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2009年09月24日(木)
高橋名人の「ゲームは1日1時間」誕生秘話

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『公式16連射ブック 高橋名人のゲームは1日1時間』(高橋名人著・エンターブレイン)より。

【1985年の全国キャラバンファミコン大会のとき、最初は子供たちしか集まっていなかったのですが、会場が大きくなるにつれ、徐々に親子連れが増えてきました。キャラバンを開催してから5会場目の7月26日、福岡のダイエー香椎店でいつものようにイベントを開始したときのことでした。いつもと違った、何か異様な雰囲気があたりに漂っていたのです。それまでは予選大会参加者の250名が、目の前に並んでいるという状況が続いていたのですが、この香椎店では、そのまわりを親御さんがずらりと取り囲んでいました。
 みなさんご存じのように日本のテレビゲームは、1978年に発売された『スペースインベーダー』から始まったといっても過言ではありません。この『インベーダー』は喫茶店やゲームセンターに続々と入荷され、テーブルの上に100円玉を積み上げて遊んでいたのです。当然、そこにはカツアゲなどの犯罪が横行しました。そこで全国のPTAはゲームセンターへの子供の入場を禁止したのです。ゲームに対して”不良”というようなレッテルを貼られた状態になってしまったわけです。大人たちはゲームセンターで遊ぶことができますが、子供たちは親に止められて遊ぶことができない、そんな時代だったのです。イベント会場には、家庭用ゲーム機ではあるけどテレビゲーム機であることは間違いないファミコンが設置され、それに子供たちが向かっているのです。子供たちが熱中しそうな環境が目の前に広がっているのです。それを目の当たりにしている親御さんの顔を見ていると、脅迫されるというか、何かを話さなければいけないと思ったのです。
 まだ予選が始まるまえのワンポイント講座のときに、思わず言った言葉は次のようなものでした。
「いいかい、ゲームが上手くなるためには、ゲームばかりしていちゃダメだよ。1時間くらい集中してやるのがいいんだ。失敗してもやり続けていると、その失敗したダメージが残っちゃうからね。だから、野球やサッカーをして、帰ってから集中してゲームを練習すると上手くなるんだよ」
 この言葉を聞いた親御さんがうなずいているのがよく見えました。その後、イベントが終わりホテルへ戻ると、電話が入ってきました。それは宣伝の責任者からで「お前、みんなの前でテレビゲームで遊んじゃダメだみたいなことを言ったんだって?」と、その日の内容を確認するような電話でした
。尋ねてみると、どうやらそのイベントに業界の人がいて「ゲームの会社の人間がゲームばかり遊ぶな、みたいなことを言っている」と、会社に連絡が入ったようなのです。そこで翌日、ハドソンで緊急役員会が開催されたようです。課題は、もちろん「高橋がヘンなことを言っているらしい」と……(笑)。でも、その結果としては、「ゲーム業界を健全にするためには、そのようなことをメーカーとしても言っておくべきだろう」ということになり、私も胸を張って言えるようになったのです。もっとわかりやすく標語にした方がいいということで作ったのが、5つの標語です。

・ゲームは1日1時間
・外で遊ぼう元気よく
・僕らの仕事はもちろん勉強
・成績上がればゲームも楽しい
・僕らは未来の社会人

 当時の子供たちには迷惑な話かもしれませんが、これがあったことでテレビゲームが子供の遊びとして、世間に認知されていったと思っています。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ああ、そういえばたしかに、この「5つの標語」ってあったなあ、と僕も思い出しました。当時から、「ゲームは1日1時間」ばかりクローズアップされていて、僕の記憶に残っているのもこれだけだったのですけど。
 高橋名人が「ゲームは1日1時間」と言っている、というのを最初に聞いたときには、「じゃあ、1日1時間でクリアできるような(簡単な)ゲームを作れよ!」と内心呆れていたんだよなあ。

 この高橋名人の話を読んでいると、「ゲームは1日1時間」というのは、あらかじめハドソンが会社ぐるみでアピールしようとしたものではなかったみたいです。
 子供たちの「ゲーム熱」に親たちが危機感を抱いているのを感じた名人が、その親たちからのプレッシャーに気圧されて、「思わず言った」ものなのだとか。
 ゲームメーカーとしては、「ゲームの宣伝のための『名人』が、ゲームばっかりやるな、とアピールするとはどういうことなんだ!」と言いたくなるのはよくわかります。本当に1日1時間しか遊んでくれなかったら、ゲーム産業は困るでしょうし。
 しかしながら、そこで、「ゲーム業界の健全化」のために、メーカーもそのアピールに協力していくことになったのは、結果的に大きなプラスだったような気がします。
 この本のなかでも、多くの人が「高橋名人の大きな功績」のひとつとして、当時の「ゲーム界の象徴」として、(たとえそれが建前であったとしても)「ゲームばかりやらずに、外で遊ぼう、勉強もしよう!」とアピールしていたことを挙げています。
 もし、高橋名人のこういう活動がなかったら、テレビゲームへの風当たりは、もっともっと強くなっていたかもしれません。
 
 現在は、子供のころからテレビゲームで遊んでいた世代が親になっていますから、「テレビゲームも遊びのひとつでしかない」というか、「テレビゲームのない世界なんて、考えられない」くらいだと思うんですよ。

 でも、こういう「テレビゲームという新しい遊びの盛り上がりと同時に、風当たりも強かった時期」はたしかにありましたし、そんななかで、子供たちに注目され、親たちからは白眼視されながら、ゲーム業界の良心をアピールし続けた高橋名人の功績は、いまから考えると、かなり大きかったのではないかと。

 僕も今となっては、「ゲームは1日1時間……くらい遊ぶ余裕があったら良いんだけどねえ……」って感じなんですけどね。