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2008年04月05日(土)
もしイチローに「コーヒーか、それとも紅茶がいいですか」と聞かれたら気をつけろ!

『Number 700th Anniversary Special Issue』(文藝春秋)の特集記事「ナンバーに刻まれた700の名言」より。

(イチロー選手についての石田雄太さんのコラムから)

【あれは1995年のオフのことだった。テレビの取材で宮古島を訪れ、22歳になったばかりのイチローに話を訊く機会を得たことがある。インタビューの最後に、イチローに「今シーズンを一言で表すとしたらどんな言葉がふさわしいか」と訊ねて、色紙とマジックを手渡した。
 当時のイチローは考え込んだ。その頃、イチローの言葉に対するこだわりを知らなかったこともあって、正直、何でもいいからサラッと書けばいいのに、と思ったものだ。それでもイチローは「いやぁ、困った」「どうしよう」と悩み、立ったり座ったりしながら考えに考え抜いた末、一つの言葉を色紙にしたためた。
「継去現己」――けいきょげんき、とイチローは照れくさそうに言った。もちろん、そんな四字熟語は存在しない。
「去年の自分を継続していたら、本当の自分が現れた、という意味ですね」
 イチロー名言集を眺めていたら、22歳のイチローと重なる言葉を、32歳になるイチローが発していたことに驚いた。
「もっと先にはもっと違う自分が現れるんじゃないかという期待が常にあります」
 イチローは、決して上っ面な想いを言葉にしない。心の奥深いところから発した言葉には常に理由があり、毅然としたロジックがある。だから、時を経てもぶれることがない。
 もしイチローに「コーヒーか、それとも紅茶がいいですか」と聞かれたら、十分に気をつけなければならない。迂闊に「紅茶でいいです」なんて言おうものなら、「紅茶”で”いいのか、紅茶”が”いいのか、どっちですか」と切り返される。
 正確な日本語を喋ることがかくも難しいことだったのかと、イチローには幾度となく思い知らされている。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕はこのコラムを読んで、イチロー選手の「こだわり」は、野球だけでなく、「言葉」に対してもすごいのだなあ、と驚いてしまいました。
 そして、イチローは、さまざまな記録を打ち立てて偉大なプレイヤーだと周囲に認められる前から、同じ姿勢をずっと貫いているのだということにも。
 実績を積んで評価されるようになってから「立派な言葉」を口にするような人は多いのですが、イチローの場合は、「22歳になったばかりの若手時代」も、やっぱり「イチロー」だったのです。おそらく、最初の頃は「生意気だ」なんて批判されることも多かったのではないかなあ。

 この話のなかで、いちばん僕の印象に残ったのは、コラムの最後のイチローに「コーヒーか、それとも紅茶がいいですか」と聞かれたら、という話でした。こういうのって、「日常会話」ですから、僕もとくに考えることもなく「紅茶”で”いいです」って答えているんですよね。日本語としては、この場合「紅茶”で”」のほうが、「紅茶”が”」よりも遠慮しているようなニュアンスを感じますし。

 ところが、イチローは、そういう「消極的な選択を示す言葉遣い」を日常会話においても許そうとしないのです。野球に対して「完璧」を求めるのと同じように。

 いや、こういう言い回しにこだわる人って、けっしてイチロー選手だけじゃないですよ。僕の周りにも、「言葉尻をとらえて文句ばっかり言っている、煩わしい人」がいます。彼らは「言葉遊び」をしているだけ。
 でも、これがイチローのエピソードだと考えると、「日常会話でもこんなに妥協しないのだから、本業である野球に対するこだわりというのはものすごいのだろうな……」とゾクゾクしてしまいます。

 僕もせめて、普段から「コーヒー”が”いいです」というくらいには言葉にこだわりたいものです。

 もしイチローに「コーヒーか、それとも紅茶がいいですか」と聞かれたら気をつけろ!
 まあ、イチローに飲み物を聞かれる機会なんて、たぶん一生ないでしょうけどね。