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| 2004年06月06日(日) ■ |
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| Vol.485 コトバの定義 |
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おはようございます。りょうちんです。
缶ジュース、切符、家。お金を出してこれらを手に入れる時、あなたにとって「買い物」とはどれですか? 先日ふとTVをつけると、街行く人にこんな質問をしている番組が放送されていて、質問に答える人々の反応に俺は思わず興味を引かれてしまった。すべてのものにおいて、お金を出して手に入れることには変わりないのに、缶ジュースは自販機で買う場合は買い物じゃないとか、切符は手元に何も残らないから買い物じゃないとか、家は自分ひとりで気軽に買えないから買い物じゃないとか。人によってその答えがまちまちで、見ている俺も「じゃあ、買い物とはなんだろう?」という疑問が沸いてきた。 諸外国のコトバに比べると、とかく日本語は曖昧なのだそうだ。「買い物」というコトバひとつとってみても、人や場所やその時の状況によってコトバの定義は変わってきてしまう。時にはコトバの曖昧さが不自由な時もあるけれど、すべてのコトバに完全な定義づけがされていないがゆえコトバは生きていくものだと、この番組の最後に締めくくっていた。 そう考えると、コトバの定義って難しい。例えば、自分にとっての「ちょっと」が、相手にしてみれば「かなり」かもしれない。自分はとても仲の良い「友達」だと思っていたのに、相手はただの「知り合い」としか思ってないかもしれない。すべてのコトバにおいて、その意味をきっちり定義づける必要なんてないと俺も思うけれど、意味のラインを曖昧にしたままだったからという理由で誤解を招いてしまう可能性だってあるはずだ。 「友達」とはなんなのか? 「恋人」とはなんなのか? 「付き合う」とはなんなのか? こんなことは論理的に説明したところで理屈っぽくなってしまうとは思うのだけれど、コトバの定義について考え始めてしまった俺は、明確な答えが見つからないまま今日も不安定な一日を送ってしまった。
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