく、ちょっと考え事をしていたり、別に話題がなければ黙っていてもいいんじゃないかな……というくらいのものなのですが、三浦さんのおじいさんの話を読むと、「ごはんを美味しそうに食べられる」というのは、ある種の「特技」なんじゃないかな、という気がするのです。

 僕はもともと「食」に対するこだわりがそんなに強いほうではないし、「味オンチ」の部類に入ると思うのですけど、どんなものに対しても「うまい!」って美味しそうに食べられるようなサービス精神はありません。
 でも、食事を作ったり、一緒に食べる側からすると、僕みたいに黙ってしまいがちな人間や、いちいち蘊蓄を語ったり、不味いものの文句を言い続ける「食通」よりも、なんでも「うまい!」って言ってくれる人のほうがありがたいですよね。一緒に食べていて楽しいはず。

 「食べる」というのは、生きるためには避けられないのですから、「何を食べるか」だけではなく、「どんなふうに食べるか」というのは、人間関係において、けっこう大事なことなのかもしれません。
 パートナーとうまくいかなくなるときって、「食事のしかたが目ざわりになってくる」ということは、けっこうあるようですし。