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2009年04月20日(月)
山口百恵さんの「もうひとつの小さな伝説」

『かなえられない恋のために』(山本文緒著・角川文庫)より。

(「禁断の世間話」という項の一部です)

【すごく昔の話になるけれど、あの山口百恵さん(あのお方は、呼び捨てにできない)が引退間際、谷村新司の司会する番組に出ていた時、谷村新司が百恵さんに、
「腋毛の処置は、週に何回ですか?」
 と聞いたのを覚えている。まだ若くて潔癖だった私は、こ、この男なんてことを聞きやがる、と愕然としていたら、百恵さんはにっこりと笑って答えたのだ。
「週に二回ぐらいで大丈夫」
「それは、毛抜きで?」
「ええ、毛抜きで」
 今でも覚えているぐらいだから、相当衝撃だったんだと思う。堂々と胸を張って、それなのに可愛らしく、厭な感じも与えず、会場から大爆笑を取って、百恵さんは言った。今ではテレビに出るような女の人は、そのぐらいの質問は平気で受け流すだろうけど、その当時はまだ、アイドルとか女性歌手というものは、「私はトイレなんか行かないのよ」という顔をしていなければ世間が許さない時代だったのだ。
 私は本当にくらっときた。彼女が今でもマスコミから忘れられない理由が分かる。後にも先にも、女の人にあんなにしびれたのはその一回きりである。】

〜〜〜〜〜〜〜

 山口百恵さんは1959年生まれ。僕よりちょうどひとまわりくらい年上です。三浦友和さんとの結婚を機に引退されたのが1980年(21歳)。僕はまだ小学生だったので、「ちょっと怖そうなお姉さん」だった百恵さんの引退について、リアルタイムではあまり感じるところはなかったのですが、それから30年近く生きてみると、やっぱり「山口百恵」は唯一無二の存在だったのかな、と感じます。
 いや、当時は「NHKで『プレイバックPart2』を歌ったときに、商品名はダメだということで『真っ赤なポルシェ』が、『真っ赤な車』に言いかえられたのを聞いて、テレビには『大人の事情』というのがあるのだと知った」というのが、山口百恵さんに関するもっとも印象深い出来事だったんですけどね。

 このインタビューの話、いまだったら「セクハラ発言」として谷村新司さんが「炎上」してしまうんじゃないかと思いますが、あの時代に、20歳そこそこでこういう意地悪な質問を軽く受け流してしまった百恵さんというのは、まさに「モノが違う」存在だったに違いありません。そして、当時としては、明らかに「異質」だったのではないかと。
 これ、質問したほうも、百恵さんをちょっと困らせてやろうという意図だったと思われるのですが、絵になる人というのは、腋毛の処置の話をしても絵になるものみたいです。
 このインタビューの映像がもし残っていたら、一度観てみたいなあ。

 ところで、これを思い出したのは、昨日ネットで、「宇多田ヒカルさんが『浮気経験』についてラジオの生放送で語った」というニュースを見たからなんですよね。同じ「正直なコメント」でも、いまの芸能人っていうのは、いろいろと大変だよなあ、と考えずにはいられません。
 ちょっとやそっとじゃ、誰も驚いてくれませんから。