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2009年02月23日(月)
鈴木慶一、『初音ミク』を語る。

『ユリイカ 詩と批評』(青土社)2008年12月臨時増刊号の「総特集・初音ミク」より。

(鈴木慶一さんへのインタビュー「初音ミクがあぶりだすプロフェッショナル」より。聞き手は冨田明宏さん)

【鈴木慶一:やっぱり、「自分じゃ歌えないけど初音ミクだったら歌えるんだ」っていうことは、音楽をやろうと思ったときに非常に有効だと思う。バーチャルなアイドルというのは昔からあったと思うけど、それが歌も唄えるというところで完成されたなという感じだね。ただし、今後どうなっていくかというと、人間の性としてみんなそのうち飽きるだろうから、別の「人」がまた出てこないといけないんだろうね。初音ミクとは違う声を欲していくのかもしれない。

冨田明宏:ということは、ボーカル・ソフトのなかで――今までのバーチャルじゃないアイドルと同じように――たまたま初音ミクというアイドルが登場し、そのアイドルをみんなが情報ごと共有して楽曲をオリジナルとして発表しているのが今の状況ということですね。

鈴木:それに、自由自在に操れるということは、やっぱり人間にとって非常に快楽的だと思いますよ。

冨田:ある種フェティッシュを充たすというところもありますよね。

鈴木:どんな言葉でも歌うんだったら、いやらしい言葉って俺ならまず考えるしね(笑)。

冨田:透明人間になったら風呂場を覗くのと同じことですよね(笑)。

鈴木:大体のものはそういう風に、不純な動機から発達していくんです。

冨田:初音ミクは声優さんを使ったアニメ声ですし、だからそういったものが好きなオタクみたいな人たちが女性とのコミュニケーション不全を補うために使っているんじゃないかという意見もあるんですけど……

鈴木:どうだろう? そこまではちょっとわかんないけど、でも望むものが作れるわけだからそういった欲求も充たすかもしれない。かつての育成ゲームのようにね。ただ重要なのは不純な動機から始まったのに、感動して泣くほどの事になる。私は、育てた子供がうちはお金がないから、炭坑で働くってエンディングで泣いたよ。
 ごく普通に、音楽を作る場面でも需要として、デモテープを作るようなときに初音ミクを使うことで女性のボーカリストを呼ぶお金がかからないというのは考えられるね。Digital Performerでもそういった機能――要するに男性が歌った声をソプラノにするとか、女性が歌った歌をバリトンにするとか――はあったけれど、ボーカロイドではボーカルに特化した分だけみんなが飛びついたんだろうな。

冨田:確かに、仮歌であれば音符どおりに唄ってくれさえすればいいんですものね。おそらくボーカロイドを製作する最初の意図というのもそこにあったと思うんですね。

鈴木:たぶんそうだろうね。それに別の意味を与える人たちが出てきて広がっていく……これが新しいものが生まれる瞬間なんです。

(中略)

冨田:おそらくそこから先のこととして、発表する場があるということとそれでご飯を食べていくのかというのは全く別の問題ですよね。今でも一夜にしてネット上でスターになる楽曲のクリエーターって確かに存在するんですけど、そういった人たちが音楽で飯を食っていこうと思っているのか、それともただ趣味の一環でやっていくのかというところで、けっこう趣味としてただ皆がワーっと盛り上がればいいってところもあると思うんです。

鈴木:そうかもしれないけど、でもやっぱり基本的にはどこかでお金が入ってこないと駄目なんじゃないかと思う。やはり、インターネット上はすべてタダっていう印象があるのは、これから再検証しなければいけないことではないかと思いますけどね。逆にプロフェッショナルとして音楽をやっていると、無料では配りにくい。まあ一曲ぐらいならいいかなっていう発想はあるだろうけど。

(中略)

冨田:でもあらためて考えると確かにレコード会社、音楽業界はだんだん時間をかけられなくなってきていますよね。仮歌であるとかボーカル録りというのは、本当は一番曲の中では生の部分というか肉の部分だったのが……

鈴木:そこにお金をかけなくてよくなったってことだよね。

冨田:鈴木さんはボーカロイドがより人の声に近づいていくような技術革新が今後なされていくと考えてらっしゃいますか?

鈴木:ボーカロイドの発展形としては、今はプログラムされた初音ミクという声しかない段階から、それが誰の声でも成り立つというようなソフトにまでいくでしょうね。そうなるともっとすごいことになるでしょう。あなたの声であなたの作った曲が歌えるということだからね。

冨田:要するに声を音として分解して、どの音をどの域で足せばある特定の「この人」の声になるという次元の話ですよね。

鈴木:そうですね。声紋みたいなものです。それで、自分の声をジョン・レノンに近づけたいんだけど、という風になったとして、その場合そのキャラクター/個性というのはどうなっていくのかという非常に根本的なことを考える時期が来ると思うんです。これは面白いといえば面白い。私とは何でしょう?ということを常に考えないといけないわけですね。具体例としての声を聞いてね。

冨田:そうだと思います。ボーカロイドというものがバーっと流行ったおかげで、いろんな一般ユーザーも含め「声って音なんだ」というすごく当たり前のことに気づかされた。その延長上で「自分の声って何だろう?」「個性って何だろう?」という問題をボーカロイドに投影し、見つめていく時代かもしれないですね。

鈴木:他の楽器は既にシミュレーションがなされちゃってどんなサウンドでもつくりだせるわけだけど、同様に、自分の声でマイ・ボーカロイドみたいなものができるようになったとすると、皆さんどうするだろうね? 他人の女性の声だからこそ良いっていう人もいるだろうし、まあ多様性をもって進んでいくんだろうね。初音ミクとデュエットするとか(笑)、そういうのも出てくると思う。

冨田:例えばそういったかたちで、鈴木さん自身の声をいろんな人が流用する状況になったとしたらどう思われますか?

鈴木:まあ、良いんじゃないかな(笑)。使用料はどうする?(笑)利用するという状況においては、他にもまだいろんな要素がたくさんあるからね。音楽というものは声とかの音じゃなくてリズムだったりメロディーだったり歌詞だったりといったものが混合した、非常にカオスな中で個性が現れるもので、だからその一個だけをどうにかしようとしてもなかなか上手くはいかない。例えば自分の歌を直すときでも、「ここまで直すとちょっと俺の歌じゃない」とか、「こんな歌いかたはしていないなあ」っていう場合があって、その時には別の修正方法を工夫したり、そのままにしたりという選択があるからね。だから、今後はすごく整頓されたものとしての音楽もどんどん出ていくんだろうけど、整頓しすぎると非常につまらなく、画一的になってきちゃう。80年代の終わりから90年代にかけて、値段の安いシンセサイザーが巷に出てきたとき、みんな良い音になって、みんな同じ音になったという現象が起きたんだよね。プリセットの音を使うことのつまらなさはあるよね。でも、そこは個人の工夫でどうにでもなるし、個人のキャラクターの問題でもある。だから、話は面倒くさくなってくるけど、ここ10年くらいはキャラクターがなくなっていくのと、キャラクターが立っていくのとが同時に行われていきそうな感じがする。具体的には説明しずらい感覚なんだけど、それとさっき言った、音楽を作ることがお金を生むということと無料であるということが、オーバーラップするような具合でそれぞれをせめぎあいつつ続いていくような気がしますね。】

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 僕は音楽一般には疎くて、「初音ミク」に関しては動画サイトにアップされているものを聴く程度で、自分で音楽と作ったり、歌わせてみたりはできないのですが、この『ユリイカ』の特集記事は面白く読めました。
 なかでも、この鈴木慶一さんのインタビューは、僕が鈴木さんの音楽のファンであることも含めて、とても興味深いものでした。正直、僕にはちょっと難しいなあ、と感じたところもけっこうあったのですけど。

 「初音ミク」がこれだけのブームになった理由として、「作曲に興味はあるけれど、発表の場がなかった」人たちが潜在的にたくさんいて、彼らがこのツールに飛びついたのではないかと僕は考えているのです。
 「それならば、無理にボーカルを入れないで、インストゥメンタルで発表すればいいじゃないか」と思う人も多いかもしれませんが、「素人が作ったインストの曲」に興味を示してくれる人はそんなに多くありません。
 それが、「初音ミク」という「共通のツール」を媒介にすることによって、多くの人の耳に届けることが可能になったのではないか、と。
 「自分が作った曲です」と動画サイトに投稿しても誰も聴いてくれなかったのに、「初音ミク」が歌うことによって、とにかく「聴いてもらえるようになった」。ブログ時代になって、「日記」を書く人が増えたのと同じことなのだと思うのです。

 「アニメ声が好きなオタクみたいな人たちが女性とのコミュニケーション不全を補うために使っているんじゃないかという意見」というのは、まさに「一部の人の先入観」に満ちているような気がします。
 そういう「女性とのコミュニケーション不全の解消」であれば、もっと直接的なツールはたくさんありますからねえ。
 まあ、確かに「好きな歌詞を『歌わせる』ことができる」というのは、市販のビデオなどで「その言葉を使っているのを受動的に耳にする」よりもずっとある主のフェティシズムを充たすのかもしれません。
 その話題に対する鈴木慶一さんの「大体のものはそういう風に、不純な動機から発達していくんです」という反応も、それはそれでけっこう率直なものですし。
 PCエンジンのCD−ROMの発売初期に、当時アイドルだった小川範子さんが登場するゲームがあって、そのゲームはクリアすると最後に小川さんがユーザーが登録した名前を呼んでくれるのですが(当時はそれがすごく斬新だったんです)、その最後の「一言」のために、ちょっと卑猥な名前を登録して、一生懸命何度もクリアしていた人もけっこういたみたいですから。

 僕は自分の声が嫌いで、昔は留守番電話のメッセージも自分の声で吹き込むのが嫌で嫌でしょうがなかったのです。
 仮に作曲ができたとしても、「自分で歌おう」とは思いません。
 だからといって、誰かに「この歌を歌って」と頼むのもなかなか敷居が高い。
 そういう人間にとって、「初音ミク」のようなボーカロイドの存在は、ものすごく心強いのではないかなあ。

 このインタビューを読んでいて、僕がいちばん考えさせられたのは、「声」とはいったい何なのだろうか?ということでした。

 「声」って、もっとも身近に接することができる「個性」のひとつですよね。声とか喋りかたで、第一印象はかなり変わってきます。「声や喋りかたが嫌い」な人と恋をしたり結婚生活を維持するのは、なかなか難しいことのように思われます。
 もっとも、「昔はそんなふうに感じなかったけど、だんだんイヤになってきた」ということはありそうですが。
 まあとにかく、「声」というのは、ある意味「顔」以上に「その人固有のもの」だったわけです。
 
 ところが、「初音ミク」のようなボーカロイドがどんどん進化すれば、最終的には、「誰のどんな声でも出せる」ようになっていくはずです。
 「鈴木慶一と全く同じように歌えるボーカロイド」が登場したとき、その歌はいったい、誰のものなのか?
 やっぱり「鈴木慶一のもの」なのか、それとも「誰のものでもない、機械の声」として扱うべきなのでしょうか?
 そういう場合に、鈴木さんは「歌唱料」を求められるのかなあ。
 「ライブは迫力が違う」といっても、究極的には、「ライブのときの声を分析して再現したボーカロイド」だってできるはず。
 鈴木さんは、「歌というのは、リズムとかメロディーとか歌詞だとか、いろんな要素がまじりあっているものだから」ボーカロイドが歌手の仕事をすぐに奪うことはないだろうと仰っておられますし、たぶん、僕も実際はそうなのだろうな、とは思うのですけど、いつか「完璧なボーカロイド」ができるのではないかとも予想しているのです。
 そうなると、「プロの歌手」は必要なのか?

 結局のところは、「データ上は同じもの」であっても、人間というのは「生の声」「現場で体験すること」になんらかの幻想(あるいは妄想)を抱いてしまうのかもしれませんけどね。
 シンセサイザーが発達して「どんな音でも出せる」時代にもかかわらず、現在のところ「バンド」のスタイルの主流は、昔とそんなに変わっていないみたいですから。