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2009年11月03日(火)
”萌え”の元祖は、裕木奈江?

『TVBros。 2009年20号』(東京ニュース通信社)の特集「いま”萌え”を考える。」の「新説!裕木奈江が”萌え”の元祖」という記事から。

【時はバブル後期、90年代の初め頃、”萌え”などという感情があることを1ミクロンも知らなかったイケイケゴーゴーな時代に、彗星の如く現れた1970年生まれの裕木奈江。『日本の女性は、W浅野か、C.C.ガールズか、工藤静香か、千堂あきほか、阿部知代か、荒木師匠みたいな人しかいない」と思っていた”アイドル冬の時代”に、彼女は強烈な向かい酒を浴びせた。
 当時、ブラウン管に映る得体の知れない女優に世の男達は酔った。そして思った。「このポケベルが鳴らないヤツは誰だ?」と。「なんでこんな普通っぽい子が主役をやっているんだ?」と。イケケでもゴーゴーでもない、ましてや森口博子、井森美幸、山瀬まみらの「バラドル」に象徴される元気を売りにする人達とも一線を画す、妙な立ち位置と妙な雰囲気を醸し出す掴みどころのない存在。それはまさに初めて触れる異質なもの。そして男達はそれと同時に芽生え始めた異質な感情に戸惑った。「この胸のザワザワは何だ?」「何だかわかんないけど…愛おしい」

 その後、『オールナイトニッポン』、さらには『24時間テレビ』のパーソナリティにも大抜擢され、あれよあれよという間に時の人となった裕木奈江。そこで女優以外の、一人の女性としての彼女の一面を我々は目の当たりにすることとなる。それは『24時間マラソン』ゴール後の寛平ちゃんに対する伝説のコメント「初めまして、裕木奈江です」
 ゴールの感動を分かち合うわけでもなく、彼女の口から淡々と語られたこのコメントは、感動に水を差したと思われたのだろうか?この”初めまして、裕木奈江”事件以降、「男に媚びてそう」「同性に嫌われている」などと、マスコミから異様なバッシングを受けることになる。さらに、それを受けて、世の中の女性から反感を買うという奈江にとって負のスパイラルが発生する。この一連の流れの背景には、事務所とのトラブルや、マスコミの深部で大きな力が働いたなどと噂されており、その真相はいまいち不明だが、それをは別にこう考えることはできないだろうか?
 これは”新しい概念に対する摩擦”である、と。 
 世の中に数ステップすっ飛ばして全く新しい概念が現れると、それは異質なもの(なんか気持ち悪い)として世の中から拒絶反応を示されることが多い。つまり”奈江”とは、マスの日本人にとって”全く新しい概念”だったのである。上履きに画鋲とか入れられてそうな危うさ、つい守ってあげたくなる感じ。バッシングの末に、裕木奈江は芸能界の表舞台から姿を消したが、何とも言えない”この感じ”は、ひとまず”なえ”というキーワードになって日本人の脳裏に保存されることとなった。】

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 この話、「こうして日本人の脳裏に保存された”なえ”が、10年後の”萌え”を受け入れる下地になった」と続きます。

 いやあ、なんか今となってはちょっと気恥ずかしい話ではあるのですが、僕も当時、裕木奈江大好きだったのですよ。彼女は僕より1歳年上だったのですが、大学に入って一人暮らしをはじめたばかりの僕は、同級生の世間話に触れるような気分で、「裕木奈江のオールナイトニッポン」をよく聴いていたものです。
 中島みゆきさんやタモリ、デーモン小暮閣下といった「プロのパーソナリティ」の場所だったオールナイトニッポンで、まだまだ芸能界に不慣れな奈江さんは、栄光の1部(25時〜27時の枠です、念のため)に彗星のごとく登場し、いきなり番組中に「キャー!」とか叫んではしゃぎまわったり、「変わった食べ物を口にするコーナー」「架空の彼氏の言動を夢想するコーナー」など、「素人っぽさ丸出し」の番組を1年間続けていました。
 でも、当時の僕には、そういう「スレていないところ」がなんだかとても魅力的だったんだよなあ。
 代表作となったドラマ『ポケベルが鳴らなくて』(というか、これと『ウーマンドリーム』『北の国から』くらいしか、記憶に残っている出演ドラマってないんですよ、けっこう出演していたはずなのに)も、不倫の話でありながら、なんか緒方拳がうらやましすぎる!とか思いながら観ていた記憶があります。
 ここでも触れられている『24時間マラソン』の「初めまして、裕木奈江です」も、リアルタイムで観ていたんですよね。このときの会場の異様な雰囲気はいまでも記憶に残っています。最近の言葉でいえば、まさに「KY!」。
 しかしながら、当時の僕は、このときも、一瞬面食らったあと、「こんなときでも初対面の相手に対する礼儀を忘れない奈江さんはキチンとした人なんだなあ」と感心していました。これも「恋は盲目」ってやつだったのでしょう。とはいえ、今でも「バラエティ番組的にはダメだろうけど、人間性を非難されるような話じゃないだろ」とは思います。

 一度バッシングされ始めると、奈江さんはあっという間にテレビの世界から、姿を消していきました。「カレーマルシェ」のナレーションを耳にするたびに、「ああ、裕木奈江、いまごろどうしているんだろうなあ……」と。
 あの頃人気を分け合っていた宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂らは、ときどきバッシングされたりしながらもそれなりに芸能活動を続けています。宮沢さんの場合は、とくに栄枯盛衰が激しかったのですが、いまはもう、すっかり「大物女優」の仲間入り。
 それに比べて、裕木奈江さんは、「そんな人など最初からいなかったかのように」黙殺されてきたのです。

 時は流れ、僕は意外なところで奈江さんに再会しました。
 それは、映画『硫黄島からの手紙』。主人公が日本に残してきた妻役で、出番は少なかったのですが、まさかハリウッド映画で再会するとは……
 とりあえず、元気でよかったなあ、と『硫黄島からの手紙』のストーリーとは関係ないところで、一人感動してしまいました。

 おそらく、世代によって、それぞれの”萌え”のルーツがあると思われるのですが、僕にとっては、「裕木奈江が”萌え”の元祖」というのは、すごく頷ける話なのです。