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2010年01月17日(日)
「歴史に学んだ人たち」が、スターリンを選んだ。

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子著・朝日出版社)より。

(東京大学文学部教授の加藤さんが、日清戦争から太平洋戦争について、男子高校生たちに向けて行った5日間の講義をまとめた本の一部です)

【歴史は一回きりしか起こらないから、歴史から学ぶことはできない、歴史は教訓にならないということに対してもカー先生(E.H.カー:イギリスの歴史家。著書『歴史とは何か』が有名)は反論していますので、これも見ておきましょう。歴史の出来事は一つひとつの特殊な事件の積み重ねだから、お互いになんの教訓も影響も与えないとの見方、だから歴史は科学じゃないと言い張る頭のカタいヤツにはこう反論するのです。歴史は教訓を与える。もしくは歴史上の登場人物の個性や、ある特殊な事件は、その次に起こる事件になにかしら影響を与えていると。
 一つの事件の経過が、次のある個別の事件に影響を与える。当事者が、ある過去の記憶に縛られて行動する。みなさんもちょっと考えてみてください。歴史上のある一つの事件が、他の事件に強く影響力を及ぼしたというケースにはなにがあるか。
 カーが挙げているケースは、こういう例です。ロシア革命は1917年に起こりますが、それを起こした人の多くはユダヤ系のロシア人で、後にボリシェビキ(多数派を意味するロシア語です)といわれるグループでした。この人たちは、1789年に起きたフランス革命が、ナポレオンという戦争の天才、軍事的なリーダーシップを持ったカリスマの登場によって変質した結果、ヨーロッパが長い間、戦争状態になったと考えていました。
 そのことを歴史に学んで知っていたボリシェビキは、ロシア革命を進めていくにあたってどうしたか。これは、レーニンの後継者として誰を選ぶかという問題のときにとられた選択です。ナポレオンのような軍事的なカリスマを選んでしまうと、フランス革命の終末がそうであったように、革命が変質してしまう。ならばということで、レーニンが死んだとき、軍事的なカリスマ性を持っていたトロツキーではなく、国内に向けた支配をきっちりやりそうな人、ということでスターリンを後継者として選んでしまうのです。
 スターリンは、第一次世界大戦やその後の反革命勢力と戦う過程での軍事的なリーダーシップを全く持たなかった人でした。トロツキーは、内戦を戦った闘将でしたし、第一次世界大戦の戦列からロシアを除くために、敵国ドイツとの単独講和にも踏み切った英雄でした。このときトロツキーは、こんなにロシアが損をしてどうする、国がなくなるぞという国内からの圧迫を受けながらも、革命を成就させるためにドイツと手を打たなければと、エストニアやラトビアなどをロシア帝国から全部吐きだすのです。一つの帝国が一つの戦争で吐きだした地域の広さでは過去最大でした。その結果、ロシアは戦争をやめることができ、だからこそロシア革命は成功したのです。トロツキーにはこのような政治的才能もあった。
 トロツキーは、第二のナポレオンになる可能性がある。よって、グルジアから出てきた田舎者のスターリンを選んだほうが安全だと。
 ロシア革命を担った人たちが、フランス革命の帰結、ナポレオンの登場ということを知ったうえでスターリンを選んだというのは、かなり大きな連鎖であり、教訓を活かそうとした結果の選択です。一つの事件は全く関係のないように見える他の事件に影響を与え、教訓をもたらすものなのです。しかも、ここが大切なところですが、これが人類のためになる教訓、あるいは正しい選択であるとは限らない。スターリンは1930年代後半から、赤軍の関係者や農業の指導者など、集団化に反対する人々を粛清したことで悪名高い人ですね、犠牲者は数百万人ともいわれる。】

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 こういう話を読むと、「歴史」というのは、未来の人が「どうしてそんな選択をしたんだろう?」と思うようなことにも、当時の人にはそれなりの「理由」があったのだな、ということを考えさせられます。
 カー先生の話によれば、もしナポレオンとその時代がなければ、ロシア革命の指導者たちは、「英雄的な人物」であったトロツキーを選んだ可能性が高かったでしょうし、スターリン時代の大粛清も起こらなかったはずです。
 もちろん、第二次世界大戦も、それが起こったどうかも含めて、全く違ったものになっていたでしょう。
 いまの時代の人間にとっては、ロシア革命〜スターリン時代というのは、1世紀〜半世紀前の出来事ですし、ナポレオンとなると、2世紀も昔の「歴史的事実」ですから、スターリンが選ばれた背景にある「ナポレオンの影響」を想像するのは難しいですよね。
 最近の例でいえば、小泉さんのあとに福田康夫さんが総理になったのは、「小泉さんの靖国参拝などの東アジアへの強硬路線は、ちょっとやりすぎだったんじゃないかな……」というような「反動」も一因なのでしょうが、あと100年先の人があの時代を振り返ってみると、「なんであんな『私はあなたとは違うんです』なんて投げだしちゃうような人を選んだのかサッパリわからない、当時の日本人はバカだったんじゃないか?」とか思われてしまうかもしれません。
 歴史というのは、目に見える「事件」だけではなくて、その時代にリアルタイムで生きている人々の「イメージ」みたいなもので動いている面もあるのです。
 それは、どんなに過去の資料を調べても、後世の人間には理解しがたいものではあるのでしょう。

 ところで、この話、僕も興味があったので少し調べてみたのですが、実際は、「トロツキー=ナポレオンという危惧」だけではなくて、(というか、それよりも)争いに疲弊した革命の指導者たちが、トロツキーの「革命を世界中に広める」という思想よりも、「とにかくいまのロシアを中心とする地盤を固めていくことを優先する」というスターリンを支持したことと、スターリンの権力掌握のための謀略の才能によるところが大きいのではないかと思われます。
 トロツキーも「完全無欠の人格者」というわけではなく、「トロツキーを選んでいれば、スターリンよりは良かった」とも言い切れない面があります。それこそ、「世界革命のための世界戦争」が起こっていたかもしれないし。

 しかしながら、スターリンが行った「歴史的事実」について考えると、「歴史に学ぶことは大事だとは言うけれど、学んだからといって、常に正しい選択ができるというわけではない」としか言いようがないですよね。少は、「正解」を選べる可能性がアップするくらいのもので。
 結局のところ、何が「正解」かというのは、「もしもボックス」がないとわからないのですが。