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2010年01月09日(土)
児玉清「素人参加の最近の『アタック25』は、人生そのものなんです」

『阿川佐和子の会えばドキドキ〜この人に会いたい7』(文春文庫)より。

(阿川佐和子さんと児玉清さんの対談の一部です。2007年6月14日号の『週刊文春』掲載)

【阿川佐和子:『アタック25』の司会は33年目だそうですが、これはものすごい長寿番組ですよねえ。

児玉清:目立たないから続けられた感じですよ。それとありがたいのは、あの番組の奥の深さなんです。一度として同じことがない。出る人は毎回違うし。

阿川:解答者のみなさんは素人の方で。

児玉:最近は特に。昔はクイズマニアばかりで少々厭味、鼻高々で「俺はこれだけ知ってんだ」みたいなね。だって「ガ行で始まる県は岐阜県の他に何?」と聞いてすぐに「群馬県」って答えられる人が偉いと思う?

阿川:一応、驚嘆はしますよ。「おお、すごいな」って。

児玉:たしかに。でも素人参加の最近のアタックは人生そのものなんです。終わった後、誰もが必ず言うのは、「あのとき押していれば勝ってた」「答え知ってたのに押せなかった」って。この連続。

阿川:だって絶対的にリードして誰も追随する人間がいないのに、あっという間にコロコロって(パネルが)2枚になっちゃったり。

児玉:するとね、何を要求しているかっていうと、勇気なんですよ。

阿川:零コンマ何秒かの判断。

児玉:そう、例えば「遠視を矯正するメガネに用いられるのは凹レンズと凸レンズのどっち?」という問題で、頭の中では「凸レンズ」と思っているのに、ボタン押した途端に「凹レンズ!」って言っちゃうのね。

阿川:アッハッハッハッハ。

児玉:そこらへんの人間の機微はたまらないですね。快調に走ってた人が、「勝ち」を意識した瞬間から押せなくなったり。

阿川:ゴルフと同じだ。

児玉:そう。逆に、何も押せずにいた人がアタックチャンスのときに何となしに押して、どんどん正解してパッと勝っちゃう。でも僕はあの番組を一度としてちゃんとできたことがないんです。何度やっても悔いが残っちゃう。

阿川:司会者として?

児玉:ええ、アタックの理想の形とは何なのか? 考えても答えにたどり着かないんですよ。例えば、「さあ、赤が答えるのか、青が答えるのか」って赤と青が競ってるときに、それまで何も押さなかった白がプシュッと押して正解して終わっちゃう。そのとき僕はどんな言葉でまとめればいいのか。

阿川:理想高ーい、児玉さん!

児玉:理想だけは高いの、努力しないんだけどね(笑)。

阿川:いえいえ、努力もなさってます。じゃあ飽きないんですか?

児玉:そう、何度やっても飽きないんですよ。今そこを言おうと思ったの! 25マスでありながら千変万化なんだよね。ただ、あの番組には欠点があったんです。十字ができたときに、答える人が損だと。

阿川:わかんないんです、私。角を取れば強いってことぐらいしか。

児玉:十字ができた後に答えると、次の人に角を取られる可能性が出てくるんです。すると、角を取るまで答えない人がいるんですよ。一時、いくら問題出しても全員答えないときがあって。中には、わざと間違って立ったり。

阿川:えーっ!

児玉:僕は「この番組はこれで終わったか」と思ったの。で、スタッフがいろいろ考えたんだけど、そういう時はものすごくやさしい問題を出すんです。

阿川:「日本で一番高い山は何ですか?」なんて(笑)。

児玉:そうそう、そんな問題を続けたり(笑)。解答者との攻防戦があったの。

阿川:面白ーい。

児玉:ところが、策を練った人間っていうのはね、策に溺れるんです。待ちに待って「さあ答えよう」とボタン押したからといっても、4人いるから権利が取れるかどうかはわからない。誤算が出てきてガタガタになる。

阿川:タイミングを待ったのに。

児玉:しかも十字のところで答えなかった人たちが勝てたかというと勝てない。むしろ、そのとき果敢に打って出た人のほうが勝っちゃうケースが出てくる。番組を眺めてた人たちも、そういう推移を見て「策を弄さないほうがいい」と気づいてくれた。

阿川:『アタック25』だけでドラマができそうですね。

児玉:そうなんです。解答者の最初から終わりまでの心の高まりや動き、迷いをやっただけで大変な人生ですよ。

阿川:ほぉー。

児玉:最近は博多華丸さんという方が僕のモノマネをしてくださって、予選応募者も少し増えましてね。

阿川:モノマネを最初にお聞きになったときは、どう思われましたか?

児玉:びっくりしましたよ。一年半くらい前かな、たまたま観てた番組で華丸さんが「アタック25の司会児玉清です」ってやっていて「何これ!?」って大笑いしてたの。

阿川:ご本人には会われたんですよね。

児玉:ええ、アタックには一度だけ出てもらいました。「あなたのおかげで」なんて言われて、僕自身も信じられない思いですけど。いい人にやってもらってると思ってますよ。】

〜〜〜〜〜〜〜

『アタック25』は、1975年にスタートした、今では珍しい「視聴者参加型」のクイズ番組です。僕は毎週日曜日に待ってましたとチャンネルを合わせたり、タイマー録画をしておくくらいのファンではないのですが、たまに『アタック25』が放送されているのを観ると、「ああ、まだやってたんだ、よかったなあ」と安心します。何が「よかった」のか、自分でもよくわからないのですけど。

 児玉清さんは、この番組の第1回の放送から現在(2010年1月現在)まで、34年にわたって司会をされており、これは「日本のテレビにおけるクイズ番組史上の最長の司会記録」なのだそうです。
 児玉さんをあまりドラマなどで見かけなくなった時期には、「児玉さんって、『アタック25』で食べているんだろうな……」などと失礼なことを僕も考えていたのですが、博多華丸さんのモノマネで注目される前から、「『アタック25』といえば、児玉清」というイメージは強かったんですよね。番組のマンネリ化を防ぐための「司会者交代」が34年間一度も行われなかったというのは、なんだか不思議な気もします。

 さすがに、これだけずっと司会をやっていれば、「やっつけ仕事」になるのかと思いきや、児玉さん自身には、まだまだこの番組に対する情熱がすごくあるということに僕は驚きました。
 『アタック25』って、ちょっと前にプレステのゲームになっていて、そのゲームには児玉清さんの声が入っているのですけど、この番組って、ある程度パターン化されたやりとりがあって、ゲームでの限られた児玉さんのボイスでも、けっこうそれらしくなってしまうんですよ。
 もっとも、そういう「偉大なるマンネリズム」こそが、この番組の味になっているのも事実だし、児玉さんもそれは重々承知なのでしょう。

 オセロゲームをモチーフにしたと思われる『アタック25』のルールには、こんな「欠点」と「解答者との攻防」があったというのもはじめて知りました。オセロゲームなら、交互に石を置いていくことが決まっていますから、「十字になったときに先に石を置くのは不利」だとは思うのですが、『アタック25』の場合は、クイズに答えられないとマスを取れません。角が取れるときに自分が答えられる保証はないのに、「待機策」をとる人たちは、よっぽどクイズに自信があるんでしょうね。
 もっとも、クイズマスターと呼ばれる人たちは、「ガ行で始まる県は岐阜県の他に何?」と聞いてすぐに「群馬県」って答えられる」なんてレベルではなく、「ガ行で始まる県はギ…」というところで解答ボタンを押して「群馬県」と平然と答えるらしいので、『アタック25』は、あくまでも「素人」を優先して出場させているのではないかと思われます。

【素人参加の最近のアタックは人生そのものなんです。終わった後、誰もが必ず言うのは、「あのとき押していれば勝ってた」「答え知ってたのに押せなかった」って。この連続。】
 児玉さんのこの言葉を読むと、本当に「素人参加のクイズ番組っていうのは人生そのもの」だよなあ、という気がします。
 『アタック25』の参加者たちの「あのとき押していれば…」「答えを知っていたのに…」というのは、僕の人生にもあてはまるのです。ああ、後悔ばかりの人生だなあ。

 プロの解答者の「おバカ解答」を笑うのも楽しいけれど、そういう番組ばっかりになってしまうと、やはり淋しいですよね。あれはある意味、視聴者のほうが「バカにされている」のかもしれません。
 『アタック25』と児玉清さんには、これからもずっと頑張っていただきたいものです。