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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2004年02月27日(金)
Vol.445 信仰するということ

おはようございます。りょうちんです。

俺はそんなに強い人間じゃない。だから時には、絶望に打ちのめされそうになることも、どうしようもない悲しみにやりきれなくなることもある。とは言っても、そんな時でも目に見えないものにすがりつこうなんて思わない。胸の奥で強く祈ることはあっても、それは神様や宗教といったものに対してではなく、最終的には願いが叶うように自分の力で動き出すのだ。だから俺は信仰している宗教なんてないし、最後の最後に信じることのできるものは結局は自分自身だと思っている。
しかし世界中には、神様や宗教やそういった目に見えないものを崇拝している人もたくさんいる。そういう人々は厚い信仰がココロの支えになって、不安や迷いを打ち消している。絶望や悲しみを希望や喜びに変える手段としてそれも立派に成り立っているわけだから、そのやり方を俺は否定するつもりはない。俺には絶対にできないやり方だけれど。
だか。宗教という名のもとに、迷いを抱えた人のココロのよりどころになる手段と銘打って、何をしても良いというわけではない。信仰が深くなるあまり善悪の判断さえつかなくなるなんて、本当に恐ろしいことだ。猛毒のサリンをばらまいたり、拉致や殺害事件を起こしたり。幸せを求めるための宗教なのに、希望や喜びをつかむための信仰なのに、そんな悪事はまったくもって関係ない。
数年前、これらの悪事を働いた宗教団体の教祖に、極刑の判決が出た。彼が逮捕されたあと一連の事件の真相が次々とあきらかになり、この問題はまだまだ終わらないなと思っていたが。判決が出た今日までは、それにしても長い裁判だった。犠牲になった人のことを考えると、とても胸が痛い。そして被害に遭ってしまった人たちにとってみれば、今日が終わりなのではなく、これからまだまだこの問題は続いていくのだろう。
宗教を信仰するということは、けして悪いことではない。しかし俺は、これからもずっとどんな宗教も信仰しないだろう。