
|
 |
| 2003年09月17日(水) ■ |
 |
| Vol.372 怒るということ |
 |
おはようございます。りょうちんです。
喜怒哀楽を表現するためには、ある程度のパワーが必要だと思う。楽しくて笑ったり悲しくて泣いたりするには、ただきっかけがあるだけではココロの底からその感情に浸ることはできない。おおいに笑ったり泣いたりするために、誰もが知らず知らずのうちにそういったパワーを密かに溜めているんだと思う。そしてこのパワーを使い喜怒哀楽を表した時に、人は少しずつ成長してゆくに違いない。 さてその中の、怒りのパワーについて。このパワーこそが、数ある感情の中でいちばんもったいないパワーだと俺は思う。俺自身、怒るということが最も苦手な感情だからそう考えるのかもしれないが。怒りのパワーが100%無駄だとは思わないけれど、怒りを表すのならば、もっと他の感情にそのパワーを費やせばいいのにと思ってしまう。考えてみれば、怒りを表したあとに何が残るだろう。腹が立ってイラついてしまった自分への反省と、改善策でも見出せればまだ救われるのだが。ただ単純にぶつけようのない不快感が残ってしまうだけ、ということも多々あるだろう。 だったら、その怒りを何か他の感情に変えられたら、と思ってしまう。怒るためにパワーを使うのなら、その分笑ってココロから楽しんだり泣いて痛みを胸に刻んだ方が、俺は賢いやり方だと考えてはいるのだが。 しかし突発的な出来事に遭遇して、一時的な感情の昂ぶりや場合によっては意図的に怒りのパワーを表さなければならないこともあったりする。こんな俺でも、時には怒り爆発という事態に陥ったりすることもあるわけで。けしてそういう感情を表そうと望んでいるわけじゃないのに、やむを得ず避けられない時もあるのだ。 そこで。たとえ怒りを隠しきれなかったとしても、それを一時的なものに留めておこうと俺は心掛けている。後々にまでその怒りを根に持ったりしたくはないし、自分自身にとっても、そういうやり方が最もプラスになる方法だと思っている。だから俺は、さっきまで怒っていたとしても、今はもう怒っていないのである。
|
|