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2010年04月19日(月)
「当時の私は、極端な考えだとは思いながらも、『引越し屋とは分かり合えない』と割り切ってバイトを辞めた」

『今ウェブは退化中ですが、何か?』(中川淳一郎著・講談社)より。

【人間はそう簡単に分かり合えるものではない。どう頑張っても、分かり合えない相手は存在するのだ。人生は短い。絶対に分かり合えない人と分かり合う努力をするより、分かり合えそうな可能性のある人を選んで、その人を大切にしていくことが重要なのだ。

(中略)

 決して分かり合えない人間がいると悟ったもう一つの契機は、1993年3月、日本に帰国して、大学に合格した直後のことだった。「大学に入学したら何かとお金が必要だ」と考えた私は、自宅からすぐ近くにある引越し屋でバイトを始めた。私はその引越し屋で、RとKという2人の社員との組み合わせで仕事をすることが多かったが、RとKが語る話の内容は「焼肉」「風俗」「借金」「競馬」「パチンコ」「会社へのグチ」がほとんどだった。
 引越し屋で初めて彼らに会った瞬間、私はKから「お前、何でウチで働くんだ?」と聞かれた。「4月から大学に入るので、その前に働いてお金を用意しようと思っています」と答えたところ、「ケッ、エリートさんかよ」という答えが返ってきた。そして、
「あのよぅ、ウチはエリートさんなんていらねぇんだよ、バーカ」
 と続けざまに言われた。私はなぜか「すみません」と謝った。トラックの中でRとKと一緒にいる時間は辛かった。話しかけられるのは、「缶コーヒー買って来い」「お前、さっきの家でチップいくらもらった?」「さっさと外に出ろ」「次のバイト代、お前を世話してやってるオレに半分よこせ」だけである。
 他の時間は、RとKが「焼肉」「風俗」「借金」「競馬」「パチンコ」「会社へのグチ」について語っているだけで、私は会話に参加できなかった。ある時、冷蔵庫を運んでいて、あまりの重さに私が「ヒーッ!」と声を上げたところ、Kは、
「ケッ、これだからエリートさんは使えねぇんだよ」
 と舌打ちした。
 企業の引越しのように大規模な作業をする際は、応援の人間が現場で待っている。中国人の留学生が多かったのだが、RとKはその現場に向かう時、「なんか今日はニイハオだらけらしいぜ」「うぜえな、ニイハオかよ」などと言っていた。「ニイハオ」とは、言うまでもなく中国語の「こんにちは」だが、彼らにとっては「中国人アルバイト」の意味であり、明らかに差別意識を込めて使っていた。彼らは現場に行っても、
「おい、ニイハオ、てめえさっさと働け。日本語分かってんのかよ、バカヤロウ」
 などと平気で口にする。そして私には、
「おい、エリートさんよぅ、お前、これまでお勉強ばっかしてきたんだから、中国語くらい分かるだろ。ニイハオのバカどもに、グータラするなと伝えとけ」
 と言った。この時は一瞬だけ、ついに自分もRとKから認められたかと思って嬉しくなったが、もちろんそれは錯覚だった。実は当時の私は、現場で会う中国人留学生たちと話が合った。彼らは大学生だったので、私は大学生活で必要なことをいろいろと教えてもらい、RとKとの会話よりもはるかに実りが多く、共感する部分も多かった。
 しばらくその引越し屋でバイトを続けたものの、RとKから飛んでくるのは万事、「てめえ、さっさとやれ!」だの「エリートさんは使えねえ」といったセリフばかりだった。当時の私は、極端な考えだとは思いながらも、「引越し屋とは分かり合えない」と割り切ってバイトを辞めた。もちろん、今の私は、引っ越し業をしている人にいい人が多くいることも知っているし、RとK以外で仲良くなれた社員もいた。
 しかし、この経験がきっかけで、前からうすうす感じていた「人類皆兄弟というのはウソだ」という思いが確信に変わった。そして、人生の限られた時間、全員と分かり合う努力をするよりも、自分に合った人を求めることに時間をかける方が重要だと考えるようになった。

 それから始めたバイトは、私の通っていた一橋大学の学生が代々継承していた植木屋での助手業務である。家族経営の植木屋で、学生たちが数人一緒に、朝から夕方まで、職人が刈った芝や伐採した枝をビニールシートに移し、トラックの荷台に載せていく。このバイトは卒業するまでの3年半、気持ち良く続けることができた。
 もともとその植木屋は、伝統的に一橋の学生を雇い続けており、バイトの学生が卒業する時には「誰か後輩を紹介してよ」と頼んで、その流れを脈々と続けていた。したがって、「こいつはウチに合う」と判断された人間だけが紹介・採用されるため、「分かり合える人同士」の世界になり、心地良く仕事ができる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 なんというか、この「引っ越し屋でのバイトの話」を読んでいるだけで、僕はすごくいたたまれない気分になってきます。「だからエリートは……」って、僕も何度か言われて辛かったことがあるし、その一方で、もっと偏差値の高い大学を出た人たちから、「できそこない」だと罵られたこともあるので。

 社会でも、ネット上でも、少なくとも建前としては、「どんな相手とでも、話せばわかる」あるいは「伝わらないのは、自分の側にも責任があるのだ」と言う人が多いんですよね。
 そりゃまあ、「どんな人とでも、きっと分かり合える」というほうが、「どうやったって分かり合えない人もいるんだから、うまく棲み分けろ」というよりカッコいいし。

 でも、僕だって、このRやKみたいな人と自分が「分かり合う」のは難しいと思います。こちらがどんなに先入観抜きで付き合っていこうとしても、向こうが「だからエリートさんは」みたいな態度であれば、「どうしてこちらばかりが真摯に良い関係をつくるための努力をしなければならないのか?」としか考えられない。「分かり合う」ためだけに「風俗」や「借金」の話題に付き合おうにも知識も興味もない。
 世の中には、こういうときでも、「うまくあしらえる」タイプの人もいるんですけどね、たしかに。

 中川さんは一流大学の学生であり、他の居場所を探すことができて良かったけれど、たぶん、他に仕事もなくて辞められず、こういう人たちの「イジメ」の対象になり続けている人もけっこう多いのではないかなあ。

 もちろん、引っ越し屋さんがこんな人ばかりじゃないというのは僕もわかっています。
 僕がいままで会った引っ越し屋さんたちは、みんなうちの大変な荷物(本が多いので、申し訳ないくらい荷物が多くてかさばって、しかも重い!)を気持ちよく運んでくれていました。
 ですから、僕自身には、引っ越し業への「偏見」は無いのですが、こういう話を聞いてしまうと、どんな業界でも、「お客からは見えない場所」には、いろんなドロドロとしたものが積もっているのかな、と想像してしまいます。

 テレビドラマやマンガの世界では、「分かり合えなかった2人が、共に困難に立ち向かうことによって、『仲間』になる」というのは「よくあること」です。
 しかしながら、人間っていうのは、本当にずるくて、しょうがない存在で、中川さん自身も、RとKの「中国人差別」に乗じて、自分がRとKの仲間として認められたい、などと考えてしまいます。
 これは本当に当時の中川さんの率直な気持ちだったと思うのです。
「分かり合えない人たちを強引に仲間にできる」唯一の方法は、「共通の外敵をつくること」なのかもしれません。
 極論すれば、「日本が外国と戦争する」とき、「日本人」はみんな「同胞意識」を持つようになるし、宇宙人が攻めてくれば、いままでいがみ合ってきた「地球人」は、一致団結するはず。

「人類皆兄弟というのはウソだ」
 悲しいけど、これは「真実」のような気がします。
この引っ越し屋でのバイトのような状況で、「RやKだって本当はいい人なのかもしれないんだから、こちらが真摯に接すれば心が通じるはず。差別するなよ」という言葉をかけられたら、僕は「それならお前が同じ目に遭ってみろよ!仮に根っこは善人でも、そんなとこまで掘ってやる義理はこっちにはない!」と怒ると思います。
 それでも、「どうやっても分かり合えない人だっているのだから、自分にとって重要ではない相手に、そんな努力なんてするのは無駄だ」と言い切ってしまうのも、やっぱり悲しいんですよね。