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2009年12月22日(火)
バンダイナムコ・石川祝男社長の「ゲームメーカーの社長の仕事」

『ゲーム業界の歩き方』(石島照代著・ダイヤモンド社)より。

(「バンダイナムコホールディングス・石川祝男社長が教えてくれた『会社の創り方』」というコラムから)

【ゲーム業界に限らず、日本でM&A(企業買収や合併)が増加することは間違いない。そんなときに理想とされる社長像とは、どんなものか。2006年にバンダイとナムコが合併してできた、バンダイナムコゲームス初代社長の石川祝男さんの歩みから考えてみたい。
 筆者が石川さんと初めてお会いしたのは、旧ナムコの記者懇談会の席だった。創業者でバンダイナムコホールディングス相談役の中村雅哉さんが「ウチの期待のふたりを紹介するよ」といって直々にご紹介くださったのが、当時のナムコ副社長だった石川さんと東純さん(現バンダイナムコホールディングス取締役)だった。
 巷で流行っている「草食系男子」という言葉を借りれば、石川さんは「草食系社長」といっていいのかもしれない。家族の様子を遠くから見守るお父さんのような「草食系カリスマ」と、個々に踏み込みすぎない「草食系リーダーシップ」を持つ社長さんだ。
 といって、クールを装っているかというとそうでもない。石川さんはアーケード用ゲーム「ワニワニパニック」の生みの親としても知られているが、発売後心配でゲームセンターへ様子を見に行ったという。そのとき、「100円を入れて遊んでくださるお客さんの姿を見て、思わず泣いてしまった」そうだ。

(中略)

「ワニワニパニック」デビューまでの道のりは平坦ではなかった。「当時ヒットしていたモグラたたきが縦だったので横から出てくるのはどうか、と考えたんです。思いついて2時間後には企画書を作っていました。でも、部長の評価は”ボツ”。あきらめきれず、その日のうちに段ボールとスリッパで”試作品”を作った。BGMを歌いながら、ワニに見立てたスリッパを動かし、部長に棒で叩かせたんです。部長が面白がってねえ」。その後、「ワニワニパニック」は旧ナムコを代表するアーケードゲームのひとつに成長した。

 アーケード業界一筋だった石川さんが社長に就任したバンダイナムコゲームスは、常にバンダイとナムコの合併の象徴として注目され続けてきた。合併会社の常として、両社出身者による派閥争いは避けられないものだが、石川さんの下では争い自体が無意味だった。
「派閥があっても構わない。みんなが私が掲げた『世界ナンバーワンのエクセレントゲームカンパニーになる』という目標を共有してくれれば、あとは勝手にやってくれていい」
 この言葉は、出身会社に対する社員の愛情に敬意を表したものだった。会社のM&Aは、個々の社員の責任ではないし仕方がない。だから、無理に仲よくしなくてもいい。ただ、仕事で結果は出してもらう。それが、社長就任時に掲げた方針だった。
 そう話す一方で、石川さんは社内融和に力を尽くしていた。自分の姿を頻繁に見せることで、社員が新会社に親しみや愛着を持てるよう心を砕いたのだ。社員が「ああ、また社長がいるよ〜」と笑うほど、社内を歩き回っていた。
 この件に関しては、逸話がある。社長ご自慢の社員食堂で筆者がご馳走になったときのこと。石川さんはカレーライスのおまけについてきたお菓子を開けず、手に持ったまま食堂内をぶらついていた。すると、ある女子社員が「こんにちは!」と挨拶し、ふとその手に目を留めた。
「あ、社長がお菓子を持ってる〜」
 石川さんが「よかったら、あげるよ?」とお菓子を差し出すと、女子社員はびっくりしながら笑顔で受け取った。のちに、石川さんはこの件について「実は秘書にあげようと思ってたんだけど、ま、たまにはいいよね」と恥ずかしそうに話してくれた。
 また、同社の開発職関係者の話によると、ソフトのマスターアップ(締め切り)直前で殺気立っている開発チームの部屋にも、石川さんは頻繁に顔を見せたという。「普通は誰も行きたがらないよ。そりゃあ殺気立ってるなんてもんじゃないからね。でも、石川さんは来る(笑)。開発のほうも『社長ならしょうがないな』と苦笑いしてあきらめる」
 
(中略)

 ある取材の折、石川さんが本社の入り口で建物を振り返ってつぶやいた。「ここに立つと会社が全部見える。これだけの社員の人生を預かっていると思うと、いつも身震いがするんだよ」。石川さんはサラリーマン出身の社長でありながら、まるで創業者のようにバンダイナムコゲームスを愛した。
 一方で、経営者としての石川さんが市場に注ぐまなざしは、冷静だった。自社開発陣の成長と市場バランスを常に考えていた。
「作ったゲームソフトが売れるに越したことはない。ただ、何でもミリオンセラーになることはありえない。だから、畑は2つ持たなければならない。ひとつは、ミリオンもしくはハーフミリオンが狙えるソフト畑。もうひとつは10万本クラススタートの『明日のミリオンセラーソフト』畑。ミリオンセラー系ソフトは常に必要だけど、後者の畑がなければ良質なヒットサイクルは生まれない。そして、両方の畑を大切にすることが、開発者を大切にすることにつながるんだよ」
 時には、開発者と直接やり合うこともあったらしいが、それは石川さんの開発者としての経験がそうさせたのかもしれない。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ちなみに、この方が石川祝男さんです。

 石川社長、僕はこのコラムを読む前に、テレビに出演されているのを何度がみかけたことがあるのです。
 CSの名物番組『ゲームセンターCX』に、バンダイナムコがこの番組のゲームを発売していることもあり、何度か出演し、有野課長と絡んだりされていたんですよね。
 リンク先の写真の石川社長は、真面目そうでやや強面ですが、僕がテレビで観たときの石川社長は、本当にずっとニコニコされていて、すごく柔和な感じの人でした。バンダイナムコという大会社の社長には、ちょっと見えないくらい親しみやすそうな人、という印象。有野さんにもけっこうイジられていましたし。

 正直、任天堂の岩田社長や宮本さんのような「カリスマ」と比べると、どこにでもいそうなおじさんにしか見えなかった石川社長。開発者としての実績も、もちろん立派なものではあるけれども、「世界的にすごく有名」とまではいきません。
 『ワニワニパニック』も、「もぐらたたき」という既成のゲームの「タテのものをヨコにしただけ」ではありますよね。
 しかしながら、そのゲームを「製品化」するために、「段ボールとスリッパで作った試作品で、BGMは自分で歌いながら部長に棒で叩かせた」とか、「『ワニワニパニック』にお客さんが100円を入れて遊んでくれているのを見て泣いてしまった」というエピソードには、石川社長の「人間くささ」と「ゲーム作りへの情熱」がこもっています。

 石川社長自身は「天才的なひらめきを持つ開発者」ではないのかもしれませんが、だからこそ、周りの人たちの気持ちが理解できるし、自分が中心になって引っ張るよりも、裏方としてみんなが働きやすい環境をつくろうとされているように思われます。
 実際は、ナムコとバンダイという大企業同士の合併直後にトップとしてやっていくというのは、ここで紹介されているような、ほのぼのとした話ばかりではなかったのでしょうけど。

 そして、大事なことは、石川社長は、けっして甘くて優しいだけの経営者ではない、ということです。
 「畑を2つ持つ」という発想には、長年ゲーム業界の第一線でやってきた石川社長の「ヒットするゲームを生み出し続けるためのノウハウ」が反映されていますし、その一方で、『明日のミリオンセラーソフト畑』ですら、10万本クラスの結果を求めるというのは、けっして低いハードルではありません。いまは、一部の大ヒットゲームを除くと、「売れないゲームは徹底的に売れない時代」でもありますから。

、このコラムを読んで、僕は「この人の下で働いてみたいなあ」と思いました。
 世間でもてはやされる「その人自身が強い輝きを放つカリスマ経営者」は確かに魅力的で、それに比べると、石川社長は、「泥臭い、いかにも日本的なトップ」なのでしょう。
 でも、こんな時代だからこそ、石川社長のような人の下で働きたい、と感じる人は、けっして少なくないはず。
 
 筆者の石島さんによると、石川社長にとっての「社長職」とは、「お客さまを笑顔にする社員を笑顔にすること」なのだそうです。